今日のエッセイ-たろう

AI産業革命は、ぼくらの生活をどう変えていくのか。 2024年10月3日①

現代はちょうど産業革命の真っ只中だというのだけれど、あまり実感がない。いや、頭ではわかっているつもりだけれど、歴史の教科書で学んだ18世紀後半から19世紀の様な「大変革」が起きている「感覚」が薄い。僕だけかな。ということで、自分なりに整理してみようと思う。

まず、イギリスの産業革命が起きてから先、何が変わったのか。ここから始めよう。産業資本化が力をつけたことで、資本主義が勃興し、国の主権も王から国民へと移った。それはそうなんだけど、フランス革命のような主権のゆらぎが起きるているかというと、日本では体感しにくい。それよりも、巨視的に見た産業のフレームの移り変わりを想像したほうが、まだわかりやすい。ぼくは資本家ではなく労働者なので、労働者がどのように変わったかということを考えるのが良いだろうか。

産業革命以前の産業、つまり物を生産するということは、多くが手作業。水や風、動物の力を借りてはいるけれど、結構多くの部分を人間が担っていたわけだ。社会のほとんどがブルーカラーだった。そもそも「産業とは物理的なパワー」が必要なんだ。うろ覚えだけど、産業とは自然資源を取り出して人間活動に利用する」というようなことをマルクスが言っていたような気がする。取り出すのも、加工するのも、運ぶのも、みんな物理的なパワーが必要だということだ。

だから、多くの「人類はパワーを提供する存在」だった。

ところが、物理的なパワーは蒸気機関を皮切りに、石油や電気によって得られるようになった。人間はパワーを提供しなくても良くなっちゃった。おっかない例えをしちゃうけれど、戦いで勝つためには武術の訓練が必要で、それが出来る人が偉かったのに、肉体的な強さがなくても戦えるようになった。みたいな話。だって、どんなに力持ちの人間でも蒸気機関車に勝てるわけ無いもの。

そこで、人類はパワーを「使う」ための能力を重視するようになった。「計算能力」とか「言語能力」とか、いわゆる国民教育で行われた能力開発がこれに当たるのだろう。

人が発揮できる「力」には色んなジャンルがあって、その中のどの部分にフォーカスがあたっているか、っていうのが社会の変遷と関係している。とすると、これから先はどんなジャンルの「力」にフォーカスが当たるのだろう。

というのも、今まで重視されてきた「力」は、再び別のものが担ってくれるように変化しつつあるから。ご存知人工知能だ。

どう考えたって情報処理能力でAIに勝とうなんてことは、普通の人間には出来っこない。計算の早さも量も人類の圧倒的敗北である。合理的な最適解なんてものは、一生懸命勉強しなくたって数秒も有れば答えが出る。世界中の言語を学ばなくてもコミュニケーションがとれるし、難解な理論も噛み砕いて使いやすくしてくれる。近代的パワーである動力と、現代的パワーである学力を組み合わせたら、もう何かを作るのに人の力なんかほとんど要らなくなっちゃう。

もう、ほとんど古代ギリシアのアテネみたいな世界。みんな奴隷がやってくれるから、アテネ市民は暇でしょうがない。スクールの語源って、確か暇人とかいう意味じゃなかったっけ。

あと百年もすれば、人間は集に時間も労働すれば十分だという世界がやってくる。って言ったの誰だっけ。たしかもうすぐ、その百年後になるはず。でも、労働しなくても生産される時代になっていないのはなぜだろう。無駄な仕事(ブルシット・ジョブ)をやっているとか、新たな需要(=欲望)を作り出してしまったとか、富の囲い込みがあるとか。そういうことなんだろうけど。いずれにしても、人工知能の発達によって、基本的な生産物が一定水準で行き渡るようにはなるだろう。そんな馬鹿なと思うかもしれないけれど、現代において世界中の殆どの地域で石油や電気が利用されるくらいにはなろうかと思うのだ。

さあそうなっていくとしたら、ぼくらに求められる「力」、それは何だ。もしアテネを参照するのであれば、スポーツ、哲学、芸術などの分野が伸びるということになるだろう。なにしろ、暇人だ。案外人間っていうのは、なにかやっていないと生きていられない。お金があって一生生活に困らないとしても、暇で暇でどうしようもないというのだ。そういう意味では、自分が楽しむとか、誰かを楽しませるということがフォーカスされる。楽しませる「力」はなんとなくわかるけれど、「自分が楽しむ力」ってどういうことだろう。

自分にとっての楽しさがわかること、そしてそれを行えること。だからといって、他人の楽しさを妨害したり搾取したりしていいわけないから、ちゃんとバランスが取れること。そのうえで、「自分にとっての楽しい活動」が誰かの楽しいにつながるのが理想。まさにスポーツ選手やアーティスト、ゲーマーなどがこれに当たる。アテネもそんな感じだったしね。

ソクラテスやアリストテレスが生きた時代と大きく違うのは、社会も個人も多様性が高いことだろうか。例えば絵でも彫刻でも、2500年前とは比べ物にならないくらい色んなジャンルが生まれている。ソクラテスがマルセル・デュシャンの泉を見たらどう思うんだろう。モーツァルトがデスメタルを聞いたらどう思うんだろう。かつて存在しなかった「楽しい」が、現代ならいっぱい登場していて、それぞれの「楽しい」に沢山の人が自律的に参加できるようになった。

あぁ、なんだか見えてきた気がする。いま、無意識に「自律的」という言葉を書いたのだけれど、ここがポイントになりそうだ。すごく多様な社会だからこそ、自分の生きざまを自分で定義しなくちゃいけないのだ。

今日も読んでいただきありがとうございます。食の未来を考えていたらね。生活スタイルとか、産業構造が気になってきたんだよ。たぶん、食事ってそういういろんな要因で変化するだろうからさ。あ、まだまだ続きます。いま半分くらいのところなので、続きはまた明日。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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