今日のエッセイ-たろう

オリンピックという世界儀礼。 2024年7月31日

オリンピックが始まった。種目数が多いから全部は見ることが出来ないけれど、楽しみにしている。日本選手の活躍も嬉しいし、そうでなくても試合を見ているだけでも楽しい。純粋にスポーツ観戦を楽しむということもあるし、なんだか世界中の人達が集っている姿を見るのもワクワクするんだよ。なんでだろう。

自分でも良くわからないのだけれど、色んな人たちが集まってきてワイワイ楽しんでいる姿が好きなのかもしれない。そういう意味でも、開会式を見るのも好きだな。今年は、時間の都合でリアルタイムで見ることは出来なかったけど、再放送で少しだけ見た。ホントはちゃんと最初から最後まで見たいところだけれど、我が家には録画機器がないことをすっかり忘れていて、どうしたものかと思っているところではある。

開会式では、いろんな国の人達が選手団を形成して入場するわけだけれど、これがまたなかなかに楽しいのだ。馴染みのある国や、名前だけ知っている国、なんとなく情勢を把握している国、世界史の勉強をしているときに登場する国。世界地図でも眺めているような感覚もある。表示形式が地図や地球儀でもなくて、一覧表でもない。また別のフォーマットで世界中の国々を俯瞰して見るような気分になる。あまり詳細の情報はないけれど、そこには動いている人物がいて、しかも笑っている。世界中の国の笑顔マップ。そんなふうにも見える。

オリンピックの起源は、ギリシアのポリスによる競技大会だそうだ。ポリス同士が争っていると、互いに良いことはない。互いに疲弊するだけだし、さらにペルシアやゲルマン民族などの外敵もいる。だから、戦いはこの中だけにして、和気あいあいと交流しましょうよ。顔見知りになれば、それなりに連帯感も生まれるはず。そんな意図だったという。だから、ここに互いの国の政治だとか、遺恨だとかそういうのは持ち込まない。

ある種の儀礼なのかもしれない。ほら、会社や学校でも朝礼っていうのがあって、一般社会でも結婚式とか法事とかいろんな儀式があるでしょう。あれ、なにかしらの必要性があってやっていると思う。よく聞く話だけど、結婚式を挙げることで実感が得られるとか、法要を行うことで心の整理がつくとか。あえて行動を規定することで、自分の気持ちに影響を与えるっていうことがあると思うんだ。オリンピックというのも、世界平和を象徴する儀式として行っているようにも思える。

前回大会は、コロナ禍だったこともあって賛否両論あったよね。こんなご時世でやるべきじゃないという声もあった。だけど、個人的には開催してよかったんじゃないかと思うのだよ。平和の儀式っていうのを、あえてやる。紛争や戦争、政治の緊張、経済などなど、互いに思うところはあるだろう。だけど、今は世界的困難であるパンデミックをみんなで乗り越えて、また今までのようなオリンピックが出来るように協力しようよ。そういうメッセージだと思ったし、それを実感するための儀式だと思った。

◯◯フォーラムとか◯◯シンポジウムとか、いろんな業界でいろんなイベントが開催されている。そういうことが出来るくらいにはパンデミックが落ち着いてきた。経験したことが有るかもしれないけれど、こうしたイベントに参加する時のモチベーションが「何か得られるものが有る」という合理的判断だけじゃないときがある。聞いたこと有る話だから合理的にはメリット無さそうでも、この人に会えるなら嬉しいな、こういうことに興味のある人たちに会ってみたいな、というモチベーション。ない?

合理的で理性的な思考はとても大切。だけど、ぼくらは感情がある動物なんだよね。だから、感情と理性を組み合わせる必要があって、そのために儀礼というものがあるのかもしれない。なんてことを思うんだ。

今日も読んでいただきありがとうございます。良かったよね。なんとか普通にオリンピックが開催できる世界になって。いろいろ思うところはあるかもしれないけど、前回大会を思えば喜ぶことなんだ、きっと。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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