今日のエッセイ-たろう

趣味としての料理ってどんなものだろうと考えていたら、食文化の構造に辿り着いたはなし。 2024年12月18日

いつだったか、こんなことを聞いた。料理が趣味って変わっているね。

ぼく自身、料理を趣味にしたことはないのだけれど、趣味や嗜みとして料理を楽しむ人達がいることは知っている。別に変だとも思わないし、はるか古代からあることだし。ただ、上記のように言っている人は、知らないだけなのだろう。

そもそも趣味ってなんだろうな。

ウィキペディアでは「人間が自由時間に好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと」「物の持つ味わい、おもむきを指し、それを鑑賞しうる能力をも指す」などと記されている。

辞書では「仕事としてではなく、個人が楽しみとしている事柄」とも。

ポイントは、個人の楽しみということになるのだろう。それなら、どんな物事も趣味になり得るように思う。いま、それが職業として成立しているものでも、元々は趣味として捉えられていたことも多いと思う。

例えば、歌。はるか大昔、なにかの作業をしながら歌を口ずさんでいる人たちがいた。有名なのはソーラン節で、ニシン漁の手を揃えるために歌われていた歌。映画もののけ姫の中では、たたら場でも歌が歌われていた。生活に密着した存在として歌があったのだろう。

そのうちに、その歌を誰よりも上手に歌う人が出てくる。宴のときには、みんなからリクエストされて歌を披露することもあったかもしれない。そうこうするうちに、歌を歌うのが楽しくなって、個人的に歌を楽しむようになったかもしれない。

絵はどうだろう。文字が生まれるずっと前から絵は存在していて、何万年も前の絵が洞窟の壁画に残されている。それは、文化の記録としての意味合いを持っていたかもしれないし、ただ日々の生活を記録しただけの日記のようなものだったかもしれない。

やっぱりその中に絵が上手な人がいて、頼まれて絵を描くようになったり、儀式に使われるようになったかもしれない。

生活の中から生まれたものが、趣味のようになっていって、儀式になっていく。誰しもが行うことだからこそ、誰にもできないくらいのクオリティを発揮する人が登場する。沢山の人が行うからこそ飛び抜けた能力をもつ人が現れるのは、確率的に発言しやすいというのもあるだろうし、互いに刺激を受けて技術が向上しやすい環境だということもあるだろう。それに、みんながたずさわるからこそ、クオリティの高さが認められやすい。絵も歌も、ものづくりも、運動も、経験者だからこそわかるスゴさみたいなのがあって、経験者がたくさんいるということは評価する側の人も多いということ。

そうなってくると「わかる人・わからない人」という区別が生まれてきそうだ。あの絵の良さがわからないなんて、といって偉そうに言う人も出てくる。わからないくせに偉そうに語るな、という声も聞かれるようになるだろう。そうするうちに、特殊技能は生活者から遠い存在になっていって、「高尚なもの」になっていく。たぶん、そうやって儀式に用いられるようになったんじゃないかな。

実際、食とか料理というのは儀式と強く結びついている。日本であれば、神様に捧げる神饌がそれだし、おモチをついたり酒を作ったりして捧げるだけじゃなくて自分たちも楽しむようになっている。あまり一般的には知られていないけれど、庖丁式という儀式も発達した。大きなまな板の上で、まるで刀のような包丁と長い箸で鯉を捌いていくのだ。神聖な食材だから、手で食材に触れてはならないということになっている。

日本書紀などの古代の文献には磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)という人物が紹介されていて、彼が朝廷における最初の正式な料理人となったという。代々朝廷の料理を司るようになり、後に四条流という料理の流派を生み出し、その中で庖丁式が生まれたのだそうだ。これもまた、たまたま料理の上手な人がいて、その料理に価値を感じる人がいたという構造。

つまり生活者の中から、料理が高尚なものになっていった最初期の出来事と言えるんじゃないかと思う。

勝手な憶測だけれど、「高尚なもの」が存在することで「趣味」が存在するのではないかと思う。みんながみんな、フラットに好きなことを自分の中で楽しんでいる間は、現代語の表す「趣味」にならない気がするんだ。そうじゃないものがあるから、相対的に趣味とよばれるカテゴリが生まれる。

「趣味」という言葉が指し示すものが「カテゴリ」なのか、根本的な意味で「個人の好み」なのか。このあたりは、ふわっとごっちゃになっているけれど、そんなものだろう。

平安時代くらいになると、料理は貴族の教養になっている。歌や楽器、舞などと同列に置かれるようになっていて、これが後にいろんな人達が料理を趣味として楽しむように広がっていくのだ。

で、とても興味深いのは、「高尚なもの」と「生活者のもの」が行ったり来たりすること。例えば和歌だったら、最初は誰でも詠むものとして紹介されている。古今和歌集の仮名序では、生きとし生けるものは歌を詠まずにはいられないということを言っているし、それ以前の万葉集にも一般人の歌もおさめられている。それが、いつしか貴族社会の特徴になっていって、武士社会になってもやっぱり社会の支配層のものということになった。そこでは、とても高度な解釈が繰り広げられていたという。これが、江戸時代に松尾芭蕉のような人たちが、ありきたりの平易な言葉で表現するようになっていく。再び、庶民のもとに帰ってきた感覚かな。

饗応料理の形式として本膳料理が発達し、茶懐石が現れる。これも、高尚なものになった形式を実用的なものに落とし込んだと言える。やがて、江戸時代後期になって現代の潮流に繋がる会席料理の原型が生まれたと思ったら、それがまた高尚なものとして芸術の域に持ち上げられていくのが近代。この生きつ戻りつする中で、生活者のもとに料理という文化や技術や思想を引き戻す動きが何度もあったんだと思うんだ。そして、定食や行楽飯や弁当というフォーマットに取り込まれていく。

このとき、古代からある一汁三菜のような形式の中に、高度化した料理が取り込まれていくんだ。そう考えると、日本の定食屋コンビニの食事が世界的に見てもレベルが高い理由がなんとなく感じられるようじゃないか。現代における定食というのは、元々あるフォーマットの中で表現される饗応料理。歌で言えば、和歌と俳句の関係に似ているかもしれない。

今日も読んでいただきありがとうございます。趣味としての料理を通して、いろいろと歴史を眺めてみたら、日本料理の変遷と言うか構造のようなものにたどり着いてしまった。これが正しいかどうかはさておき、こういう見方もできそうだとは思うんだよね。どう思う?

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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