やっぱ、名無しの権兵衛じゃ駄目だろう。世界に出た著名人が言ったとか。又聞きなのでくわしくはわからないけど、自分が何者なのかというアイデンティティは必要だというはなし。
黒船来航から、日本は日本になった。世界の中で日本とは何者なのかということを自問自答するようになったわけだ。和食という言葉は、もしかしたらもっと前からあったかもしれないけれど、「日本らしい食文化とはなにか」という問いが「和食」という概念に真剣に向き合うことになったのだと思う。
新渡戸稲造の武士道、内村鑑三の代表的日本人、岡倉天心の茶の本。これらは、「日本らしさとはなにか」に向き合った書籍だと聞いているけれど、食文化においてもアイデンティティが求められるようになった時代でもあったのだろう。
一方で西洋的な価値観が容赦なく日本に導入されていく。政府主導で率先して社会に組み込んでいったからなのだけれど、それがまたどうやらアイデンティティを求める心に拍車をかけたのかもしれない。
明治から大正にかけて、近代的な家庭というフォーマットが浸透し始める。そもそも、家庭という単語自体は文字通り庭を表していたはずだけれど、西洋的な「home」の約ごとして用いられるようになったという経緯がある。だから、僕らが知っている「家庭」の観念は、ほとんど西洋家庭のイメージ。
お父さんが働きに「出かけて」いって、お母さんが家庭を守る。ひとつの食卓を囲んで食事をするとか、食事の時間が団欒の時間。このスタイルは工業化社会以降に現れた新しいものだ。産業革命以前は、だいたいどこの地域でも生活と仕事が一体になっていることのほうが普通で、家族みんなで一緒に働くのが当たり前。産業革命によってもたらされたものなのだ。先行していた西洋の「家庭」を取り込んでいったことで、日本の食事風景や家族形態も変化していったのだ。
「家庭料理」「主婦」「ちゃぶ台」などが登場するのもこの頃のことだ。これ以前にあった、日本の常識はことごとく覆されていった。そして、今ではこの頃のに現れた新しい生活習慣を伝統的な日本の家庭だと思いこむようになっている。
勢いよく社会が変化していたからなのか、「私は一体何者なのか」と考えさせられるようになる。もちろん、多くの個人は考えていなかっただろうけれど、社会全体で見ればそのように見える。社会通念が揺さぶられたことで、日本らしさというアイデンティティを求めていたように思えるのだ。
戦後になると、今度はアメリカ式の生活スタイルが刷り込まれていく。アメリカ産の小麦の消費国としてパン食を推奨した。コメを食べると馬鹿になると言われたし、栄養改善の名のもとに料理を教えるキッチンカーは、パン食に合う料理を中心に展開された。学校給食にいたっては、70年代になるまでご飯を提供することがきしされていたくらいだ。
ときはちょうど高度経済成長期。集団就職が好例だが、地方の人達が都会へと移住した。東京が日本一人口が多い都市になったのはこの頃だ。まさに近代的家庭像が量産されていった時代である。そして、また以前と同じように「私は何者か」という問いが社会の空気に紛れ込まされるようになって、田舎の食べ物や景色をノスタルジーを持って求めるようになる。景色を東京に出現させられるはずもないから、郷土料理を提供する店や、紹介するレシピ本が人気になる。上野駅近くには東北料理を提供する店が多く登場したという時代だ。
私は何者か。という問いに食文化だけで応えることなどできるはずもない。だけど、景色だとか周囲を取り巻く環境だとか、そういったものは現地に行くしかないわけだから、それに比べれば再現しやすい食文化は手に取りやすかったのだろう。「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく」という石川啄木の短歌があるけれど、おなじように触れやすかったもののひとつに言葉があったのだろう。
食も訛りも、身体感覚で触れるものだ。言語で理論的に考えることよりも、ずっと強く自分らしさを感じられる。そもそもアイデンティティを「感じ」たり「確かめ」たりして「自己認識」するために、わざわざ論理的な言語化は必要ない。むしろ、感覚のほうが確かなものだと信じられるように思う。
現代でも、故郷や実家の食文化を蔑まされると怒りを感じる人は多いだろう。世界史の中でも異民族の食文化をみて野蛮だと言ったり、自分の食文化こそ最上だと言っている記録がある。食文化とは、異なる文化と出会ったときに「自分らしさ」を信じるに足る要素なのではないか。そう思っている。
アイデンティティの拠り所は「日本らしさ」「地域らしさ」へと重心が移っていく。「おふくろの味」「郷土料理」がフューチャーされた70年代から90年代である。おそらく、近代的家庭感はこの頃には伝統的な日本の家庭だと信じられるようになったのだろう。本当はメディアなどによる刷り込みなのだけれど、疑うこと無く信じられた。信じるに足る親和性がイメージの中に含まれていたのだろうか。日本らしい家庭料理が確定していたからこそ、故郷を拠り所にアイデンティティを掴みたいという欲求が表面化したのかもしれない。
大きなカテゴリでの「らしさ」「アイデンティティ」は、没個性と表裏一体である。昭和的家庭料理では、かならずしも自分の好きなものを食べられるとは限らない。家族や社会は共同体であると同時に、身近にあるままならない他者でもある。そもままならないことを受け入れたり、すり合わせたりする機会が生活の中に埋め込まれているようだ。家族との食事や、そこかしこにある郷土特有の食文化など、とても近い距離で接し続けることで、私は私らしさの一部を手に入れていったのだろう。
さて、現代においては孤食や個食が増加してきていると言われている。一人暮らしならば、自分の好きなものを好きなタイミングで食べれば良い。家族や友人たちと食事をしていても、それぞれに好きなものを食べるという選択肢が与えられた。それは一見して自由なようではあるけれど、同時に大変だとも思う。なにしろ、アイデンティティの拠り所の重心が己自身にあるのだ。たかだか食事のことではあるけれど、何にも属さないでアイデンティティを確立させなければならないというのは、責任が重いというか、大変だなぁと思うのだ。
今日も読んでいただきありがとうございます。何を食べるか。何を美味しいと感じるか。疑うこと無くアタリマエのことだと思っている事そのものが、アイデンティティの一部なんだろうな。理屈はわからないけれど、現象を見る限り「そういうもの」だと思うんだ。その前提で、均質化しつづける食品産業を観察してみると一体何が見えてくるだろう。