今日のエッセイ-たろう

何を守り、何をあきらめるか。それを判断するにはスピードが早すぎる。 2025年6月3日

掛川に戻って10年。ずいぶんと世間の様相が変わった。それ以前も動きが早いとは思っていたけれど、やっぱりこの10年ほどは、ずいぶんと社会が変わったような感覚がある。

もともと、通信業界にいたこともあって、インターネットというものが社会インフラとして敷衍していく様子を売り手の側から眺めることが出来た。30年ほど前に携帯電話というものが徐々に庶民の手に届く価格になって、人口の4分の1が携帯電話を所有するというところから、気がつけば当時のコンピューターを遥かに凌ぐ性能と通信機能をもった機械が手の中にすっぽり収まるようになった。それどころか、人格など持たないはずのものと会話らしきものが成立するようになっている。調べ物などは、自分自身の学びになるかどうかは別として、何十時間も費やさなくてもあっという間に答えを導き出してしまう。

人口動態も、経済も仕組みも、そしてなにより価値観も大きく変わっている。社会というのは、常に移り変わるし、その都度仕組みを変えていかなくちゃいけないのは歴史に学ぶところなのだけれど、それにしても早い。史上最速ではないだろうか。既存の仕組みがドンドン社会に合わなくなっていて、ぼくらは変容することに少しばかりのストレスを感じているように思う。人間の認知変容というのは、さほど早くなくて、社会のほうが早すぎる。そんな感じがする。

そうは言ってみても、テクノロジーの進歩やそれにともなう社会変容が止まるわけもなく、抗うよりも合わせていくほうが良い。いつだったか経済と歴史に関する書籍を読んでいたときに、「政治というのは衣のようなもので、社会という体が変わったら衣を変えなければならない」というようなことが書いてあって、感心したのを覚えている。きっと政治に限った話じゃなくて、例えばビジネスモデルなんかも同じことなのだろう。

自分の家業を考えると、少しばかり疲労感を覚えることもないではない。料亭のようなものが、そうたくさんは社会に必要ないかもしれない。そもそも、本格的な料亭というのは、歴史的に見れば社会の上流で消費されてきた文化である。大河ドラマ「べらぼう」に登場する人物は、比較的富裕層が多いが、それでも滅多なことでは食べられなかったはずだ。

とはいえ、地域にひとつか2つくらいは無いと困るだろうとは思っている。結婚や弔事、子どものお祝いに長寿祝い、特別な人のおもてなし。そういった場面で、ファミリーレストランというわけにも行くまい。と思っているのだけれど、最近では法事の食事会をファミレスで行う人もいるらしい。

いわゆるハレノヒには、料亭を利用したいと思っている人はいる。直接聞いた話だからサンプル数が少ないのだけれど、その費用がままならないという声もある。生活コストが高いので、記念行事は少しでも安く済ませたい。当店を利用するかどうかではなくて、子どものために行事を行いたいとは思っているけれど、残念ながらお金がないというのだ。価値観と現実がマッチしていない。とでも言えば良いのだろうか。

経済格差が広がった社会において、食の分野で利益を伸ばす方法は前例がたくさんある。当店のようにそこそこのキャパを持つ箱を持っているのであれば、スモーガスボード、いわゆるビュッフェスタイルが手っ取り早い。スタッフ一人当たりで対応できる人数が圧倒的に多いので、コストを下げられる。その結果、そこそこのものを安く提供できるというわけだ。北欧ヴァイキングが、この手法を生み出した理由の通りである。

あとはフィンガーフードチェーン。徹底的にメニューを絞り込んで、単一商品に特化する。それも価格帯の安いものにする。シンプルな工程をライン生産方式のようにすれば、効率化すればコストを削減することも可能だ。その代わり、矜持を持った料理人が入ると破綻する。商品のクオリティは下がるのも駄目だけれど、上げることもビジネス上のリスクになる。現場が商品開発に意欲を持つようになってはいけない。そんなモデル。

食文化の進展というのは、どんな社会でも起こり得るんだ。格差社会の上流でも下流でも、それなりに工夫するから。それだけの技術や知恵、おいしく食べたいという欲求は備わっているんだろうな。ただ、それまでの社会と同じ比率というわけには行かないし、場合によってはいくつかの文化は消失することになるかもしれない。もうこうなってくると、最適解を探すというよりも、こうありたいという欲求に繋がってそうな方向を辿ってみるという感じになるんだろうな。

今日も読んでいただきありがとうございます。これが良いよね。こっちは駄目でしょ。それはどうでもいいや。そういう感覚を、大多数と合意できる基準みたいなのがあって、それが価値観だと思っているんだけどね。今のところ、どうせ食べるなら美味しいほうが良いよねと感じている人のほうが多いと思うんだけど、どっちでも良いやとか、贅沢だから駄目でしょっていう社会になるのかな。そういうこともあるかもしれないんだけど、それはちょっと遠慮したい。そんなところまで合理化しなくて良いんだよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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