今日のエッセイ-たろう

静岡茶とブルゴーニュワインの決定的なマーケティングの違いとは。 2024年9月22日

日本酒業界や茶産業の方々とお会いすると、ブルゴーニュワインの話になることがある。大した話ではないのだ。ブルゴーニュワインのような高付加価値商品でありたいという思いから、参考例として登場するだけのことだ。

多くの場合は、「テロワール」が良いということになる。テロワールというのは、フランス語の「土地の個性」とか「風土」を意味する言葉。テロワールによってワインの質が変わるから、それがいちばん大切だよね。テロワールが醸し出すワインはブルゴーニュだよね。良いでしょう。という話。

だけど、ブルゴーニュワインのマーケティング上の一番の特徴、要というのはそこじゃないと思うのだ。テロワールも大切だけれど、もっともっと核となるものが有る気がしている。それこそが、ブルゴーニュワインの高付加価値を支えているのだ。それは、ブルゴーニュというブランドだ。

ブルゴーニュというブランドは、テロワールによって作り出されているように感じるかもしれないけれど、それはブランディング戦略の一部だと思う。例えば、ブルゴーニュ地方でブルゴーニュワインを名乗ることが出来るブドウ畑は限定されている。勝手に畑を増やすことも出来ない。増産が出来ないから、否が応でも希少性は高まるのだ。そのうえ、人工的に水を与えてはならないという、およそ一般的な農業からは考えられないルールも有るらしい。日照りが続いたとしてもホースで水をまくことが出来ない。いくら水を制限すると甘くなるからと言っても、限度がある。せいぜい人間に出来るのは日よけをすることくらい。肥料も入れられないから、当然その年のぶどうの出来は悪くなる。

もし、ぶどうのできの悪さが原因でブルゴーニュワインと名乗る事ができないほどの質になったら、それは他のワイン業者に販売する。購入した業者は、いくつかのワインをブレンドしてオリジナルの味を作り出すことを仕事にしているなどして、それはそれで良い文化であるのだが、その原料として使われるのだ。細かいことは忘れてしまったけど、たしかそんな感じだったはず。

そのうえで、ワインボトルに貼るエチケットには必ず生産年が記載されるようになっている。あれは、記録として記載しているわけでもなければ、賞味期限のためでもない。クオリティーの高いワインがが出来た年がわかるようにしていて、それが高値で取引されるための戦略なのだそうだ。古い時代であれば、ワインの生産年など記載していない。生活の一部として消費されるから必要ないのだ。ワインがマーケットで取引され、高値がつくような価値をもつようになってはじめて「生産年」に価値が生まれる。

テロワールは、こうしたブランディング戦略の一部でしかない。テロワールの概念を取り入れて、シングルオリジンだとかを謳ったところで、高付加価値商品にはならないのだ。

静岡県のお茶は、そもそもブランディング戦略が違う。大量生産と高品質を安定的に実現できること。それを的確に消費地へと届けること。つまり、商品としての安定感こそが静岡茶クオリティーの核となっているはずだ。明治の殖産興業以来の茶産業のスタイルは、静岡県だけでなく鹿児島県のお茶も同様である。実に工業的なブランドとなっていて、どこか日本の自動車に対するイメージと重なるようだ。

土台の違うところに、別のところからブランディングの一部だけを表面的に移植しようとしたところで機能するとは思えない。もし、高付加価値商品への転換を図るのであれば、ブランド力をつけて、その商品を購入してくれる人に届けなければならない。ワイン愛好家クラスターの中でやりとりされる情報や商品のようになるための戦略が必要なのだ。

今日も読んでいただきありがとうございます。ブランドって、時間が作り出すものでもある。歴史があるということは、それだけで価値を感じてしまうのだよね。日本の食文化はその点においてかなり恵まれているはずだから、それを活かしてどう見せるか、どうやって届けるかっていうことを考えなくちゃいけない。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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