今日のエッセイ-たろう

私達の感じる「食の価値」ってなんだろう④ 2024年10月9日

5段階欲求の最上位である「自己実現欲求」に「遊び」という要素がありそうだ。食を生産現場から眼の前に提供されるまでのストーリーを理解すること、歴史的文脈を想起すること、過去の食事の記憶に思いを馳せること、料理人や生産者の思いを読み取ることなど、精神的な欲求を満たすのだ。こうしたことは、食を楽しむ共用に通じるし、マイルールを構成する要素になる。

そういう意味では、会席料理はなかなか高度な遊びである。定食や一品料理というスタイルと比べたコース料理という意味でもそうだし、ファストフードや居酒屋や専門店いう業態と比べた料亭という意味でもそうだ。いろんなルールが設定されていて、そのルールの中で食の遊戯に興じる。これを蔑ろにする人は「無粋」とか「わかっていない」人となってしまう。そう、文字通り「遊び」とその「ルール」を「わかっていない」人なのだ。

会席料理などはまだマシなほうで、本膳料理や茶懐石のほうがルールが細かい。ルールを自分の中に取り入れるのは大変だけれど、その分だけ面白さもある。「ルール」または「遊びの攻略方法」は複雑であるほうが、その遊びは楽しくなるというものだ。

おそらく世界的に人気の高い遊びやスポーツは、いろんな戦略オプションがあって運などの要素が絡み合うから面白いのだろう。絵や音楽の鑑賞も、そういう意味では遊びの要素がある。時代背景などを読み解いたり、そこに自分が感じた感性を重ね合わせたりする。それを一人で楽しんでもいいし、誰かと語り合っても良い。そういう遊びである。

同じ遊びに興じる人同士は、自然と連帯感が生まれる。仲間意識と言い換えても良い。趣味サークルやスポーツ選手同士が仲間意識を持つのは自然なことである。

中世日本の武家の宴会では、式三献という形式があった。平たく言えば、酒を飲むのに儀礼がかったルールがあって、その形式に則って食事をするのだ。一見すると、とてもわずらわしい作法だと思うのだが、その道に通じるようになればそれはそれで遊びとして成り立つフォーマットで、一定の効果を発揮していたのかもしれない。ただでさえ「共食」は仲間意識が生まれるというのに、そこに遊びの要素が入ることでより効果が強化されるということになる。

現代でも、料亭や茶室を利用した接待は、この延長上にあると言ってもいい。かつての本膳料理などの儀礼に比べればずっとライトな感覚で食の遊戯に興じることが出来て、その結果として仲間意識が芽生えるというのだから便利といえば便利だ。

このように、食に対する欲求の上位概念に「遊び」があるとしたら、現代の課題はその遊び方がわからない人が多いということだろう。会席料理だけでなく、フランス料理でもイタリアンでも同じだと思うのだが、その料理が高額であるということだけがプレイヤー人数に蓋をしているわけではない。経済的に負担が大きいという側面は否めないが、同時に遊びに興じるだけの知見がないという側面がある。先にも書いたように、ルールや楽しみ方がわからないスポーツは観戦しようとは思えないのと同じだ。その国のスポーツの強さは、アマチュアプレイヤーの人口に比例するというから、文化の伝承という意味でひとつの課題になっている。

ホイジンガの論を借りると、あらゆる文化は遊びの延長上にあるという。日本特有の食文化はいろいろあるけれど、会席料理などで見られる「食の遊戯」を楽しむ人が減るということは、日本の食文化の一つが消失の危機にあるということだと理解しても良い。

食における承認欲求や自己実現欲求を「食べる人」の視点から捉えると、上記のようにややこしい概念になりそうだ。それに比べると、「料理を作る人」の視点で考えるとだいぶわかりやすい。

料理を食べてもらって美味しいと言われることは承認欲求を満たしてくれるし、オリジナルのレシピを考えたり、高度な包丁技術を披露して称賛されることも同様だ。かつては、ぼくにも「どうだ美味しいだろう」と、表には出さないもののドヤ顔する気持ちもあった。そこまででなくても、一生懸命料理を作り続けるのは「おいしかった」の一言が嬉しくて、自分の存在を認めてもらった感覚を得られるからだ。

ところが、ある程度料理人を続けていると、承認欲求が薄れてくる。こう言うと聞こえが悪いのだけれど、「褒められ慣れて」しまったのかもしれない。そうなってくると、「私の美学」みたいなものを追求する気持ちのほうが強くなっている。私の作った世界を見てください、というのも一つの美学だし、私の世界とあなたの世界の接点を探そうとする姿勢も一つの美学。バラエティはあるけれど、承認ではなく自己実現欲求の段階へと移っていくのだ。

料理研究家や料理作家、そう名乗らなくても料理を作るのが趣味だという人は、きっと承認欲求を超えて自己実現欲求へと移っていくように思える。これもまた、遊びの一種と言ってもいい。はっきり言って、凝った料理は生理的欲求や安全欲求には不必要なものだ。だから、あれこれと工夫をこらして味や匂いはもちろんのこと目や耳まで楽しませようとするのは、そういうルールの遊びなのである。過去に何度か料理コンクールに出展したことがあるのだけれど、よほどの条件がない限りぼくは遊びの要素をふんだんに取り入れる。コンクールという存在自体が、ぼくには遊びの延長に見えるからだ。そこに権威が付加されたとしても、それはやはり遊びであって、スポーツで世界一の称号を得るのと同じことである。

「食の価値」をマズローの5段階欲求にあてはめて考えてきたわけだけれど、精神的欲求の段階では「食べる人」と「作る人」で多様な価値観があるように思えて興味深い。両者の価値観は、各段階で相互作用しているのだろうか。また、少し時間を置いて考察してみたいところだ。

さて、これまでの考察の中で全く触れてこなかったキーワードがあることに気がついただろうか。実は「おいしさ」については言及しなかったのだ。食を語るうえで最も重要な指標のひとつだろうに、欲求の5段解説に当てはめようとするとなぜだか浮いてしまうような気がしてならないのである。原始的な欲求であるようにも思えるし、同時に承認欲求や自己実現欲求にも当てはまるようにも思えてしまうのだ。

整理すると2つのポイントがあると思う。一つはおいしさという言葉の曖昧さ、もう一つは別の軸としての解釈である。

おいしさというのは、実に千差万別。人によって異なるのだが、それは生活環境や文化的背景などから影響を受けている。それに、五味と嗅覚で感じるおいしさもあれば、見た目や食感や音をも含んで感じるおいしさもある。もっと言えば食事をする環境にも左右されるし、誰と一緒に食事をするかによっても、その時の気分にも影響を受ける。緊張のせいでほとんど味がわからないということだってあるくらいだ。逆に大好きな恋人と一緒に食べたカップ麺が素晴らしく美味しいと感じることもある。

おいしさという言葉の曖昧さというのは、様々な要素を一部だったり全部だったりを組み合わせていることに起因しているのだろう。こんな複雑な概念を簡単に組み合わせることは出来ないような気がするし、整理するにしても骨が折れると思うのだ。

別の軸というとよくわからないのだけれど、おいしさというのは普遍的な欲求なので欲求の5段解説にあてはめられない、という解釈だ。千差万別の感覚なのだし、不味いよりも美味しいほうが良いに決まっているのだから、段階に分類できない。どの段階でもずっと嬉しい。

どちらかというと、ツールとして存在しているとすら思っているところがある。

おいしさというのは、あくまでも食事を楽しむためのセンサーであり、感覚。楽しいとか嬉しいとかの感情と同レベルのものなのだ。遊んでいて楽しいという感覚は、それ以上でもそれ以下でもなく、まして理由を求めても答えのないもの。ただただ楽しい、というのは遊びに興じる絶対的な理由であって、なぜ楽しいかなどわからないというレベルの感情である。おいしさは、これと同レベルの感情なのではないかと思うのだ。もし、これに意味を与えるとするならば「食べたい」という意欲をもたせる理由になる事が出来るということだ。そういう意味でツールと表現したわけだ。

『フードテック革命』では、多様化する食の価値を「ロングテールニーズ」と表現していた。食に求められる価値を、多い項目から並べて棒グラフに表現すると、少数意見が多様なために長い尻尾のようにグラフが伸びていくことを言う。食の価値についてアンケートを取ろうとすると、一人の人から複数の回答を受け取るわけだから、少数派意見がたちならぶわけだ。今回の取組は、ロングテールニーズを別の形に整理してみただけのことだが、欲求の5段解説の良いところは自身の状況によっては発露する欲求が異なっていて、複数回答に異なる意味付けが出来たように思っている。

なお、今回、何度もスポーツを引き合いに出して「遊び」と表現しているのだけど、それはスポーツを低く見ているということではないことを記しておく。遊びこそが、もっとも人間らしい行動の一つだと思っていて、それを追求することは文化として素晴らしいことだと信じている。

今日も読んでいただきありがとうございます。シリーズ「食の価値」みたいになってきちゃったな。考えれば考えるほどに奥深いテーマだ。未来の食分野産業や食文化を創出するときには、とても重要な指標になりそうだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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