今日のエッセイ-たろう

飲食業界の構造を、資本主義的合理性と推し活から読み解く。 2024年12月20日

いわゆる飲食店というのは、近代産業化にうまく乗れていないような感覚がある。いや、もちろん全てではないのだけれど、うまく近代化したタイプはクリエイティブな意味での評価が上がりづらくて、逆のタイプは利益が出づらい。そんな構造になっている。

まぁ、飲食店に限った話ではなくて、ものづくりだって同じなんだろうけどね。

産業革命以降、ヨーロッパを中心に資本主義が世界中へと広がったわけだ。その過程で、産業が成長するために必要な要件が徐々に定まっていった。自由な市場経済があること。市場が良いと判断したものに価値を置くことにするという前提。価値は価格によって定量化される。お金はより利潤の大きいものに投資される。とか。

まぁ、専門家ではないのであまり詳しくは語れないんだけどね。

最初はものづくりから始まった。より少ない投資でより多くの生産物を生み出す。人件費を抑えて、安く原料を仕入れるのはそれ以前からある家内制手工業でも行われていたから、それを加速させたい。ということで、労働集約型を推し進めることになった。一箇所に集まって大量に作ったほうが効率がいい。資本も大きくなるので専用の機械を導入できる。とか、いい事だらけだ。

まぁ、近代化というのは工業化とほとんど同義だったわけだよね。

どんどん効率化していくと、均質的な商品が市場を席巻することになる。安くて便利で素晴らしい。一方でジョン・ラスキンやウィリアム・モリスは「生活に必要なものこそ美しくあるべきだ」としてアーツ・アンド・クラフツ運動が展開されていく。大量生産のおかげで、日常生活から「美しさ」が削ぎ落とされたのだ。

このせめぎ合いが今でも続いていて、「効率的であること」と「美」は対立されがち。一方からは「無駄」と言われ、また一方からは「無味乾燥」と言われる。

「食産業」を俯瞰してみると、こうした産業革命期の流れとよく似ているように思える。およそ100年ほど遅れて「食」の分野で顕著になるわけだけれど、それは単純に生鮮品を取り扱う工業的技術の発展に時間がかかったからだろう。

こと「外食・飲食店」にジャンルを絞り込んで考えると、セントラルキッチン、誰でも出来るようにデザインされた調理現場、均質で画一的なメニューというのが工業的な発想から生まれてきたものか。つまり生産効率性重視の考え方。

これの弱点は、臨機応変な対応が難しいこと。例えばアレルギー対応だったら、一人一人をケアするのは難しい。だから、対象の食材が入っていないメニューを選んでくださいということになる。料理人の視点から見れば、食材への対応が疎かになっていると思う。食材は、それが人為的に作られた農作物や養殖の魚や獣肉であろうと、天然素材であろうと、基本的に全く同じ品質だなんてことはない。だから、食材の状態に合わせた調理が求められる、というのが和食の考え方の基本。特に、天然素材の魚介は差が顕著だから、素材の状態によって調理方法は変わるし、予めメニューを決めておくなんてことは困難なのだ。

アーツ・アンド・クラフツ運動の中で、ウィリアム・モリスはモリス商会を立ち上げて、自らの理念に基づいたものづくりを行った。その結果、彼の意図に反して高級ブランドになってしまったそうだ。生活の中に美を取り戻すことができたのは富裕層だけ。そういう社会。

同じような構造が日本にもある。大正時代の柳宗悦による民藝運動も日用品の中の美を見出そうとするものだったが、何を美と判断するかに注目が集まってしまった。柳の思いに反して柳自身が権威化してしまったという。

価値を定量化しようとすると、どうしても金銭になる。というのが資本主義の今のルール。逆に言えば、価格がつかないものは市場では無価値に等しいのである。ウィリアム・モリスも柳宗悦も、資本主義のシステムの中で苦悩したのかもしれない。

価値と価格が常に連動する社会では、誰がその価値を担保するかが問題になる。審美眼に優れた人が評価するとか、多くの人の賛同を得ている「ように見える」とか。個人的な価値判断とは別に、みんなが価値を感じそうなものが経済的価値があるということになる。このあたりが、雰囲気で決まっているのが面白いところだなんだけど、少数の好みは経済価値とは無縁ということにもなるんだろうな。

個人の好みと経済的価値をリンクしているのが、プロセスエコノミーと言われるジャンルだろう。もっと平たく言ってしまえば推し活。私個人が好きだから応援する。金銭的にも応援する。かつての旦那衆がパトロンになって作家を支援してきたのと同じなんだけど、一般の生活者が支援できるようになったのだ。旦那の民主化とでも言えば良いのだろうか。

たぶん、かつての高級料亭を支えてきたのは、それぞれの社会や時代の上流にいた人たち。お金持ちが中心だったのだろうと思うのだけれど、それって旦那とかタニマチみたいな特性を帯びた消費者ということになる。好きだから食べに行く、というのと、好きだから支援するというのが一体になっている感覚。だから、時々とんでもないプレゼントをもらうというイベントが発生していたんじゃないかな。新店オープンするとなったら、カウンターに使う高級木材をプレゼントなんて話を聞いたことがある。

料亭とか、高級レストランという存在は、もともと「推し活」と「高級商材の販売」の2つがベースにあるビジネスモデルなのだろう。だとしたら、資本主義的な効率化の枠でビジネスをしても、本来の価値を見失うばかりだ。

もうね。そもそも、アーツ・アンド・クラフツ運動の理念は効率化と相性が悪いってことなのかもしれない。

投資だって、この先会社が経済発展することが見込まれていて、その結果リターンがあることが期待されているから行われるわけでしょう。推し活とは根本的に思想が違うんだよね。経済的にリターンがあるとか無いとかの話は一切なく、ただ応援したいからする。好きという感情が土台になっているという点では、家族や恋人や親しい友人に向けられる感情と同じ類の動機だもの。

だから、料亭は大儲けできない。大儲けしたいという人にもあまり出会わない。お客様との関係性を大切にしていて、そのときにはお客様を金の卵を生むガチョウだとは1ミリも思っていない。お互いに好きであるということが価格に置き換えられない価値だと感じているわけで、そうした世界観の経済活動を行ってきたのじゃないかと思うんだ。

今日も読んでいただきありがとうございます。ポスト資本主義とか難しいことはわからないけれど、プロセスエコノミーや推し活のようなものが、経済中で割合が大きくなっていくんじゃないかとは思っている。で、そこで重要なポイントになるのは、資本主義市場のなかで経済価値が高いと思われていなかったジャンル、ってことになるのかなぁ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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