今日のエッセイ-たろう

関係ない事柄を結びつけて、因果関係があるかのように振る舞うこと。 2024年8月31日

ジェンダーについて考える機会があるようなないような。社会問題としては理解しているつもりなんだけど、身の回りではあまり気にしていないかもしれない。というのも、普段から付き合いのある人たちだから、お互いに性別を強く意識しないでいられるからだろう。

男性であることは、自分を構成するひとつの要素だし、男性として生活してきた経験も今につながっている。なんというか、特徴の1つではあるよね、という感覚。同じように、女性も女性であることはアイデンティティの一部ではあるのだろうと思っている。

それって、例えば「メガネを掛けている」とか「髪が長い・短い」といった特徴と似たようなものだと思う。メガネを掛けているということは、裸眼では生活に支障がある程度の視力ということ。メガネを選んだりするのも、浴室では周りがぼやけてしまうのも、メガネや視力に関わるあれやこれやが生活の一部。髪が長ければ、手入れに時間がかかるだろうし、ショートとロングでは合わせる服も異なるかもしれない。

アナロジーとして適切かどうかはよくわからない。ただ、そこには確実に違いがあることは認識しつつ、だからなんだっていう程度の話だと思うのだ。で、いくつもある特徴の中で、有利に働いたり不利に働いたりすることってあるじゃない。背が高ければ高いところにあるものを取るときには手が届くし、逆に頭をぶつけたりすることもある。物理的な現象として、そういうことはあるわけだ。ジェンダーについても、そういう差異はある。

背が高いということと、手先が器用だとか不器用だとかということとは関係ない。メガネを掛けていることと、学問に長けているかどうかも関係ない。同じように、女性だからといって、酒を飲むとか飲まないとかも全く関係がない。

「SAKE Street」の記事(https://sakestreet.com/ja/media/women-in-the-sake-world-2)を読んで、このエッセイを書いているのだけれど、ぼくが感じたのはこういうこと。つまり、特徴と特徴が示す傾向というのは存在するだろうとは思うが、関係ないことを紐づけているしまうことには違和感がある、ということだ。

ジェンダーに限らず、全く因果関係のない事柄を持ち出して、それをあたかも因果関係があるかのように振る舞うこと。それが問題になっているような気がする。

料理人なのにトークスキルがあって、やたらと歴史などに詳しい。というのは、ぼくのことだけど。「なのに」という部分には、職人というのは無口なものだ、という思い込みがあるのかもしれない。だから、料理人らしくない、と言われる。別に、ぼくはこれで嫌な思いをしたことはない。だから、全く気にしていなかったけれど、「料理人」という特徴には何かしらのイメージがあって、ぼくはイメージから外れているということなんだろうな。まぁ、そのイメージとぼくとは全く関係がないわけだ。

ぼくの周りでジェンダーにまつわる問題があるのかないのかよくわかっていない。当事者が認識していないだけなのだろうか。少なくとも、職場や観光事業、たべものラジオでお会いする方々との間では、偏見のようなものを感じたことがない。

その世界では、オシャレな人をオシャレだねっていうし、キレイだったりカッコイイということを素直に口にする。なかなか着こなしの難しそうなロングコートも、その人が着こなすとカッコイイ。なら、それはシンプルに素敵だねってはなしだ。そこに、男性性や女性性が影響しているなら、それは差別ではなく特徴何じゃないかと思っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。センシティブなはなしだからね。色々と賛否はあると思うんだ。ぼくだってきっとバイアスがかかっているはずだし、わかっていなこともたくさんあるはず。とりあえず、「自分の視点はバイアスがかかっているから、他の視点も受け入れる姿勢でいよう」ということと、「因果関係のないところで変なストーリーをこじつけないようにしよう」という2つは、意識しておきたいなと思っているところです。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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