今日のエッセイ-たろう

秋の公園とドングリ。 2023年10月9日

急に気温が下がって、ついこの前まで暑いと言っていたのが嘘のようだ。日がるうちはいいけれど、日が傾く頃には上着を着なければ寒く感じる。

町外れの公園では、そこかしこにどんぐりが転がっているのを見かける。どこかの幼稚園からやってきて、手にはいくつものどんぐりが握りしめられている。小さな手のなかで、それは大きく見えた。ぼくもひとつ拾ってみたのだが、やはり少々大きいようだ。

どんぐりが大きく成長する条件というのが、どんなものなのかさっぱりわからない。今年の夏もとても暑かったが、それが良かったのだろうか。たまたま、その公園の土壌が良かったのだろうか。そういえば、ずいぶん前にニュージーランドで見かけたどんぐりも大きかった。

詳しいことはわからないけれど、手の中でコロコロしているどんぐりは、なんだか美味しそうに見えた。

縄文文化の遺跡からは、トチノミやドングリが出土している。まだ、稲作が日本に上陸するより前は、ドングリは主な食料だった。今よりも温暖な気候だったというから、きっと大きかったのじゃないだろうか。

東北地方の一部では、近代に入ってもドングリなどを主食にしていた地域があったそうだ。狩猟採集に近い暮らしだけれど、栽培も行われていて、日本のあちこちで食糧不足に悩まされていた時も豊かに暮らしていたと伝えられている。文化や生活習慣によっては、必ずしも農耕社会のほうが豊かだとは言えないのかもしれない。

よく考えてみれば、農業というのは大変な労働だ。現代ならば機械を使うことが出来るけれど、かつては人力。よくてもせいぜい牛や馬に力を貸してもらうくらい。家畜がいるということは、それも飼育できる条件が必要になる。場所によっては、それもかなわないのかもしれない。

今よりもはるかに人口が少なかった古代。温暖で、人の手がほとんど入っていない原生林が一派的だった時代。里から少し離れた山に行けば、いくらでも食料が手に入る。何日かに一度食料をとりにいく。つまりは、労働時間が短くて良いのだ。農業よりもずっとのんびりした生活を送っていたのかもしれない。

ひとつの作物を作ると、その土地はしばらく休ませなければならない。水田のように単一作物を連作できる農業というのは、レアケースだ。穀物を含む雑草由来の食用作物は、基本的に連作障害が起きる。樹木になる実を採集するほうが、安定的に食料を手に入れられるということなのかもしれない。

土壌を肥やすということに意識が向いているのだけれど、それは人間の都合である。作りたい作物が育てやすいようにコントロールするということでもあるのだ。土地を休ませると自力は勝手に回復するのだから、肥やそうなどと考えなくても微生物は勝手に土地を豊かにする。生物多様性が大切だということを聞くのだけれど、それは多様であるほうが偏りが少ないという意味なんだろうな。特定のモノが増えすぎると、なにかしらの弊害が起きる。多様であれば、生態系が勝手にバランスを取っていい感じの環境になっていく。

海洋中のプランクトンは、海の生き物にとって大切な食料になる。プランクトンが大量に発生してしまうと、他の生物が生きづらくなってしまう。腸内菌だって、善玉菌だけにしてしまうとバランスが悪い。悪玉菌も日和見菌もいろいろいて、数千種類が良い按配になっている。そうすると、どれか一種類が爆発的に増えてしまって、体調を崩すようなことも無い。そんな感じなのだろう。

縄文時代の森や川は、そうしてバランスを取っていたのかもしれないな。他の動物のように、人間も生活に必要な分だけを自然から分けてもらう。人間が持っていいった分は、また生態系の循環で補完されてバランスをとっていく。

ぼくらは、そんな生活に戻ることは出来ない。戻る必要もない。ただ、いい感じのバランスを現代なりのやりかたで考えていくことは必要だろう。

今日も読んでくれてありがとうございます。とーちゃん、ドングリ。我が子の声に、それまで手の中のドングリをじっと見つめていた自分に気がつく。見て見て、ドングリこんなにいっぱい。大きいよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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