今日のエッセイ-たろう

仲間という認識の拡大。 2023年2月21日

家族って大切だよね。友達って大切だよね。大切だから守りたいという気持ちが湧くし、その為の行動に移るのだろう。こんなことを当たり前だと感じているのは、ぼくらが現代人だからだろうか。それとも、ホモ・サピエンスの性質なのだろうか。

歴史の勉強をしていると、割りと多くの場面で「仲間を守る」という状況を見ることが出来る。その時の感情って、どんなものだろうかと想像してみたのだ。これが、案外難しい。というのも、中世から近世のヨーロッパ社会で、親が子供を思う気持ちが現代人のそれとは少しばかり違うように感じるのだ。むろん、親子の情愛というものが皆無だったとは思わないのだけれど、どちらかというと「ファミリー」の方が大切にされていたイメージ。日本でいえば「家」だ。○○家という家系そのものが大切なのであって、自分も子供もその構成員の一人であるという概念。だから、親が子を思う気持ちが純粋な情愛とは少々違って見える。もっと、なにか利己的なというか、ミームに突き動かされるような感覚があるのだ。このあたりのことが、まだうまく言語化できないでいるのがもどかしい。

現代人のそれとは違ったとしても、少なくとも仲間だとは思っていただろう。例外はあるけれど、共同体の構成員を守ることはコミュニティそのものを守ることに繋がる。なんだか、こういう行動があるのが面白い。ホモ・サピエンスという生物の特性なのだろうか。それとも、社会性動物、とりわけ哺乳類の特徴なのだろうか。ともかく、利己的でありながら集団の利益を守ろうとうするのが特性だとすれば、それはとても興味深い。

さて、仮にホモ・サピエンスはそのような動物だとすると、大きな課題が発生する。誰を仲間だと認識するか、である。人類みな麺類とは言うけれど、実際に社会はそのような振る舞いをしていない。全人類を仲間だと感じているならば、自国利益を優先する国家政策は無いはずだ。我が子を傷つける存在があれば、それは敵として認識するだろう。強くはないかもしれないけれど、市町村単位での対抗心みたいなものがあるかもしれないし、学校対抗みたいなものもある。

仲間である。ということを定義した瞬間に、仲間とそうでないものという分類が発生する。光を当てると闇が生まれるように、必ずセットで顕在化する。で、そのときに仲間でないものとどのように接するかが人類の大きな課題なのだろう。もしくは、文字通り人類全てを仲間だと認識するのか。だとすると、人間以外のものが仲間ではないものになる。となると、地球全体が仲間であるという認識になるのか。

いや、ここまで認識を拡大してしまうと、おそらく生きていけなくなる。動物も植物も食べられなくなってしまうかもしれない。まぁ、その辺りは、ゆるい仲間という程度なのだろうか。

極論だけれど、人類全部を仲間だとして捉えなおすと、多くの課題は解決してしまうかもしれない。古い時代から、地球が寒冷化すると北方民族が南下し始める。政治的判断がどうとかという話ではなく、単純に食糧不足になるからだ。だから、温かい地域へ移動しようとする。先史時代は問題なかった。南下した先の人口は少ないか、無人。暖かい地域の食料は取り合いになることもない。食料生産が既存人口を支えるのに手一杯だったり、その生産体制が権力や財力の基盤になっていると争いになる。腕力の強いものが勝つ世界。

はじめから仲間を常に助けるつもりでいると、それはどうなるか。環境変化にかかわらず、そもそも融通し合う関係でいれば良い。それをつなぐ装置として現在の資本主義が活躍しているのだろうと思うのだが、それも完全ではないだろう。

単純化しすぎるのは危険だということを承知で敢えて言うとだが、地域によって「資源に差異がある」のだ。基本的に「生産」には「資源」が必要だ。生産された商品が価値をもって流通する。無形商材もあるので一概には言えない。しかし、労働を支えるための人的資源とその人間を支えるための食料、それから機械やコンピューターを機能させるためのエネルギーとその原料も含めて考えれば、資源の地域差は現実にあるように思える。資源が違う以上は、生産力に差が生まれるのは当たり前なのだ。

現実には、これに主義思想などが加わって、社会システムなどの条件や文化的背景などが加味されるだろう。もっと複雑な事情がたくさんあって、もっともっと複雑に絡み合っているのだろう。ただ、大きく俯瞰してみると資源の格差を前提とした経済のように見えるのだが、それを乗り越えるにはどうしたら良いのだろう。

アメリカが農業大国なのは、テクノロジーだけのおかげではない。単純に、その土地が広大であることが大きい。それは、たまたまでかいというだけだ。中国が凄まじいまでの生産力を誇るのは、その人口の多さに支えられているという側面もあるだろう。それも、たまたまだ。イギリスの国土では13億人も住むことは出来ないことを考えればわかりやすいか。

こうした条件を均一化すると共産主義的な思想になるのだけれど、そうではなくてうまく分配する方法を考えたら良いのになと思ってしまう。そもそも前提条件が不公平なのだから。そして、そこに生まれ育ったのは偶然なのだから。

仲間という概念を拡大して考えると、そういうことになってしまうのだ。乱暴なことを言ってしまうと、地理的環境によって経済価値のレートを決定したらどうだろう。資源や生活環境の苦しい場所で経済活動を行う人は、そうでない地域よりも市場価値を少し高く見積もるとか。その代わり住環境の流動性も認められるようにならなければいけないのだが。まぁ妄想である。

今日も読んでくれてありがとうございます。ずいぶんと話が飛躍してしまったなぁ。ただ、人類の歴史を見ると、少しずつだけれども「仲間認定」の範囲が広がってきているようにも見えるんだよね。数千年かけて、やっと国家がまとまった。で、いくつかの国とだけ仲間になれるような世界が今かな。そうそう。光が影を生むように、仲間を決めるとその外側が発生するっていうのがあるよね。もしそれが不変の真理だとしたら、そして人類全てが仲間になったら、そのときに生まれる仲間ではないものとは一体何なのだろうね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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