今日のエッセイ-たろう

文化は常に人を媒介にする。担い手の持続可能性。 2025年6月18日

文化というのは、形があるようでいて実態がよくわからない。音や温度と同じように、伝えたり広がったりするには媒介となるものが必要だ。それは、人の考え方やその結果としての行動、そして人が作り出した物質だろうと思う。人がいなければ、当然のごとく文化は消失する。滅んだ文明が、どんな文化だったのかを知るには、その痕跡物から推測するより仕方がない。そう、推測するしかないのだ。

文化が消失するときって、どんなときだろう。とある集団から全ての文化がなくなるというのは、人が全員いなくなるときだろうけれど、一部が消えることだってある。それは、その文化を体現する人物がいなくなったとき。誰も継承しなければ、それは無いに限りなく近づく。そして、知る人すらもいなくなったとき、本当に消滅する。

基本的な生産物に関する文化は、その文化自体が生活インフラと直結している。それが消えるとしても、順番としてはあとの方だろう。どちらかというと、不要不急のものから消えていく。例えば「遊び」がそれにあたるかもしれない。遊びと言ってもゲームだけが該当するわけじゃない。歌や絵なんかも遊びの部分があるし、料理だって遊びの要素がある。

歌そのものが消えなくても、その中の遊びの部分が失われる。という部分的な消失もあるか。和歌そのものは継承されていくけれど、歌会とかそれに伴う宴みたいなものは縮小していくかもしれない。そう考えると、料理の遊びの部分もまた同様だろう。遊びもそうだけど、儀式とか意味性みたいな部分も簡略化されていって、次第に尻窄みになる。

本膳料理とか結納の儀式などがそうだ。現在、本膳料理専門店というのは、あまり聞かない。ニーズも少ないし、認知度がかなり低くなった。日本食文化における正餐なのだけれど、いつの間にか宴料理から派生した会席のほうが式典料理になった。そっちのほうが、カジュアルで良かったんだろうな。なるべく削ぎ落として、形式よりもカジュアルを重視、物理的にも精神的にも軽くしたいという意思が働いている気がする。

カジュアル化といえば、結納もどんどんカジュアルになっている。略式結納というのは、本来ならば仲人を含めた8名がどちらかの家か飲食店などに集まって執り行う結納式のこと。本式結納のように仲人が両家を行ったり来たりするのが手間なので、簡略したものだった。けれど、略式結納をもっとカジュアルにしたいということになって、仲人もいなければ結納式も行わないというケースが増加して、今ではそちらのほうが一般的になった。気がつけば、略式結納のことを本式だと錯覚している人が多数派になっている。結納後の食事会がメインになったし、そこで供される食事も本膳料理ではなく会席料理や洋食になった。

カジュアル化することが決して悪いわけじゃないし、社会の要請に合わせて変化していくものだと思う。ここで例示したのは、部分的文化の消失のケーススタディになると思ったからだ。何かしらの理由で消費行動が縮小すれば、提供する理由もなくなるし文化を維持するためのコストを払い続けることが出来なくなる。

発酵デザイナーの小倉ヒラクさんや、糀屋三左衛門の村井裕一郎さんとは、よく人の持続可能性の話をしている。食に関する持続可能性というと、自然環境が話題に中心になることが多いけれど、そもそも食料生産や文化を支えている職人たちが持続的に気持ちよく働き続けることが出来なければ、その産業は文化もろとも消失することになる。上記に例示した通り、消費がなくなることが最も直接的で影響が大きい。そう考えている。

経済的格差、全体の富の総量、可処分時間、文化水準、教育。いろんな要因はあるけれど、枝葉の部分から無作為に削ぎ落とされていって、気がつけば幹を切らなくちゃいけないなんてことになると、それこそ日本の食文化は転覆する。

それに、だ。枝葉を切るのだって、選んだほうが良いと思うのだ。無作為に枝を切り落としていっって、その木を離れたところから眺めてみたら、なんとも不格好ということになりかねない。農作物の間引きだとすれば、栄養状態の悪い幹だけを残したらちゃんと育っていかないし、次世代に繋がらないのだ。だから、「何を残したいか」をちゃんと見定めるという態度が大切だと思う。

米食文化は、そう簡単には消えないから100年くらいは残るだろう。もし、米の半分以上が外国産になったら、米の品質が変わったことで米を原料とする加工食品や、米を主体とした鮨などの料理はきっと姿を変える。今の握り寿司は、日本で生産された米を前提として成立しているからね。それから、徹底的に産業の効率化を進めれば味噌や醤油は、巨大工場で一括生産した方が良いということになるかもしれない。そうすれば、中小規模の蔵は淘汰されて、結果として市場に流通する味噌や醤油は数種類ということになるだろう。場合によっては、その工場も国内ではなくアメリカなどから輸入することになるかもしれない。

味噌や醤油はまだ良い。日本以外にも市場が広まりつつあるからだ。世界中を見渡してもこんなに万能な調味料は希少で、様々な地域が真似してきたくらいだ。もしかすると、国外への輸出商品として活路を見出していくことも出来るかもしれないし、日本で縮小したご飯と味噌汁という文化が他の国に引き継がれることもあるかもしれない。

納豆はどうだろう。同じ発酵食品だけれど、味噌や醤油と比べるとグローバル市場は小さいだろう。実際あるけれど、小さい。一番大きな市場は国内ということになるのだけれど、それが小さくなっていけば、食文化そのものが忘れ去られていく可能性も零じゃない。

何を残したいか。を考えるときに、本当はポジティブなことを想像したいのだけれど、実は案外難しい。どちらかというと今は危険信号が点滅しているときなので、「無くさないもの」を考えなくちゃいけないから、ディストピアを想像するのが手っ取り早い。そして、そうならないために、と知恵を絞るのだ。

今日も読んでいただきありがとうございます。文化だからね。効率がいいとか合理的だとかで判断しなくて良いんだよ。良いの。それは方法論を語る時に考えればいいから。心地いいとか嬉しいとか、寂しいとか、そういう感覚が一番大切なはずなんだ。だって、幸福でいられること、を命題としているわけでしょう。合理性というのは、そのための思考方法のひとつなわけ。僕の周りには少ないけど、この視点が苦手なビジネスパーソンがめちゃくちゃいっぱいいるんだよね。

タグ

考察 (306) 思考 (231) 食文化 (227) 学び (173) 歴史 (124) コミュニケーション (121) 教養 (106) 豊かさ (98) たべものRadio (53) 食事 (39) 観光 (30) 経済 (25) 料理 (24) フードテック (20) 社会 (17) 経営 (17) 人にとって必要なもの (17) 文化 (16) 環境 (16) 遊び (16) 伝統 (15) 食産業 (14) 日本文化 (13) まちづくり (13) 思想 (12) コミュニティ (11) 言葉 (10) たべものラジオ (10) デザイン (10) 美意識 (10) ビジネス (10) 価値観 (9) エコシステム (9) 循環 (8) ガストロノミー (8) 仕組み (8) 組織 (8) 社会構造 (8) 視点 (8) マーケティング (8) 日本料理 (8) 社会課題 (7) 飲食店 (7) 構造 (7) 仕事 (7) 日本らしさ (7) 持続可能性 (7) 妄想 (7) 営業 (7) 観察 (6) 食の未来 (6) 組織論 (6) レシピ (6) 教育 (6) 認識 (6) イベント (6) 多様性 (6) 落語 (5) 変化 (5) 伝える (5) イメージ (5) 未来 (5) 挑戦 (5) 食料問題 (5) スピーチ (5) 構造理解 (5) 解釈 (5) 成長 (5) 体験 (5) 掛川 (5) 働き方 (5) エンターテイメント (4) 盛り付け (4) サービス (4) 学習 (4) 味覚 (4) バランス (4) 自由 (4) 言語 (4) 作法 (4) 食のパーソナライゼーション (4) 食糧問題 (4) 文化財 (4) ポッドキャスト (4) 食料 (4) 表現 (4) 和食 (4) 誤読 (4) 語り部 (4) 食品産業 (4) イノベーション (4) 土壌 (4) 伝承と変遷 (4) 情緒 (4) 世界観 (4) AI (4) フードビジネス (4) 社会変化 (4) 食の価値 (4) 技術 (4) 感情 (3) (3) チームワーク (3) おいしさ (3) 効率化 (3) 温暖化 (3) 情報 (3) プレゼンテーション (3) 読書 (3) セールス (3) ビジネスモデル (3) 話し方 (3) マナー (3) 行政 (3) 健康 (3) トーク (3) 研究 (3) パーソナライゼーション (3) 民主化 (3) 認知 (3) 産業革命 (3) 会話 (3) 栄養 (3) 魔改造 (3) チーム (3) 民俗学 (3) 感覚 (3) 変遷 (3) 修行 (3) 慣習 (3) エンタメ (3) ごみ問題 (3) 食品衛生 (3) 産業構造 (3) 変化の時代 (3) ハレとケ (3) メディア (3) 自然 (3) 料理人 (3) 代替肉 (3) 創造性 (3) 外食産業 (3) アート (3) 味噌汁 (3) ルール (3) 人文知 (3) 伝え方 (3) (3) 身体性 (3) テクノロジー (3) 工夫 (2) フレームワーク (2) メタ認知 (2) 料理本 (2) 腸内細菌 (2) 地域 (2) 笑い (2) (2) 山林 (2) (2) 郷土 (2) 明治維新 (2) 婚礼 (2) 夏休み (2) ロングテールニーズ (2) 誕生前夜 (2) 合意形成 (2) 芸術 (2) ガラパゴス化 (2) 料亭 (2) 共感 (2) キュレーション (2) AI (2) 水資源 (2) 人類学 (2) 外食 (2) 心理 (2) SKS (2) 接待 (2) 飲食業界 (2) 俯瞰 (2) 生物 (2) 科学 (2) 旅行 (2) SDG's (2) 茶の湯 (2) 道具 (2) 生活 (2) 衣食住 (2) 生活文化 (2) 家庭料理 (2) 思い出 (2) 流通 (2) 身体知 (2) 伝承 (2) 言語化 (2) フードロス (2) 儀礼 (2) (2) ビジネススキル (2) (2) 気候 (2) ガストロノミーツーリズム (2) 地域経済 (2) 農業 (2) 食材 (2) 習慣化 (2) 食品ロス (2) 事業 (2) 報徳 (2) 文化伝承 (2) アイデンティティ (2) 食料流通 (2) サスティナブル (2) 物価 (2) 発想 (2) オフ会 (2) ビジョン (2) 産業 (2) サスティナビリティ (2) 五感 (2) 常識 (2) 才能 (2) 思考実験 (2) 映える (2) SF (2) 行動 (2) 電気 (2) 食料保存 (2) 哲学 (1) 江戸 (1) SDGs (1) 補助金 (1) 食のタブー (1) 幸福感 (1) 行事食 (1) 弁当 (1) 日本酒 (1) パラダイムシフト (1) 季節感 (1)
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

-今日のエッセイ-たろう
-, ,