今日のエッセイ-たろう

おいしく食べる環境 2022年9月9日

ぼくらのような料理人の本分は、美味しい料理を作ることだ。これはこれで技能。それなりに知識が必要だし、練習も必要。その結果としていろんな美味しいものが生み出されるわけだよね。

「おいしく作る」に対して「おいしく食べる」ということを少し考えてみようと思う。

「おいしく作る」のは、それなりに努力をすれば、それなりに出来る様になる。どこまでを求めるかにもよるけれど、人間が作ったものでなくても美味しいものは世の中にたくさんある。フードテクノロジーで作られた料理もそうだし、自然が作り出した野菜や果物をそのまま食べるのだったら料理人は必要ない。

ただ、これを「おいしく食べる」ってのは、もしかしたらなかなか大変な努力が必要なんじゃないかと思うんだ。

「おいしい」という感覚は、人それぞれ。一応、ホモ・サピエンスとして、日本人としての傾向はあるけど、個体差もあるもんね。リテラシーって言っちゃうと、誤解されるかな。なんというか、音楽でも絵画でもスポーツでも、それらを楽しむための基礎教養ってあると思うんだけど、それと似ていると思うんだ。

野球もサッカーも、バスケットボールもバレーボールも。全くルールがわからない人と、知っている人では楽しみの質も量も違うような気がしている。自分でもある程度プレーしたことがあるという人なら、もっと違った楽しみ方が増えるだろうし。「おいしく食べる」にも、個体差はある。というのは、そういう意味でね。

あと、同じ人物でも時と場合で差があるよね。わかりやすく体調が悪い時は味覚が鈍る。ほら、風邪をひいたら味がよくわからないってあるでしょう。花粉症の人は、春になると味覚が変わるらしい。シンプルに鼻が詰まるから嗅覚を封じられるということもあるし。

それから、誰とどこで食べるのかっていうのも影響するよね。ぼくは、休みの日は料理をしない。もう面倒くさいんだよね。限られた時間である休日は、なるべく家族と一緒に過ごしたい。娘たちが一緒に料理できるくらいの年齢になったら、それも楽しいんだろうけど。今のところ、惣菜を買ってきて夕食にすることも多いんだ。

でね。例えば揚げ物にしたって、そりゃ揚げたての方が美味しいし、スーパーマーケットの揚げ物や煮物に比べたら、ぼくが作ったほうがおいしい。それはわかっているんだけど。そこじゃないんだよね。家族と一緒に食卓を囲んでいる空間が大切なんだ。他愛もないことだけど、この環境が「おいしく食べる」ことに重要なのだと思うのだ。

おいしいものをおいしく食べる。だけじゃなくて、普通のものをおいしく食べる。になるのかな。意外と身近に他愛もなく転がっている環境。それに気が付かずにいることも多い。なんだけど、おいしく食べる環境を整え続けるのは、結構頑張らないといけない。

健康も家族との団らんも、友人との会食も、旅行も、部屋も庭も、みんなおいしく食べるための環境装置になりうる。日常生活を丁寧に送っている人ほど、一生のうちに体感する「おいしい」は多いんじゃないかと思うのだ。そう考えると、仕事が忙しすぎてまともな食事が取れないというのは、ちょっと考えてしまうようね。他人事じゃないんだけどさ。

「おいしく作る」に対しては、産業としてアプローチがたくさんある。加工食品も流通もロボティクスも科学生物的な研究も、もちろん料理の研鑽もある。わかりやすくビジネスにしやすいんだろうね。じゃあ、「おいしく食べる」って、社会インフラとかサービスでサポートできるようにならないのかな。

なんというか「美味しいという幸せ」の総量を上げるのであれば、「おいしく食べる」も増やした方が良いと思うんだよね。むしろ、その方が総量が上がるんじゃないかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。どんなサービスが「おいしく食べる」を加速させられるのか、検討もつかないけどね。部屋をしつらえる。庭の手入れをする。花を活ける。料理屋がやっている、これらの行動は「おいしく食べる」環境づくり。これを、広範囲に発展させるにはどうしたら良いんだろうなあ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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