今日のエッセイ-たろう

牛と人間のおいしい関係。 2023年8月17日

まだちゃんと勉強していないから、大したことは言えないのだけれど、ふいに思いついたことがある。人類にとっての「牛」って、なんだろうって話。

周知の通り、牛は人類との付き合いの長い動物だ。牛乳は、とても多くの産物を生み出してきたし、特定の人たちにとってはその肉が貴重なタンパク源となってきた。ある時から、一般に広く牛肉を食べるようになったわけだ。

牛は食用となるだけでなく、労働力としても活躍してきた。牛車のように車を引っ張ることもしたし、古代の戦闘では巨大な戦闘機械を運ぶ仕事もした。もちろん、農耕においては、田畑を耕したり生産物を運んだりと大活躍である。

色んな場面で活躍してきた牛なのだけれど、彼らが人間と一緒に暮らしてきた背景には、食料の分散が影響しているのじゃないかと、ふいに思ったんだ。特に根拠はないのだけれど、そう思えたというだけの話ね。

牛の主食は、草だ。牧草とかワラとか、乾草とか。そういった草を食べる。人間にとってはどんな調理をしても食べることが出来ないようなイネ科の植物の葉っぱをムシャムシャと食べる。イネ科植物の葉っぱは、ケイ素が多く含まれていてガラス繊維みたいになっている。草むらを歩いていると、うっかり体を傷つけてしまう事があるけれど、あのやっかいな切れる葉っぱだ。ススキみたいなものもそうだし、稲わらや麦わらもそうだし、とうもろこしの葉っぱもそうだね。仮に柔らかく煮炊きしたところで、これは人間では消化できない気がする。

人間が食べることが出来ないものを、体内発酵の力を使って食べているのが牛とかヤギとか羊という、偶蹄目の仲間たち。牛もヤギも羊も、人類との付き合いが長い動物ばっかりだ。

彼らは、人間にはどうにもならない植物を主食として生きていく。だから、お互いに食料を取り合う必要がないとも言えるんじゃないかと思うんだ。米や麦の実を人間が食べて、葉っぱや茎は動物が食べる。ちゃんと棲み分けが出来ている。しかも、人間が食料に出来ないものを、食料に加工してくれているとも言える。ミルクもそうだし、肉もそうだ。と、こんな言い方をしたら動物愛護の観点から見たら叱られそうな気がするけれど、農耕という意味においては、ある種の加工機械にも例えられるかもしれない。

人間にとっては食べることが出来ない植物を、食べられる形に変換してくれる動物。そういう側面があるから、人類は長いこと生活をともにしてきたのかも知れないな。もちろん、偶蹄目の動物たちが人間のために進化してきたわけじゃないから、たまたま都合が良いパートナーだったということだろう。なんなら、人間の都合で勝手に繁殖を助けてくれるという意味では、動物にとっても都合の良いパートナーと言えるかも知れない。

牛の飼料は草が基本だけれど、けっこう他のものも増えているよね。とうもろこしとか大豆とか。こうなってくると、人類の食料と重なりが大きくなってきたように見える。これは、どういうことなんだろうか。

人間が食を食料としてだけではなく、楽しみとしてその味を求めるようになったことが原因なんだろうなあ。マグロの養殖には、多くの小魚が餌として必要なんだけど、実は餌になっている小魚をそのまま人間が食べたほうが食糧生産効率も栄養摂取効率も良いという話もある。美味しいものを食べたいという欲求のあまり、エネルギー循環を悪化させているんじゃないかっていう議論もあるらしいんだ。

なんとなく、重なって見える気がするんだけど、どうだろうか。

今日も読んでくれてありがとうございます。結論はないんだけどね。ちょっとだけ気になっているんだ。ぼくらみたいな料理人は、割と食を娯楽として扱う世界で仕事をしているんだけど、それもバランスが求められるんだろうなって。無いなら無いなりに、美味しいものを作るというのも職能の一つだろうしね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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