今日のエッセイ-たろう

江戸の歴史260年をヒントに現代を考えてみる(後編)。 2023年6月5日

昨日の続きです。前編を読んでないと話が繋がらないと思うので、よかったら昨日のエッセイも読んでから進んでみてください。

武士という特権階級にあって、収入も権威も格差の大きい時代。きちんと民草の幸福を支える政策を生み出して実行しているのならば納得できるけれど、藩の体裁を守るための仕事が増えてきたのもこの頃からだ。参勤交代には莫大な費用と人員が必要だったのだけれど、それだけの資本があれば官営工場を毎年ひとつずつ作ることも出来た。飢饉の時、藩の失政が幕府に知れると改易されてしまうかもしれないという恐怖から、餓死者がいないと報告した藩もあった。実際には5万人が亡くなっていて、もっと多くの人達が苦しんでいるのに、だ。

興味深いことに、このくらいの時代から庶民の経済力が強くなってくる。京都の越後屋を江戸に進出させた三井高利を始めとした商人たち。穀物だけでなく商品作物を作り貨幣を蓄積し始めた農民たち。その余剰生産が武士の生活を支えているのだけれど、それと同時に文化人たちの生活を支えるようになっていく。松尾芭蕉や井原西鶴、近松門左衛門といった芸能文化を担う専門家たちである。自ら食料を作ることはないけれど、食料を作る人達を楽しませるという別の価値を生産し始めた。

もしかしたら、自分たちのために価値を提供してくれる人に対して余剰生産を回したい、という気持ちが構造的に現れたのかもしれない。当時の庶民がそうした感覚を持っていたとは思わないけれど、現代から過去を振り返って観察すると、そのようにも見える。だとすると、武士階級に対する余剰生産の供与は、「ルールだから」になっていく運命だ。そこには、生産者である庶民の気持ちが欠落しているようにも見て取れる。

とんでもないことだと思うのは、人口の集積。江戸が100万人都市だった、というのは聞いたことがあるだろう。これは、よく考えてみるとかなり特殊なのだ。江戸中期の日本の人口はおよそ3000万人前後、同時代の明は3億人前後である。だいたい10倍なのだけれど、それぞれの首都の人口は同じくらいだ。当時の世界の国々の国内人口分布を見ると、大都市ベストテンに居住していたのは全体の1~2%程度だという。これに対して日本は江戸、京都、大阪の3都市だけで8%程度だったらしい。

それは、食糧生産をせずに生活している人たちの比率が異状に高いということである。農業生産力が高いことと、それを輸送できる物流やある程度開かれた市場が形成されていたという社会インフラが発展したことを証明しているようである。高度に分業された産業も発達。たとえば筆を一本作るにしても、毛を用意する人、束ねる人、柄に付ける人、などと言った具合だ。

それと同時に、世界で最も遊びが深くて多様な時代である。生産効率がとか、利益がという話じゃなくて、行為そのものが面白くなっちゃった人対がたくさん登場した。たぶん、先述の分業化された職人社会の気質が影響しているんじゃないだろうか。北斎なんかも、情報媒体の挿絵というレベルではなくなってしまっている。一体どこの世界にヘラブナを釣るためだけの釣り針を数十種類も作り出すだろう。そば打ちが楽しくなって、それを趣味にし始める人たちが集団化するだろうか。現代風に言えば圧倒的なオタク文化が形成された時代でもある。文化的には、これが最後の60年に大きく花開いていくのだ。こうした現象は、都市集約型の社会が原因のひとつになっただろうと思う。もちろん、それだけではないだろうけれど。

都市に人口が集約されると、物理的に狭い地域の中で情報のやり取りが活発になる。知の共有だ。日本の平均識字率が4割程度だったというのは、こうした一極集中社会が基盤となった。現代であればあらゆるメディアやインターネットがこれを担ってくれる。けれども、昭和くらいまでは「都会にいる」ことが重要だったのだ。この環境に惹かれて、農業の適性がない異端児達も集まってくる。現代の価値観で言えばイノベーションを起こす人たちだ。時代を動かすイノベーターが都市部から生まれやすかったり、農村よりも水の民が暮らす地域に多いのはこうした背景があるようだ。

一方で一極集中となった大都市には大きな弱点がある。感染症である。このあたりはまだ勉強中なのだけれど、どうやら江戸は平均寿命が短かったらしい。だから異端児の遺伝子が途絶えやすかったという話も聞いたことがある。

長々と書いたのだけれど、要約するとこういうことかもしれない。

最初の100年は武士階級がちゃんと社会的価値を生み出した。つぎの100年は庶民がほとんどの社会的価値を生み出し、武士は中抜きポジションに収まった。中抜きポジションであり、権力ポジション。

さて、これらの話は現代にどう繋がってくるのだろう。ぼくたち現代人は何を見て、何を掴み取って、どう活かしていくのだろうか。というのが次のステップ。個人の学びの上に個人の見解を重ねることになるのだけれど、もうちょっとだけ思考を進めてみよう。

現代というのは、江戸時代になぞらえると最後の60年の入り口あたりにいるように感じるのだ。ロシアやイギリスなどが日本へとやってきて、それまでとは違った社会を知った頃。社会が変わるだろうことは有識者にとっては自明の理でありながら、社会構造は真ん中の100年に構築された超保守。前線に出るのは身分の軽いものという思い込みに縛られた武士たちは、黒船来航の際にも前に出ようとはしなかった。イノベーションを起こす異端児は社会から抹殺された。でも、確実に時代は大きく変わる。どうする?という時代。

幕末になぞらえるのならば、内部から現れた異端児たちが社会構造を新たな社会に合わせて作り変えるのだろう。既存の権力の中枢にいる人達は、当然のことながらそれらの新勢力に対抗する。少し前にネット上で炎上したのは、同じ現象に見える。現代ではおおざっぱに年齢で区切られることがあるけれど、そうとばかりも言えないだろう。かつての外様大名のように、旧権力にいながらもその中の外れ値だった存在がいる。

だから、きっと抑えきれなくなって時代は動く。だとしたら、そもそも抑えないことを考えなくちゃいけないのだろう。抑えるからつぶしあいになる。潰しあいになると、その余波で旧時代のいろんなものを破壊して作り替えようとしてしまう。フェノロサや岡倉天心がいなかったらと思うと、ちょっと恐ろしい。今の日本は、日本の美徳をギリギリのところで明治以降に引き継いだのだ。もしかしたら、日本の伝統的な良きことはあの時点で消滅していたかもしれない。そういう国もあるのだ。

表面に見える「変えるべきこと」は変革が必要だ。それは当然だし進めるのが良いと思っている。「変えるべきこと」を「支えているなにか」を無くせば、改革は進むように見える。ただし、「支えているなにか」は別の「良きこと」を支えている可能性もある。旧体制を壊すために、古い思想を破壊しようとしたことが廃仏毀釈に繋がったと言われる。これを壊せば新しくなるのは分かるけれど、壊したことで継承すべき良いことまで壊れそうになったというのが明治維新である。このあたりの見極めが現代においてはじゅうようになるのじゃないだろうか。

今日も読んでくれてありがとうございます。たべものラジオとは全く関係ないことに興味が向かってしまった。そして、番組の趣旨から外れすぎていて、発散させる術がない。ということで、ここにダラダラと書いたというわけ。こんなに長く書いたんだけど、たぶん会話のほうが早いしわかりやすいと思うんだよね。まぁ、遅い思考のためには一旦こうして書いたほうが良いのだから、いっかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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