今日のエッセイ-たろう

「面白い」って、どんなこと? 2023年7月16日

世の中には面白いものと面白くないものがある。それが、すべての人にとって同じものだということが無いから、これまた面白い。

誰かと一緒にいても、同じポイントで笑うこともあれば、ぼくが全く興味のないことで爆笑している姿を眺めることもある。もちろん、その逆もある。笑いのツボが違うという表現があるけれど、そういうものだろう。どうにも理由はわからないけれど、その一方には万人受けするコトもある。全員じゃないかもしれないけれど、より多くの人が笑ってしまうようなコト。

よりマニアックな世界であればあるほど、万人受けからは遠ざかるような気がする。1割か2割の人だけにしか刺さらないけれど、そのかわり深く刺さる。笑いならば、転げ回るほどの爆笑。笑いでなければ、沼にハマるというのかもしれない。

たべものラジオが万人受けすることなんかはないだろうな。と思うのは、嗜好性が強くてマニアックだからだろうね。

面白いっていうのは、どういう感覚なんだろうね。英語だったらファニーとインタレスティングで区別しているけれど、日本語の場合は「興味深い」と言えば良いところでも「面白い」と言ってしまう。でも、興味深いって表現することがしっくりこないくらいの感覚で、やっぱり「面白い」って言う。

もしかしたら、ファニーは「可笑しい」というのが訳としては近いのかもしれない。そうなると、日本語の「面白い」に該当する英語はなんだろう。Captivatingかな。魅力的な、引き込まれるといった意味だったと思うけど。

日本人は知的好奇心の強い国民性だと言われることがあるらしい。最近の話じゃないけど、知的な情報番組がとても多いのだそうだ。たしかに、クイズ番組は知的な要素が強く含まれているものが多い気がする。それに、「実は◯◯だ」とか「教養のための◯◯」というテレビ番組や書籍を見かけるし、よく売れているらしいね。知ること自体がエンターテイメントなんだろうか。

誰かが言っていたけれど、教養とか学問というのは世界を面白がるためのツールだそうだ。ちょっと違う視点で世の中を見てみると、それまでと違って見えて面白い。そのための知識が教養だって言っていた。たしかに、背景やルーツを知っているだけで面白く見えてくることってあるもんね。エンタメを生み出すには、低コストで良い。楽しみのために土地開発したり、ものを生み出したりしなくても良いのだから。

教養をエンタメに使うというのは、「今あるものをエンタメ化する」最短ルートかもね。まぁ、万人受けしないだろうけれど。低コストだからこそ、万人受けしなくても良いのだという言い訳もできる。テーマパークを作ってしまって、万人受けしなかったら経済的に成り立たないだろうからさ。

学校で勉強する学問て、なんであんなに面白くなくなってしまうんだろう。いや、人によって捉え方は違うと思うのだけどね。個人的には、中学高校の授業は面白かったと思っている。テストの点数とは無関係に、「知る」「分かる」「出来る」が面白さになっていたと思うんだ。ただ、よく聞くんだよね。勉強がつまらないって。

たった今気が付いたのだけれど、「目の前にあるものを面白がる」というのがポイントなのじゃないかと思った。街にある◯◯ってそういうルーツだったのか。そんな意味があったんだ。とかね。学校で見聞きしたことが、そのまま身の回りのことに繋がっているという感覚。

子供の頃に、それが紐づかないのは教育がそういうプログラムになっていないのか。それとも、経験値の低い子供の側の実社会の知識が足りないのか。その両方なのか。ほかにも何かがあるのかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。面白がる対象は千差万別。なにをどの様に面白がるかは自由なんだけど、興味を持てるような、失わないような環境はあったほうが良さそうだと思うんだ。たべものラジオがその一助になっていたら嬉しいなあ。

タグ

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

-今日のエッセイ-たろう
-, , , , ,