今日のエッセイ-たろう

満腹な人にカレーを売る?欲求を加速させる技術とどう向き合うか。 2025年8月28日

時々見かけるインターネット広告は「満腹の大学生にカレーを売った心理テクニックとは?」と、インパクトのあるデザインで訴えかけている。お昼ごはんを食べたばかりの大学生はお腹が減っているはずもない。酔狂でカレーを買ってやろうというほどの金銭的余裕もない。さて、どうする?

希少性への欲求

元になっているのは大学の講義だそうだ。学生に向かって「食べたい人?」と聞いても誰も手を挙げない。そこで、ちょっとしたエピソードを伝えた。
「イチロー選手は毎朝カレーを食べていた。そして、このカレーはイチロー選手のお母さんが作ったもの。ここにお母さんに来てもらっています。食べたい人?」
今度は全員が手を挙げたそうだ。

その講義が本当にあったのかをぼくは知らないし、あったとして何を伝えようとしていたのかもわからない。シンプルに、「人間の感情はこういうものだ」という体験学習だったのかもしれない。このエピソードには、価値判断が含まれていないからだ。

広告は続ける。消費者は“手に入らないものを欲しがる”ものだ。希少性の高いものへの欲求は、五感や味覚すらもコントロールしてしまうほど強力だ。ビジネスで成功するためには、“消費者心理”を理解する必要がある。強力な心理テクニックを学ぼう。

欲求、その先に生まれたもの

歴史上、希少性の高い食品が争いに発展したケースはいくつもある。欧州で希少価値の高かったスパイスは、その実用性を超えた価値を持つようになった。貴族が欲しがるようになり、それが国力の象徴にもなっていった。最初は貿易の独占を目指す程度だったが、やがて産出国そのものを占領するようになった。ついには、植民地化して現地民の産業と歴史を破壊するに至ったのだ。

20世紀後半のアメリカでは、多くの食品会社が売上を伸ばそうと必死だった。株主の存在感が強くなり、短期間でのリターンを強く求めるようになったからだ。しかし、既に市場は飽和気味。ある学者などは
「これ以上売上を伸ばしたいなら、ライバルからシェアを奪うか、人々にもっと食べさせるしか無い」
と言った。この発言は、“そうした方が良い”という意味だったのか、それとも“もうどうしようもないよ”と諦めたものだったのかはわからない。ただ、その後のアメリカ人の食生活と健康を大きく変えるきっかけにはなった。

心理学者ハワード・モスコウィッツは、食品開発やマーケティングの世界ではよく知られた人物だ。彼がアドバイスしたスナックや清涼飲料水、パスタソース、ピクルスは大きく売上を伸ばしたのである。
「どうすれば商品を買いたくなるか」
ただ、この一点についてデータを取り、研究を重ね続けたのだ。彼がどのようなつもりだったのかはわからない。結果として、彼の提案「人々にもっと食べさせる」ための広告戦略として定着していった。

彼がコンサルタントとして提案したものの全てが、「満腹でも食べさせる方法」だったわけではない。例えば、商品のラインナップを増やして個々の好みに対応できるようにするという、今では当たり前の手法もあった。一方で、砂糖と脂質のバランスによって、満腹でも食べ続けてしまう味を突き止めたことでも知られている。
彼は「人々が欲しがる」という現象を突き止めたかった。それが、いかにビジネスで強力な武器になるかということはわかっていただろうことは、彼がコンサルティング企業を起こして“大成功”していることからも明らかだ。そして、彼らの価値基準では「良いこと」だとされた。

武器を扱うためのリテラシー

心理テクニックというのは、使う人によっては恐ろしいほどの力になる。技術も必要だが、たぶん量が多くなればより強力になるだろう。ある報告によると、アメリカでは銃によって命を落とす人よりも砂糖が原因である人のほうが多いという。砂糖そのものが健康を害するわけでは無い。必要以上に食べてしまうこと、食べさせてしまうことが問題なのだ。

ぼくらは、もう既に何度も経験しているはず。人類という言葉は、主語にするのは大きすぎるかもしれない。だけど、ぼくらは文字や動画などから記録を学ぶことが出来る。歴史を知っているはずなのだ。モスコウィッツ博士らの提案が、ビジネスだけでなく社会そのものに与えた影響はなんだったのか。良いことも悪いことも並べて評価したほうが良い。そして、それをきちんと学ぶことは、大切なことだと思っている。

「食と人類の関係」については、学問としてきちんと学ぶ必要があるはず。経済学や政治学などと同じ様に。それほど、社会は食文化や食産業の影響を受けやすいから。

冒頭で紹介したインターネット広告に対して、ぼくは警戒感を持っている。かなり強い表現をすると「刃物を突きつければ人をコントロール出来るよ」と言っているようなものだ。刃物は、人を脅したり傷つけたりするための道具ではなく、物や料理を生み出すものであって欲しい。心理テクニックそのものに善悪はないだろうし、それを求める声を止めることも出来ないだろう。だからこそ、扱う者の資質として求められる教養もあるのだと思う。

今日も読んでいただきありがとうございます。

こういうぼくの思想を強く発信するのは、もしかしたらちょっとめずらしいかもしれない。ただ、武器はどんどん強力になっていくからね。そう、力を持つほどに武士道とか騎士道みたいなのが必要になるんだ。政治権力だけじゃなく、ビジネスパーソンにも求められる時代。それが近代以降の世界なんじゃないかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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