今日のエッセイ-たろう

わかった気がしたのに、語れない。—理解を自分の言葉にするために

「なんだか、すごく良いことに気がついたと思ったんだけど、なんだっけ。」
なんて経験はないだろうか。
とくに、飲み会の記憶はとても曖昧。喋った内容もぼんやりしているし、思い出したところで大した内容じゃなかったりする。会話なんてそんなものだ。

これまでに、仕事やポッドキャストでいろんな人と対話をしてきた。とても良いことを教えてもらったこともあるし、会話の中から生まれてきた良いこともある。もちろん、飲み会に比べればずっと記憶ははっきりしている。
「じゃあ、どんな話だったの?まとめてみて。」
と言われると、けっこう困る。

会話を書き起こす

会話って、その場の空気感がすごく大切。
雰囲気や流れで、本来わかるはずのないものが伝わることがあるのだ。

ポッドキャストの対話を聞き返しながら文字起こしするとよく分かる。のめり込んで聞いているときは、ちゃんとそれぞれの言いたいことがわかるんだ。だけど、文字で読むとイマイチはっきりしない。
「それって、話し言葉だからじゃないの?」と思うかもしれない。確かに、話し言葉は文の切れ目はなく、そもそも何が主語だったのかわからない文章になるのが普通。だから、そのまま書き起こして読むと、よくわからない文章になる。それはそうなのだ。

しかし、それだけではない。

例えば、ある人の中に「核になっている想い」があるとする。その想いは、これまでに作ってきたモノだったり、行動となって現れたりする。もちろん言葉にもなる。モノ・行動・言葉は、想いを表現したものだ。それらをヒントに「核になっている想い」を探り出そうとする。繋いでみたり、並べ替えてみたり。そうして考えたことを、言葉にまとめて確認する。「もしかしてこういうこと?」と。

その時は出来る。その場の空気の中に自分自身も溶け込んでいるからね。
だけど、あとになってから整理して話そうとするとぼんやりしてしまう。それは、もう「その場の空気感」が霧散しているからだ。一人で画面に向かっている時には、空気感という魔法がかからないのだ。だから、「今目の前にいる人」にはうまく伝わらない。そこには、別の空気感があるから。

会話を整理する

文字に起こしたものを並べ替えて、要点を抜き出して、関係性を見つけて、そうやって整理していく。整理したものを見ながら、文字起こししたものを見て、そして耳で聞き直す。何度か繰り返すと、だんだん「核になっている想い」がはっきりしてくる。対話そのものも、枝葉を落とした幹の部分が見えてくる。

そこまでたどり着ければ、「どんな話だったの?」と聞かれても困らなくなる。何しろ、幹の部分がわかっているのだ。枝葉を付けないで喋れば「まとめた」ことになるはずだ。
ここまできたら、あともう一歩だ。

一旦削ぎ落としたはずの枝葉。例えば、本筋とは関係なさそうなエピソードやちょっとしたリアクションに、改めて注目してみる。幹を理解してから見返してみると、枝葉の部分にとても大事なことが含まれていることがある。まるで小さな花や、育とうとしている果実を見つけたような感動が、そこにある。
「あのときはサラッと流しちゃったけど、すっごく大切なことを言っていたんだな。」

会話を再現する

過去の会話について、別の誰かに伝えようとする。平たく言えば、インタビュー記事を書くようなものだ。
さて、どうやって「伝わる」ようにすればいいだろうか。
これがとても難しい。私自身、明確な答えを持っているわけではない。ただ、こうすれば良いかもしれないという仮説はある。

ひとつは、その時の空気感を再現することだ。最もシンプルな方法で、登場人物の会話をセリフで表現していくのである。
もちろん、書き言葉としてわかりやすく修正する。雰囲気を伝えるために、必要なら文章を短くしたり長くしたりすることもあるだろう。私の場合は、会話の前後をすっかり入れ替えてしまうこともある。
目的は「その時の空気感を再現する」ことなのだ。そうすることで、読者がインタビューした現場にいる気分になれるのではないかと思っている。読者も「空気感の魔法」にかかって、ぐっと伝わりやすくなる。

もう一つの仮説は、今の空気感に合わせて文章を再構成することだ。こちらは、当時の会話から大きく外れることになる。なにしろ、今の空気感とは「私とあなた」の間に生まれるものなのだ。それに合わせるならば、インタビュー時点の空気感は邪魔になる。
再構成するのだから、話題の順序がすっかり入れ替わってしまうこともある。例えば、後半の話題を前半に挟むこともあるだろうし、前半のセリフを最後まで伏せておくこともある。そのほうが、深く伝わるのであればそれでも良いだろう。

専門家ではないので、あくまで参考程度でしかないのだが、私なりの「インタビュー記事」の書き方である。

インプットしたら整理して考える

さて、ここで伝えたかったのは「インタビュー記事の書き方」ではない。「私なりの学び方」を整理しようとしたのだ。その方法というのが、結局のところ「インタビュー記事の書き方」と同じなのである。

本や論文やデータを読んで、そこから「たべものラジオ」という番組になるまでの間に、「考える」という時間がある。私の感覚では、本を読むのは「インプット」や「調査」。調査したものを並べて「考える」や「自分なりに理解する」という工程がある。それを再構成して、「文章」や「語り」としてアウトプットしたものがコンテンツになっている。

本を読めば、それなりにわかった気になる。「そうか。そういうことだったのか!」と膝を打つことも多い。これは大切なポイントだと思って、ノートに書き留めていく。知らないことが多いものだから、あっという間にノートがいっぱいになってしまう。実は、そこからが本番なのだ。

読書をしている時は、「読書の空気感」の中にいる。改めて自分の言葉で話そうと思うと、言葉に詰まってしまう。だから、書き起こしたものを「並べ替えて、要点を抜き出して、関係性を見つけて、そうやって整理していく」のだ。会話の整理で行ったことと全く同じである。

ある程度幹が見えてくるようになってから、改めて本を読み返してみる。すると、時々凄いことに気がつくことがあるのだ。「何時間もかけて理解したことが、わずか一文にまとまっている!」
既に要約された答えが書いてあったのに、私は気がつけなかった。もしくは、「ふーん、そりゃそうだろうな。」くらいにしか思っていなかったのである。なぜなら、要約された文章は、当たり前に聞こえることが多いからだ。

大切なものに気がつくためには、気がつくためのプロセスがある。そのプロセスを経る前と後では理解の深さが違うし、出てくる言葉の重みも違う。つまり、学びとは「プロセスそのもの」なのだと思っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。

たべものラジオを聞いた方から、時々「勉強方法」や「思考方法」について聞かれることがあるんだ。基礎情報は同じなのに、話の広がり方がおかしいって。それは、たぶん私が「並べて関係性をみつける」ところに、粘着質なんだと思う。ただの習性というか癖みたいなもの。ただ、それができるのは整理しているから、だとは思う。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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