納豆って美味しいよね。と言うと、そこそこ意見が分かれるそうだ。著名な料理研究家でも、納豆なんてそのままだと大してうまくないから食材として使うのが良いと言う人もいる。少なくとも、ぼくは美味しいと思っているし、ぼくの周りにいる人は共感してくれることが多い。
納豆は醤油を入れる前に100回混ぜるのが良い。と言ったのは、たしか北大路魯山人だったか。科学的にもその通りである。納豆のネバネバ成分は、ポリグルタミン酸といってグルタミン酸がたくさん結合したもの。かき混ぜることによって、ポリグルタミン酸の結合を力技でバラバラにしてグルタミン酸にするのだ。グルタミン酸は言わずとしれた旨味成分。ポリグルタミン酸のような塊のままでは舌で感知することが難しいのだけれど、バラバラにすることでより美味しさを感知しやすくすることが出来るのだ。
随分前のことだけれど、あるテレビ番組で「納豆を混ぜるとおいしくなるのか科学的に検証」を行っていた。なんとなくぼんやり見ていたのだけれど、検証の結果は「変化しない」ということだった。ぼくがその番組を見た当時は、ポリグルタミン酸のことなど何も知らなかったのだが、この検証結果には全く同意できなかった。だって、経験上の結論と全く違うからだ。
科学というのは、人間の知覚や感性と反する真実を導き出すものだ。そういう意味では、実験結果が直感と異なることそのものは問題ない。むしろ、正しく検証された実験データを無視して、自らの直感のほうが正しいと闇雲に信じ込むことは恐ろしいとすら思う。このテレビ番組を見て信じられなかったのは、そもそも検証方法に疑問があったからだ。
まず第一に、パックの納豆に付属しているタレを使用していたこと。一般的に販売されている納豆のタレには、旨味成分が含まれている。納豆をかき混ぜる前だろうと後だろうと、そもそもタレを入れたらある程度グルタミン酸の量が近い値を示すだろうと思ったのだ。実験デザインとしては完全に失敗している気がした。
それから、番組中では詳しく紹介されなかったのだけれど、アミノ酸を検知する装置の精度に疑いを持った。装置のことは知らないけれど、その装置で検出される旨味成分の対象にポリグルタミン酸が含まれていたらどうだろう。混ぜることによって、ポリグルタミン酸をバラバラにしてグルタミン酸に置き換えているわけだから、総量としては変化しないことになる。ポイントは、人間が感知できる状態になっているかどうか、のはずだよね。だとしたら、実験のデザインとしてはやっぱり失敗。
もうひとつ。人間が「おいしい」と感じるかどうかは「旨味成分の量」だけで決まるものではない。空気が含まれてふんわりしていることも「おいしい」と感じる要素。つまり、測定基準を「アミノ酸の量だけ」にしたら「おいしくなるかどうか」の検証にはならない。
で、この「科学っぽい検証らしきもの」を見せられた後で納豆の食べ比べをしたら、どうなるだろう。思い込みによって「差がない」と感じることもある。ましてや、タレントさんなのだから、番組の流れを汲み取って話を合わせることくらいはするかもしれない。
つまり、だ。科学じゃない方法で、科学っぽく語っても何も証明していない。それが、そのときの感想。別にぼくの私生活に何の影響も与えなかったから、そのときはスルーしたのだが、それでもなぜか記憶に留まっていた。それは、「実験・検証・科学」と銘打った言説に対する向き合い方を考えさせらるきっかけになったからかもしれない。
テレビ番組を見た時点で疑いの気持ちを持ったのだから、視点そのものは学生時代に会得したものだろう。ただ、世の中にはこうした胡散臭い言説が公然と流布されていることもあるのだ、ということを確認するきっかけになったんだよね。おかげで、ちょっと「ホントかよ」という気持ちを常に持つようになったんだけど、それが良いこともあれば面倒なこともあって、なかなか折り合いをつけるのが難しい場合もある。
今日も読んでいただきありがとうございます。たべものラジオを始めるまでは、学術論文を読むことなんてほとんど無かったんだよね。実験の主旨や方法なんかが事細かに書いてあって、ちょっと面倒くさいなと思うこともあるけれど、めちゃくちゃ大切なんだよね。なんてことを、さっき納豆ご飯を食べながら思い出したんだ。