今日のエッセイ-たろう

歩いて感じる。いろんな繋がり。 2024年9月13日

都会で生活をしている人のほうが、田舎よりもたくさん歩く。ぼくなんかは「歩く」という行為そのものがけっこう好きなものだから、コンビに行くのも駅に行くのも、町に飲みに行くのだって歩いていく。都会の人は、歩くのが好きじゃなくても、コンビニだって駅だって歩いていくのが当たり前だって思う人も多い。だけど、こっちじゃ歩いて10分の距離でも車を使うのが当たり前になっている。車社会も、ちょっと行き過ぎてる気がするよね。

都会に住んでいたときに、とても面白い状態になったことがある。

ある一定の区域については脳内に地図がある。そういった地図は何枚も頭の中に収まっているのだけれど、それぞれがどう繋がっているのかがピンとこない。

似たような経験をお持ちの方はいるのだろうか。

渋谷駅界隈は歩ける。原宿駅界隈も歩ける。新宿駅界隈もオッケーだ。でも、これらの「◯◯駅周辺」というピースがバラバラなのだ。上京してしばらく経って、駅から離れたところまで足を伸ばすようになって、ようやくそれぞれの位置関係がわかってきた。後に、自転車やバイクに乗るようになってから、やっと東京中心部の位置関係が明確になったのである。

地図を見れば良いのかもしれないけれど、まだ携帯電話に電話以外の機能がなかった頃のことだし、わざわざ地図を買ってまで確認しようとは思わなかったのだろうな。なにせ、電車の乗り方さえわかっていれば生活には困らないからね。田舎の暮らしからすると、東京の電車のほうがよっぽど難しいと思うのだけど。まぁ、生活に順応した結果なのだろう。

車の移動も、電車の移動も、なんとなくワープしているような感覚がある。いや、ちゃんと外の景色を見ていれば移動している間のことも見えるし、自分で車を運転していればちゃんと空間を認識している。だけど、A点とB点の間にある地面に一度も足をつけていないというのが、なんとも不思議な気持ちになるのだ。

自転車に乗ってあちこちに出かけていた頃があった。高校生の頃は半径20kmくらいは日常の移動距離だったし、富士山の麓まで遊びに行ったこともある。大阪に住んでいる時は、神戸や京都にも自転車で出かけていった。移動中のほとんどの間地面と接しているのはタイヤなのだけれど、信号待ちなどでふと足をついていると、妙な感覚が襲ってくる。縁もゆかりも無い地面に、偶然にも足をつけていて大地を感じている。このことが、なにかすごいことのように思えてくるのだ。急にトイレに行きたくなって裏路地で見かけた公園に立ち寄ったり、近所の駄菓子屋さんで飲み物を購入して店先で休んだり。そういうのも、縁が結ばれたような不思議な高揚感がある。

ぼくにとって、旅というのはそういうものなのかもしれない。人だけじゃなくて、いろんな物事と縁ができること。そういうのが楽しいのだろう。

電車や自動車、飛行機で旅に出るのも良い。当然だけれど、徒歩では到底たどり着けないほどの遠くまで連れてくれ行ってくれるのだから、こんなにありがたいことはない。目的地でいろんなものと縁を結ぶことが出来るのも、高速移動手段のおかげだ。

ただ、もう少しだけ身近な移動を見直すのも良いんじゃないかと思うんだ。通勤で駅まで歩いていくときちょっと道を変えてみるとか、隣町まで散歩してみるとか、まぁなんでもいい。とにかく、移動速度を遅くしてみるのだ。そうすると、今まで気が付かなかったことに気がつくことができる。目で見えるものだけじゃなくて、人間の体って案外多くのものを感じ取っていて、ちいさな段差や、急に吹き付ける横風や、遠くから届く美味しそうな匂いなんかも体に染み込んでくる。

いろんなことを世界から感じられる程度に心地よい。そんな早さが、歩くっていうことなのかもしれない。

今日も読んでいただきありがとうございます。いろんなことを感じ取るセンサーって、体中のあちこちにあるような気がするんだ。で、そのセンサーを敏感に保つためには、慣れみたいなものが必要で。歩くっていうのは、最もシンプルなトレーニングのひとつなんじゃないかと思うわけよ。

タグ

考察 (305) 思考 (228) 食文化 (225) 学び (171) 歴史 (123) コミュニケーション (120) 教養 (106) 豊かさ (97) たべものRadio (53) 食事 (39) 観光 (30) 料理 (24) 経済 (24) フードテック (20) 人にとって必要なもの (17) 経営 (17) 社会 (17) 文化 (16) 環境 (16) 伝統 (15) 遊び (15) 食産業 (14) まちづくり (13) 思想 (12) 日本文化 (12) コミュニティ (11) ビジネス (10) 美意識 (10) たべものラジオ (10) デザイン (10) 言葉 (10) エコシステム (9) 社会構造 (8) 循環 (8) 組織 (8) 価値観 (8) ガストロノミー (8) 日本料理 (8) 視点 (8) マーケティング (8) 仕組み (8) 仕事 (7) 日本らしさ (7) 構造 (7) 営業 (7) 妄想 (7) 社会課題 (7) 飲食店 (7) 多様性 (6) 認識 (6) 観察 (6) レシピ (6) 教育 (6) 食の未来 (6) イベント (6) 組織論 (6) 持続可能性 (6) 落語 (5) 働き方 (5) 体験 (5) 挑戦 (5) 構造理解 (5) スピーチ (5) イメージ (5) 伝える (5) 食料問題 (5) 掛川 (5) 解釈 (5) 未来 (5) 成長 (5) 味覚 (4) 自由 (4) 言語 (4) 文化財 (4) 食のパーソナライゼーション (4) ポッドキャスト (4) 食糧問題 (4) 学習 (4) 作法 (4) バランス (4) エンターテイメント (4) 盛り付け (4) サービス (4) 食料 (4) 表現 (4) フードビジネス (4) 情緒 (4) イノベーション (4) 語り部 (4) 誤読 (4) AI (4) 食品産業 (4) 土壌 (4) 世界観 (4) 変化 (4) 食の価値 (4) 伝承と変遷 (4) 技術 (4) 健康 (3) 食品衛生 (3) 研究 (3) マナー (3) 感情 (3) 民主化 (3) (3) 温暖化 (3) セールス (3) 産業革命 (3) プレゼンテーション (3) 変化の時代 (3) チームワーク (3) 効率化 (3) 会話 (3) 話し方 (3) 和食 (3) 行政 (3) 読書 (3) 情報 (3) トーク (3) メディア (3) (3) 身体性 (3) 社会変化 (3) テクノロジー (3) 慣習 (3) 変遷 (3) ハレとケ (3) 認知 (3) 感覚 (3) 栄養 (3) 魔改造 (3) 自然 (3) チーム (3) 修行 (3) 民俗学 (3) 伝え方 (3) 代替肉 (3) ルール (3) 外食産業 (3) ごみ問題 (3) 料理人 (3) 味噌汁 (3) パーソナライゼーション (3) アート (3) おいしさ (3) 人文知 (3) エンタメ (3) 科学 (2) 道具 (2) 生活 (2) 生活文化 (2) 水資源 (2) 家庭料理 (2) 生物 (2) 衣食住 (2) AI (2) メタ認知 (2) 料亭 (2) 夏休み (2) ロングテールニーズ (2) (2) 山林 (2) 腸内細菌 (2) 映える (2) 誕生前夜 (2) フレームワーク (2) (2) 婚礼 (2) SKS (2) 飲食業界 (2) 思い出 (2) 料理本 (2) 笑い (2) 芸術 (2) 明治維新 (2) 俯瞰 (2) 才能 (2) ビジョン (2) 物価 (2) フードロス (2) 事業 (2) 工夫 (2) ビジネスモデル (2) 創造性 (2) 心理 (2) 接待 (2) 人類学 (2) キュレーション (2) 外食 (2) 茶の湯 (2) SDG's (2) 旅行 (2) 共感 (2) 流通 (2) (2) 身体知 (2) サスティナブル (2) サスティナビリティ (2) 産業 (2) オフ会 (2) ガストロノミーツーリズム (2) 発想 (2) 地域経済 (2) 食料流通 (2) 常識 (2) 伝承 (2) ビジネススキル (2) (2) 気候 (2) 儀礼 (2) 食料保存 (2) 合意形成 (2) 電気 (2) 言語化 (2) 行動 (2) 文化伝承 (2) 産業構造 (2) 思考実験 (2) 地域 (2) 食品ロス (2) 食材 (2) ガラパゴス化 (2) 郷土 (2) SF (2) 農業 (2) 五感 (2) 報徳 (2) 習慣化 (2) アイデンティティ (2) 哲学 (1) 補助金 (1) 食のタブー (1) 江戸 (1) 幸福感 (1) SDGs (1) 行事食 (1) パラダイムシフト (1) 季節感 (1) 日本酒 (1) 弁当 (1)
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

-今日のエッセイ-たろう
-, , ,