今日のエッセイ-たろう

花火と浴衣とTPO 2024年8月2日

夏になると、あちこちで花火大会が行われる。ちょっと大きな大会になると、地元だけじゃなく遠方からも多くの方が見える。この暑い中ご苦労なこった、と独りごちるのは、そこに行くことが出来ない身上からの負け惜しみだ。なにはともあれ、花火大会に多くの人が集まれるようになって良かった良かった。

花火とくれば浴衣にうちわというのは夏の風物詩である。家の前からカランコロンと軽やかな音を立てて夕涼みをしながら歩くのは、なんとも風情があって良い。そんな幼少期の記憶があるのだけれど、いまではそうもいかないのだろう。とにかく暑くて、夕涼みどころではない。それに人数も圧倒的に多い。半世紀もたたないうちに、多くの人がひとつの花火大会に集まるようになったものだ。

電車に乗ってどこかに行くときには、きまって洋服か着物だったと思う。近所の花火大会や盆踊りなどでは浴衣を着た祖父母とともに、ジンベエを着てはしゃいでいたのだが、それは近所だからだった。何かの用があって、出かけなくちゃいけないときは浴衣から着替えをしたものだ。考えてみればあたり前のことで、例えば旅館の浴衣でちょっと散歩するくらいなら構わないけれど、レストランに行くのは少々憚られる。浴衣っていうのは部屋着なのだから、それが自然だったのだろう。教えられたと言うよりも、祖父母の振る舞いから、自然にそう思うようになっていた。

時々、浴衣のまま電車に乗って出かけてしまうツワモノもいる。浴衣でタクシーにのって出かけていき、ちょっと雰囲気の良いラウンジに入ろうとして入店を断られている姿を見たことも有る。なんとなく、そうだよなと思う人もいるだろうけれど、これが花火大会となるとまかり通るから面白い。

ちょっと遠くても「浴衣で花火」を楽しみたい。そんな気持ちがそうさせているのだろう。となると、浴衣を作る方も考える。じゃあ、流石に寝巻きや部屋着のような浴衣じゃみっともないだろう。外出着っぽく着飾れるものがあったほうが良い。なんて具合に、工夫されてよそ行きの着物のように変化していく。そうすると、それまで「浴衣で遠出なんて」と思っていた人も、「最近の浴衣、ちょっと良いかも。」となっていく。気がつくと、浴衣で電車に乗ることくらいは「当たり前」のこととして受け入れられるようになるのだ。

そもそも、服装などというものに敏感な人でも、TPOに気を使う人は少ないのかもしれない。ぼくがそうであるように、周囲の大人たちの振る舞いを見て判断しているに過ぎない。スーツの何がフォーマルで何がカジュアルなのかを知ったのは、営業で外回りをする頃になってからのことだ。ちゃんと学べば、ルーツと理由があることがわかる。けれども、周囲の状況によって様々に変化するのもまた文化と言える。

つまりは、「本当のこと」を知らない人のほうが、新たな文化を作り出すのだろう。それが良いことかどうかは別の話だし、知っていたほうがイノベーションとしては精度が高いと思うのだが、それでも「知らない」は新たな流れを作り出す。経験に学ぶというのはそういうことだ。

そば切り、握り寿司、天ぷら、うなぎ。これらのファストフードが高級化してコース料理になったのはいつの頃だろう。来歴を知っていて、あえて変化を加えていったのか。それとも、知らなくて変化したものなのだろうか。近年では高級コース料理におでんも仲間入りすることが有るらしいし、高級ハンバーグなどという出自とは無縁の発展を見せる食文化も有る。

あくまでも想像だけれど、知らないのではなくて、あえてやっているという気がしている。そこに特別な思い入れがあったり、工夫があるのだ。そして、少しばかり滑稽にみえるかもしれないけれど、それを楽しみつつ、そうじゃなくなる世界を見ようとしている。

今日も読んでいただきありがとうございます。ずっと変化し続けていて、とどまることがない。文化ってそういうところが面白いと思うんだ。ルールでがんじがらめにするよりも、面白がっているくらいのほうが、かえって本流のルーツを守ることに繋がるかもしれないよ。

タグ

考察 (300) 思考 (226) 食文化 (222) 学び (169) 歴史 (123) コミュニケーション (120) 教養 (105) 豊かさ (97) たべものRadio (53) 食事 (39) 観光 (30) 料理 (24) 経済 (24) フードテック (20) 人にとって必要なもの (17) 経営 (17) 社会 (17) 文化 (16) 環境 (16) 遊び (15) 伝統 (15) 食産業 (13) まちづくり (13) 思想 (12) 日本文化 (12) コミュニティ (11) 美意識 (10) デザイン (10) ビジネス (10) たべものラジオ (10) エコシステム (9) 言葉 (9) 循環 (8) 価値観 (8) 仕組み (8) ガストロノミー (8) 視点 (8) マーケティング (8) 日本料理 (8) 組織 (8) 日本らしさ (7) 飲食店 (7) 仕事 (7) 妄想 (7) 構造 (7) 社会課題 (7) 社会構造 (7) 営業 (7) 教育 (6) 観察 (6) 持続可能性 (6) 認識 (6) 組織論 (6) 食の未来 (6) イベント (6) 体験 (5) 食料問題 (5) 落語 (5) 伝える (5) 挑戦 (5) 未来 (5) イメージ (5) レシピ (5) スピーチ (5) 働き方 (5) 成長 (5) 多様性 (5) 構造理解 (5) 解釈 (5) 掛川 (5) エンターテイメント (4) 自由 (4) 味覚 (4) 言語 (4) 盛り付け (4) ポッドキャスト (4) 食のパーソナライゼーション (4) 食糧問題 (4) 文化財 (4) 学習 (4) バランス (4) サービス (4) 食料 (4) 土壌 (4) 語り部 (4) 食品産業 (4) 誤読 (4) 世界観 (4) 変化 (4) 技術 (4) イノベーション (4) 伝承と変遷 (4) 食の価値 (4) 表現 (4) フードビジネス (4) 情緒 (4) チームワーク (3) 感情 (3) 作法 (3) おいしさ (3) 研究 (3) 行政 (3) 話し方 (3) 情報 (3) 温暖化 (3) セールス (3) マナー (3) 効率化 (3) トーク (3) (3) 民主化 (3) 会話 (3) 産業革命 (3) 魔改造 (3) 自然 (3) チーム (3) 修行 (3) メディア (3) 民俗学 (3) AI (3) 感覚 (3) 変遷 (3) 慣習 (3) エンタメ (3) ごみ問題 (3) 食品衛生 (3) 変化の時代 (3) 和食 (3) 栄養 (3) 認知 (3) 人文知 (3) プレゼンテーション (3) アート (3) 味噌汁 (3) ルール (3) 代替肉 (3) パーソナライゼーション (3) (3) ハレとケ (3) 健康 (3) テクノロジー (3) 身体性 (3) 外食産業 (3) ビジネスモデル (2) メタ認知 (2) 料亭 (2) 工夫 (2) (2) フレームワーク (2) 婚礼 (2) 誕生前夜 (2) 俯瞰 (2) 夏休み (2) 水資源 (2) 明治維新 (2) (2) 山林 (2) 料理本 (2) 笑い (2) 腸内細菌 (2) 映える (2) 科学 (2) 読書 (2) 共感 (2) 外食 (2) キュレーション (2) 人類学 (2) SKS (2) 創造性 (2) 料理人 (2) 飲食業界 (2) 思い出 (2) 接待 (2) AI (2) 芸術 (2) 茶の湯 (2) 伝え方 (2) 旅行 (2) 道具 (2) 生活 (2) 生活文化 (2) (2) 家庭料理 (2) 衣食住 (2) 生物 (2) 心理 (2) 才能 (2) 農業 (2) 身体知 (2) 伝承 (2) 言語化 (2) 合意形成 (2) 儀礼 (2) (2) ビジネススキル (2) ロングテールニーズ (2) 気候 (2) ガストロノミーツーリズム (2) 地域経済 (2) 食料流通 (2) 食材 (2) 流通 (2) 食品ロス (2) フードロス (2) 事業 (2) 習慣化 (2) 産業構造 (2) アイデンティティ (2) 文化伝承 (2) サスティナブル (2) 食料保存 (2) 社会変化 (2) 思考実験 (2) 五感 (2) SF (2) 報徳 (2) 地域 (2) ガラパゴス化 (2) 郷土 (2) 発想 (2) ビジョン (2) オフ会 (2) 産業 (2) 物価 (2) 常識 (2) 行動 (2) 電気 (2) 日本酒 (1) 補助金 (1) 食のタブー (1) 幸福感 (1) 江戸 (1) 哲学 (1) SDG's (1) SDGs (1) 弁当 (1) パラダイムシフト (1) 季節感 (1) 行事食 (1)
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

-今日のエッセイ-たろう
-,