今日のエッセイ-たろう

料理の極意から学ぶマネジメント 2023年3月4日

料理をするときは、あまりゴチャゴチャと手を加えすぎない方が良い。とよく言われる。これは日本料理だからだろうか。洋食や中華でではどのように言われているのか、それらの職人の世界をよく知らないのだけれど、少なくとも和食ではそう言われている。

その食材が持つ味わいを最大限に活かすこと。それが日本料理の基本だ。あれこれと弄り回した挙げ句、素材そのものが持つ味わいを低下させたのであれば、それは料理の本質を外れているというのだ。仮に、出来上がった料理が美味しかったとしてもだ。

炭火で炙っただけの椎茸に、ほんの少しの醤油を垂らして食べる。椎茸を味わうという意味では、これを下回るような料理をしては意味がないのである。手をかけるのであれば、もっと椎茸の良さを引き出すための工夫が施されるべきだという意味だ。例えば、椎茸に野菜を添えることで椎茸の香りが引き立つことがあるのだが、そのような工夫だ。煮物にするにしても、総合力で炙り椎茸を超えるものを生み出さなければならない。

漫画美味しんぼでは、しきりに海原雄山がこれを表現してくる。初期の頃は、山岡士郎が毎回これにしてやられるのだ。素材を引き出すことに注力する。これだけを取り上げても、とんでもない知識と工夫と努力が求められる作業だ。しかも、素材には個体差がある。仮に海原雄山の至高のメニューを再現したところで、常に最上級のものが作れるとは限らないのだから手に負えない。そもそも、そんなに上等な食材ばかりを手に入れられるわけでもないのだ。

ヨーロッパの料理は、原型を変形させることに軸があると言われる。しかし、これは少々偏りがあるように思える。スペインやイタリアの料理を見る限り、そのようなことはなさそうだと感じているのだ。どちらかというと、素材の味を引き立てる調理方法が多いように見える。その他の地域であっても、現代では素材そのものの味を大切にするようだ。

ただ、歴史的には確実に「変形こそが最上」という観念があったのは事実である。中世から近世にかけてのヨーロパでは、素材の原型を留めないことに価値を置いていた。このような表現をすると誤解を与えてしまいそうだ。料理を食べたときに、その素材が何なのかわからないけれど美味しい。で、素材を聞いてみたら、まさかそんなものがこんなに美味しくなるなんて、という感想を抱くようなこと。これが料理の価値だったというのである。これならわかる。現代でも同様の感想を抱くことはあるだろう。これは驚きが価値であるということだ。

料理中にゴチャゴチャと手を出すなという話で思い出されるのは、老子である。老子が料理のレシピや手順を記したのではない。国の統治方法を料理になぞらえた言葉が有名だ。大国を治むるは小鮮を烹るがごとくす。故事成語としては有名だと思っていのだけれど、予測変換もままならないところを見ると、有名ではないのかもしれない。

国の政治では、あまり細かいことに干渉しないほうが宜しい。マイクロマネジメントをすると、ろくなことがないという意味だったと記憶している。小鮮というのは、小魚のこと。小魚を煮るときには、むやみにかき回すと身が崩れてしまう。だから、政治も同じように、コトコトと火にかけたらそっと様子を見守るくらいの心構えが良い、というはなし。

この表現が面白い。文字だけを読めば、放任主義のようにも見えてしまうかもしれないが、そうではないだろうと思うのだ。

小魚で煮物を作るときというと、甘露煮などがそうだろうか。美味しくするためには、小魚の下ごしらえが大切なのだ。しっかりと魚を洗って、状態の悪い魚は外す。血が残っていると、生臭さが立ってしまうのでしっかりと洗う。丁寧に鍋に並べることも、案外重要だ。適当に放り込んでも煮えるけれど、後になって形が崩れることになる。火にかけたら、丁寧にアクを取らなくちゃいけないし、火加減をコントロールしてやらなければいけない。あまり温度が低すぎてもアクが抜けないし、美味しく煮えない。かと言って温度が高すぎれば固くなったり、煮崩れたりもする。それに、ちゃんと見守って、時々は手を加えてやらないと味が濃くなりすぎたり、時には焦げ付いてしまったりもする。小鮮を烹るというのは、ゴチャゴチャと手を加えないけれど、心配りが大切な料理なのである。

素材の味を引き出しつつ、心配りを怠らない。それが、東洋文化における料理の思想である。これを政治のメタファーに使ったところが老子のスゴイところなのだろう。丁寧だけれど、マイクロマネジメントはしない。

アダム・スミスの神の手は、放任主義のような自由主義として言葉が使われるようだけれど、実際のところは老子の言葉に通じるのではないだろうか。ちゃんと読んでいないのでわからないのだが、詳しい人がいたら教えて欲しい。

今日も読んでくれてありがとうございます。「小鮮を烹るが如くす」は、いろんなことに通じていそうな気がする。政治だけじゃなくて経済も同じ。もっと身近な例だと、子育てとか社員教育とか、事業なんかもそうかもしれない。しっかりと丁寧に準備して、環境を整えて、適切に手を加える。そのうえで、じっと見守ること。そういうことを学ぶためにも料理を嗜むというのは良いかもしれないね。ま、置き換えるのが難しいんだけどさ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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