今日のエッセイ-たろう

魚食文化と養殖。 2025年6月23日

和食には魚が欠かせない。もちろん、精進料理などに代表されるように植物性の料理もあるしのだが、こと現代的な和食に関して言えば、やはり魚がなければ物足りなさを感じる人も多いだろう。味噌汁の具材が豆腐やワカメなどの植物性食品だけだったとしても、ダシは鰹節や煮干しを使うのが一般的。つまり、魚食文化は日本に既存のものとして染み付いているのだ。

魚といっても様々だ。マグロやカツオ、ヒラメに鯛、イワシ、サバ、鮎、うなぎ、鮭。といった魚はかなりメジャーどころ。他にも多くの魚が食用にされるのだけれど、面白いことにスーパーマーケットに並ぶ魚種は、ある程度偏りがある。理由は、日本人の好みに合っているとか、漁獲量が多いとか、養殖が盛んだといったところだろう。養殖に関しては、技術面の課題もさることながら、利益率も影響しているから、ある程度低コストで生産できるうえによく売れる魚種であることが求められる。だから、人気のある魚種が中心になるし、結果として市場に流通する魚種が偏っていくということもありそうだ。

ヒラメ、ブリ、ニジマス、サバ、鮎、うなぎ。このあたりは、天然物も出回っているけれど、養殖を見かけることのほうが多いかもしれない。ちゃんと統計データを見ていないので間違っているかもしれないけれど、特にチェーン店では養殖魚が好まれることから、消費者との接点は多いだろう。なにしろ、生産量が安定しているからレギュラーメニューとして構成しやすいのである。

当然のことながら、当店でも養殖魚を使用することもある。天然物のほうが多いけれど、そればかりでもないし、静岡県の特産品であるニジマスやうなぎは100%養殖だ。

食料を人工的に育ているという行為は、長い長い歴史がある。穀物も野菜も畜産も広義で言えば養殖ものが一般的で、天然ものの牛にお目にかかることはまず無い。食材としてどんな食味なのか、とても興味を惹かれるところだが、きっと硬いだろうから現代的なステーキなどの調理では文字通り歯が立たないかもしれない。そういえば、天然物の豚は比較的近代まで食べられていた。アメリカの国民的料理であるバーベキューの原型は、弱火で時間をかけて焼くための調理技法で、野生の豚を柔らかく食べるためのものだったらしい。沖縄の豚の角煮も、もしかしたら同じ理由があったのかもしれない。

養殖には、メリットもデメリットも有る。最もわかりやすいメリットは、食料の安定供給。穀物の栽培が文明発展の要因の一つとなったということはよく知られているし、酪農も同じ頃に始まったと言われている。デメリットは均質化だ。食料の多様性という観点から見ると歴史的に拡散期と収斂期に分けられるのだが、この数千年ほどは収斂期にあたる。より効率よくカロリーを接種できるものや、栽培効率が高いものなどが選抜されていく。日本ならば、米の栽培量が安定したことでヒエやアワを育てる農家がほとんどいなくなった、という事例がある。

もうひとつ課題となっているのが食味だ。特に近代以降のことだが、「鯛は鯛であれば良いだけではなくて美味しい鯛がいい」という嗜好が強くなった。まだ社会全体が貧しい頃は、どんな品質であれ庶民の食卓に鯛の刺身が登場するだけでも驚きに値する出来事だった。けれども、一般的に誰でも食べられるようになってくると、やっぱり天然の方が美味しいよね、といことになり、必然的に養殖業者も売るためにはより美味しいものを育てる必要が出てきたわけだ。

このことは料理屋としても消費者としても喜ばしいことのはずだ。農作物は、野生のものよりも栽培されたもののほうが美味しいというケースも多い。だが、ここにまた新たな課題が発生する。そもそも、「美味しい魚とは何か」という、より料理の深層に迫る問いでもあり、ある種の哲学的な問いでもある。幸いなことに、日本は長い魚食の歴史があり、美味しい魚を知っているはずだ。そう、脂が乗っている魚が美味しいのである。

多くの魚は、秋から冬にかけてその身に脂肪を蓄える。寒い季節を乗り越えるために必要な脂肪である。サンマやサバ、うなぎ、カツオだってやっぱり秋頃に出回るほうが脂が乗っている。結構昔から「おいしい魚」の指標になってきた。養殖の場合、天然物と比べて餌をコントロール出来るから、人工的に脂の乗った魚を作り出すことが出来る。おいしいものが売れるし、おいしいものを作ることが出来るのならば作る。当たり前のことが起きているわけだ。

しかし、個人的には手放しで喜べないのだ。まず、過剰なまでの脂質の多さ、である。脂の乗った魚が良いとなれば、自然界にはあり得ないほど脂の乗った魚が出回る。包丁をいれると、べったりと脂が包丁に絡みついてくることは、天然物でもあるにはあるけれど、脂質過剰な養殖物はそれを上回ってくる。体長が短くずんぐりと太ったその身は、全体的に柔らかい。全てではないけれど、一般的な養殖魚の共通した特徴である。こうした魚は、食べ始めはおいしいと感じてもすぐに飽きてくる。特に刺身にするとよくわかるのだけれど、口の中が脂で満たされてしまい、箸が進まなくなるのである。統計を取ったわけではないが、お客様の反応にその傾向がよく現れる。脂は確かにおいしいと感じる味ではあるけれど、多ければ多いほどよいというものではない。甘いものはおいしいけれど、甘すぎるものはきついのだ。これと同じこと。そこで、調理段階である程度脂を除去するのである。これは、お客様との対話のなかで確立させていったことなのだけど、ある程度脂を除去したほうがおいしいと感じる人が多かったのだ。おかげで、同じ魚なのになぜか刺身が美味しいと言われるようになった。

脂質過剰は、別の問題もはらんでいる。季節感の喪失だ。例えばカツオ。脂の乗ったカツオが良いというのであれば、旬は秋の戻り鰹ということになるはずだ。けれども夏のカツオもまたおいしいという。日増しに暑くなっていく時期には、油の少ないさっぱりとした味わいが好まれるからだ。さっと炙って、タマネギや生姜とともにポンズでいただく土佐造りなど、暑い時期にピッタリだ。炙って脂を落とし、酸味で脂味をマスキングする。香味野菜や薬味が活躍するのも、動物性脂肪の緩和に効果があるからだろう。焼き肉などで生野菜を食べたくなるのと同じで、ウォッシュ効果が気持ち良いのである。

同じように、考えていけば夏はブリやサーモンも脂質は少な目のほうがおいしく感じることが多い。天然物ならば、自然と脂質量が減るはずだ。そうした循環と長年付き合ってきた食文化があるからなのかもしれないが、夏には夏の、冬には冬の味わいをおいしいと感じるものだろう。現代人は季節感が薄れてきていると言われているけれど、それでも真冬のデザートにスイカを提供されたら「季節感ないなぁ」と感じる人のほうが多いと思う。ならば、真夏に脂の乗ったブリが提供されることも同じく「季節感ないなぁ」なのだ。もっとさっぱりとした味わいの、夏向けのブリを育てるという発想はいかがだろうか。

日本の食文化は、旨味を活用した調理技法が代表的だと言われているが、それは同時に旨味以外のおいしさへの感度の高さの表れでもある。平たく言えば、「旨味成分の多さ」と「おいしいと感じる味」は、イコールではないのだ。人間の感性というのはおもしろくて、ちょっとものたりない、というくらいのほうがおいしいと感じるケースもたくさんあるのだ。そのうえで、他の食材と組み合わせて料理に仕上げていく。日本では食材の旬を「走り」「盛り」「名残」に分類して捉えられる。盛りと比べて味の濃さが落ちる食材も、他の食材と合わせることで「足りなさ」が個性となって、トータルで「おいしい料理」に仕上がる。そもそも、料理の本質は「加工」と「組み合わせ」なのだ。食べられないものを食べられるようにするのが「加工」、複数の味を重ねておいしさを作り出すのが「組み合わせ」である。あらゆる食材が「単体としての主張」をするようになると、途端に組み合わせが難しくなるのは明白だろう。という意味で、過剰な脂質は見直したほうが良いと思っている。

さて、こうした養殖魚の特徴を生み出しているのは、餌と環境だ。あらゆる動植物に言えることだけれど、生き物は食べ物でできている。いつだったか、試しに海辺に住んでいる鴨を食べさせてもらったことがあるのだけれど、とても生臭かったのを覚えている。何を食べて育つかによって、身質が変わるのは当然のことだろう。脂質が多いのも、一般的に餌に使われる魚粉や魚油由来だそうだ。時々、養殖魚特有の臭さを感じることがあるけれど、それも主に餌の匂いが原因だ。ブランド養殖魚のように、様々な工夫がされて臭くないどころか良い香りがするものも登場しているから、改善することは可能なのだろう。魚の不飽和脂肪酸はニオイ成分と結着するから、うまく使えばこうしたことも可能だという。けれども、それはそれでコストがかかるために、食料需給の意味ではなかなか難しいところでもある。

食料需給と生産コストを考えると、養殖期間は短いほうが良い。なるべく早く大きく育ってもらって、ドンドン出荷していくこと。その方が生産効率も高いしビジネスとしても良い。食料の安定供給としても良いということは間違いない。一方で、食味という意味では太るのと大きく育つのとでは異なる。樹木で言えば、同じ太さの木であっても、年輪の幅が全く違う。早く太った個体は、身が柔らかく締まりが無い事が多い。歯ごたえもおいしさに含まれるから、生産性とおいしさはトレードオフの関係なのかもしれない。引き締まった肉体は、筋肉質である。筋肉はタンパク質の塊で、これが分解されると旨味成分であるアミノ酸になる。鯛やヒラメ、ふぐがおいしいのは、その身が筋肉質で引き締まっているからに他ならない。そのうえで脂が乗っているというのだから、人間で言えば力士のような状態だ。養殖でこれを実現するには、コストが掛かりすぎるのだろう。

ただ、どんなに環境負荷が低くて社会貢献度が高くても、それは広く社会に浸透してはじめて効果を発揮する。環境負荷のことばかり考えて生活している人などごく少数派で、ほとんどの人は日々の生活に重心がある。環境や社会にとって良いことだとわかっていても、そのためのコストを支払えるかどうかは別問題だ。手頃な値段であれば手に取ることが出来るが、高ければ一部の人達にしか受け入れられない。ブランド品はそれでもいいかもしれないが、環境負荷を下げるとなれば広く普及することが求められるので、価格を下げることも重要な課題となる。そして、おいしさもまた普及するための要素の一つとなっている。同じ価格で天然のおいしい魚が手に入るならそちらを購入するというのは自然なことだろうと思う。ならば、養殖魚はある程度価格を抑えたうえでおいしさを提供するというのも命題になりうる。

近年、魚離れが進んでいると言われていて、その原因は多様だろうとは思う。ただ、調理が面倒だという理由だけでこれほど魚離れが進んだとは考えにくい。むろん、その側面もあるにしても、人はおいしければ食べるし、それが手頃な価格ならばもっと魚食が進むだろうとも思う。

自然環境の変化や、社会の変化。これらに合わせて、魚介の養殖は必要な取り組みのひとつだ。養殖魚と天然魚がどちらも手に入る食文化が望ましいと思っていて、養殖魚が流通することで海の負担が下がれば良い。などと思っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。仕事で養殖魚介類の調理を行うことになってね。で、サンプルを味見したり調理したりという日々が続いているんだ。ちょっと厳しい言い方になっちゃうけど、たぶん店の食材としては仕入れないだろうなと思うものもあって、味の面ではまだまだ改善の余地がある気がする。とはいえ、それぞれに良さはあって、それを最大限に発揮するためのポイントを探り出すという作業はなかなか面白い。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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