今日のエッセイ-たろう

食品ロスから考える「土壌栄養の循環」 2024年10月18日

「食品ロス」とか「フードロス」とか言われていて、食べ物が無駄になっているのは良くないよね、という意識が醸成されていることは良いことだ。食べ物を無駄にすると「目が潰れる」とか「もったいないお化けがくる」と言われながら育ったからか、すんなりと感覚に入り込んでくる感覚がある。

飲食店にとって、食材というのは原料であり同時に資産である。だから、なるべく無駄にせずに使い切るのが経営としても良い。魚を一匹購入すれば、頭も内蔵もヒレもなにもかも料理として活用できればそれにこしたことはないわけだ。料理人の知見や技術はそういったところにも発揮されていて、レシピのうち何割かはそのために存在している。

いろいろ工夫しているのだけれど、それでもやはりごみになってしまう部分はある。ゴミになれば当たり前のごとくゴミ箱行きだ。どうもこれが課題のような気がしている。

農家でも出荷されない農作物は出るはずだけれど、規格外ならば自分たちで消費したり身内に分けたりするし、そうでないものは畑に鋤き込んでしまう。さすがに病気になった野菜を土に混ぜるわけにはいかないだろうけれど、それらも大抵は燃やされて灰となって土の仲間入りだ。農家にとって「土」とそれに含まれる「栄養」は資産なのだから、外に出さないという意味でほとんど無駄にしていないと言えるかもしれない。

近隣の農家に話を聞くと、上記のようなことは当たり前だし、家庭で出た生ゴミも畑の隅に穴をほって埋めることも一般的だという。魚の骨は中々分解されないし、あまり塩分が高いと畑に悪影響があることもあるらしく、それはそれで気を使うと言っていたが、ゴミ箱に捨てることのほうが少ないのだそうだ。

食品ロスという問題を考えるときに、考えなければいけないことの一つに「ゴミの捨て方」がある。もっと言えば、その行く末だ。多くの可燃ごみは、燃やされてどこかで埋められる。この数十年の間にずいぶん状況は良くなったらしいけれど、それでもまだまだ最終処分場へと送られる灰はある。燃やさる前のものや、燃やされた灰も土から出た栄養素から出来ていると思えば、なんとももったいない話ではないか。

プラスチックや金属は回収されて、様々な課題はあるもののリサイクルの仕組みが整っている。同じように、土壌栄養の循環という視点で考えれば、人間が利用できなかった部分は土に戻すのが一番いいように思える。生ゴミの資源化事業は各地で展開されているけれど、メタンガスに変換して電力に置き換えるというものが多いようだ。それはそれで良いとは思うのだけれど、土壌栄養の循環という視点で考えると、リユースである。どうにかして栄養という資源を畑に還元するすべはないものだろうか。

食品ロス削減という話になると、過剰生産が話題になることがある。飲食店や食料品加工、小売、一次産業。それぞれの場合で対策は異なるだろうけれ、一つ言えるのは少し多めに生産してくれているから私達の食生活が成り立っているということを忘れてはならない。かつて備蓄米をすべて売り払ってしまった藩が、飢饉を迎えたときの惨状を思えば、食料の余剰が大切であることはわかるはずだ。現代では、長期保存の効く穀物だけでなく、様々な食料を流通サイクルの中にプールし続けているのだから、余剰在庫の流通を止めるわけには行かないだろう。

だからこそ、作りすぎてしまった加工食品の捨て方が大事なのだと思う。せっかく「食品の形をした栄養」なのに、栄養として活用できない形にして廃棄してしまうのでは、土が一方的に痩せていくばかりである。痩せたらそのぶんだけ肥料をいれるわけだけれど、その肥料の多くは輸入されている。いくらグローバル化して世界とつながったとは言え、物理的な移動には大きなコストが発生するのだから、なるべく近くで循環させるほうが省エネで良いと思ってしまう。

こういう話をしていて、「江戸時代はエコだった」と簡単に美化してしまう人がいる。これには、まったく賛成できない。良い面だけを見て、全体を無視しているからだ。それに、江戸時代の人たちにエコの概念はない。エコ運動らしき活動が商業の中に見られないのだ。

ただ、学ぶところがないわけではない。なければ無いなりに工夫するという姿勢だ。目の前にあるものや、近場で手に入りそうなものを知恵と工夫で利用していく。それしかやりようがなかったし、なるべくお金や労力をかけないようにしただけだった。

現代とは全く違う社会ではあるけれど、エコロジーライフらしきものを体現していたのは、そういう仕組みだったということなのだろう。現代人は、食も土も水も「湯水のごとく」ジャブジャブ使うクセがついた仕組みを作ってしまったのかもしれない。

今日も読んでいただきありがとうございます。Knowフードラジオで食品ロスをテーマに語っていたから、それを受けて色々と思うことがあって書き出してみた。たぶん、しゃべったらもっと出てくるんだろうな。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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