今日のエッセイ-たろう

自由と秩序とアート。2022年11月28日

もうずいぶんと前のことになるけれど、少しばかりアメリカに留学していたことがある。それなりに学校に通って、友達と遊んで、日常生活を送って、外国人として生活していた。その頃、アメリカという国に対して感じたのは「ここは自由の国ではなくて、自由と自分勝手を勘違いしている国だ」ってことなんだよね。

今でもそう感じる部分もあるけれど、思いっきり日本人のバイアスがかかってる感想だな。

自由という言葉の対義語は不自由。というのが一般的。けれども、国とか地域といった「集団」で考えると、自由の対義語は結束になるのじゃないか。最近ではそんなふうに考えるようになった。

基本的には、自由を大切にすることは良いことだと思っている。ぼくだって、自由を奪われるのは嫌だしね。言論の自由が無くなったら、こんなブログも成立しないだろう。外を出歩くのだって、遊ぶのだって、ある程度は自分の意志で決断することが出来る。自分の意志で決断というのが、自由のポイントなのかもなあ。

一方で、自分の意志が何でもまかり通ってしまうと、社会秩序は崩壊するリスクが上がる。銃を持ちたいから持つし、使いたいから使う。では困っちゃうんだよね。

留学中に時々見かけたのは、高速道路上でのトラブル。特に割り込みかな。例えば、2つの路線が交わるジャンクションでは、乗り換えのための脇道があるよね。で、多少混み合っていると車の速度はゆっくりになる。渋滞になりかけている状況を思い浮かべたらわかりやすいかな。自分が乗り換えをしようと思ったら、最後尾に連なるよね。というのが僕らの感覚。なのだけれど、けっこうギリギリのところで強引に割り込もうとする車が多いんだ。もちろん、こういったことは日本でも見かけるけれど、留学中は特に多かったなあ。

誤解を招くといけない。アメリカでもほとんどの人はそんなことはしない。一部だけ。感覚的に日本で運転している時と比べて多い気がするってだけだ。あとになってアメリカの友人に聞いた話だけれど、カリフォルニアは特に多いらしい。

割り込まれた方はクラクションを鳴らすわけだ。並んでいる方は時速20キロも出ていないくらいのところに、100キロで走ってきた車が急ブレーキで割り込む。車間だって、そんなに空いていない。場合によっては、車1台が入れるかどうかの車間。そんなところに、強引に車の鼻先を猛スピードで突っ込むのだから危なくてしょうがない。だから、クラクションが鳴る。

でね。興味深いのはここから。

割り込んだ車の運転手が、車を止めて降りてくることがあるんだ。ぼくが見かけただけでも1度や2度じゃないんだよ。そんなことある?高速道路でさ。びっくり映像みたいなことが、そこそこ日常になっているのが驚き。口論をしている間に、前方の渋滞は見えなくなる。当たり前だけど、その車より前の車はちゃんと進むのだ。後続車が無駄に渋滞しているだけのこと。この場合は、完全に停止だけどね。何度か巻き込まれたことがあるよ。

危ないということもあるのだけれど、ぼくの思考は迷惑だという方向に向かいがち。1台の車が停車してしまったら、後続車は全部動けない。これだね。どうだろう、実際にぼくと同じ感覚の人もいるんじゃないかな。たったひとりがムカついたというくらいのことで、多くの人に迷惑をかける。しかもその多くの人は、交通事故というリスクを負わされる。他人の迷惑やリスクよりも、自分の意思が優先だというのか。さすがにレアケースだし、思考停止でも「これは自由ではなく自分勝手だ」と思ったのだ。

いつだったか、このエピソードを学校の友達と話していたときのことだ。ただの笑い話としてね。あるある話。で、友人の一人が「これは難しい問題だ。自由と秩序の問題だからね」というのだ。ぼくはこれに衝撃を受けた。え?難しいの?さすがに「個人の自由」じゃないでしょう。

ここで取り上げたのは、個人的に体験したことでしかないし、特定のエリアで起きたことだ。だから、拡大解釈するのは危険だ。もちろんレアケース。まぁ、他にも高速道路以外のケースがいくつかあるんだけどね。

さて、自由と秩序の話だ。集団秩序を重んじるばかりに、個人の自由が著しく阻害されるケースもある。歴史的にもあるし、現代でも存在している。自由にばかり気を取られていると、集団秩序が乱れることも同様だ。

これを見ると、バランスが大切なのだという結論にしかならない。ホドホドに自由で、ホドホドに制約がある状況。できれば、制約も自由意志で決断するのがよろしい。自分の意志で決断したことが、自らの自由を制限して秩序を優先する結果につながること。ここまでいけば、自由と秩序はある程度保たれるのではないだろうか。って、めっちゃ難しい。

今日も読んでくれてありがとうございます。一言に民度と表現されてしまうけれど、社会全体の文化なんだろうなあ。美徳とか美意識にも通じるものなのかもしれない。武士道とか、粋という感覚に近いのかなあ。歴史を紐解くと、日本ってちょっと不思議でさ。ルールとかよりも美意識で社会秩序を保ってきた節があるんだよね。いや、個人の感想なんだけど。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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