今日のエッセイ-たろう

「気づき」のための旅のデザイン。—本を読むように旅をする

先日、二泊三日の旅行でガイドをしてきた。題して「Tea-tourism in Shizuoka」。海外からのお客様と一緒にあちこちを訪れては、体験をサポートするのがぼくの役目。いろんな説明をするのだけれど、それはあくまでも「感じる」ための補助線であることを心がけてきた。

静岡県内の各地を巡る「お茶の旅」なのだが、ぼくにとっても濃密な体験になったので、備忘録を兼ねて紹介しようと思う。

伝えたいのは「日本の食文化」

テーマは「お茶」。だけど、本当に伝えたいのは「日本の食文化」だ。これは、現地のエージェントと事前の打ち合わせの中で自然にたどり着いたこと。
近年、グローバル市場ではMatchaがブームになっている。でも、それは抹茶という素材が人気なのであって、喫茶文化とは別物だという感覚がある。日本でも抹茶ラテや抹茶チョコレート、抹茶アイスは人気だけど、それはアレンジ商品だと感じている人が多い。本流は「飲み物」ということをふんわりと共有している。そして、一般的には煎茶のほうが圧倒的に多数で、抹茶に対する感覚はちょっと特別感があるかもしれない。

彼女は、日本の喫茶文化や食文化にとても詳しい。だからこそ、こうした感覚を得たのだろう。ということで、「お茶を楽しみ学ぶ体験を中心に据えながら、いつのまにか日本文化の一端に触れている」というコンセプトが立ち上がった。

読み物としての旅

個人的な感覚だけど、私にとっての旅とは読書に通じるものがあると思っている。そこには、物語などの「コンテンツ」があって、私たちはそれらを何かしらの方法で受け取る。
本だったら、文章がメインで、補足のためにイラストや写真、場合によってはグラフや表という方法で伝えられる。これを旅に置き換えるとどうなるだろう。というのが、私の発想の出発点である。文字ではなく、体験がメインで補足のために言葉や資料がある。そんな旅をデザインできないかと考えたのだ。

これは、今回の旅のために考え出したことではない。個人的な感覚として、こういうツアーがあったら面白そうなのにな、と思っていたことだ。たまたまお声がけをいただいたので、エージェントに伝えてみたらとても喜んでくれたのでやってみることにしたというわけだ。

出来上がったプログラムは、自分でも笑ってしまうくらい濃密なものになったと。知人に話した所「Too Much」だと言われてしまったが、今回の旅の1ページを少し紹介してみようと思う。

1ページ目。文化の前提となる世界観を巡る

最初に訪れたのは、静岡市にある清見寺という寺。ここは、歴史上何度も「茶文化の起点」となった重要な場所である。だけど、ここを訪れたからと言って茶文化そのものに触れることは出来ない。お寺でお茶を飲むわけでもなければ、お茶に関する歴史的な遺跡があるわけでもない。ただ、そこにあるのは目に見えない物語と、禅寺としての建物だけだ。

なぜ最初にこの寺を選んだのか。それは、「茶の歴史」にかこつけて「禅の思想」に触れてもらうためだ。もちろん、ぼくだって「禅とはなにか」について精通しているわけではない。でも、多くの日本人が共感できる考え方がそこにあることはわかっている。

例えばこんな具合だ。

  • 特別なことをするのではなく、日常の当たり前の行為を徹底的に丁寧に心を込めて行うこと。その積み重ねが精神を研ぎ澄ませていくことに繋がる。
  • 本を読んだだけでは悟りを得られない。同じように、学びももてなしの心も知識だけでは得られない。だからこそ、体を動かして稽古を重ねることで心を磨く
  • 茶や食は、誰かが育て、加工し、調理して提供される。植物はその自然環境があってこそ育つし、自然は季節とともに変化し続けている。茶を飲んだり料理を食べたりしている私たちも、茶や食を通じてそれらと繋がった一部である。
  • 余計なものを極限まで削ぎ落として、茶を通じて繋がる全てを感じられる環境を整える。ものの本質と、その美しさに目を向けようとする心の在りようを大切にする。

ちょっと堅苦しく感じるかもしれないけど、和食の基本的な考え方はこうした思想に繋がっている。私たちは知らずのうちに、具現化された思想として食文化に触れているのだ。私だって、普段からこんなことを考えているわけじゃないけれど、言われてみると日常生活の中に思い当たる節があると感じることはある。その程度に、ふんわりと浸透しているのが日本文化なのだろうと思っている。

2ページ目。日常生活と世界観の接点

禅が全てではないけれど、伝える手段としてはわかりやすい。ということで、ここを最初の訪問先に選んだのだ。その後の訪問先では、江戸時代の旅人が触れてきた食文化を体験したり、味噌づくりを体験したりと、お茶の出番はほとんど無かった。

味噌づくり体験では、ひたすら煮豆を潰すという作業がある。最初のうちはあれこれと喋りながら楽しくやっていたし、麹についての質問などもあった。しかし、時間とともに徐々に口数が減っていった。
ただ黙々と作業に没頭する時間が少し流れたころ、ぼくは彼に声をかけた。
「疲れてない?大丈夫?」
「少しだけね。でも、さっきの話がわかった気がする。」
「どういうこと?」
「この豆はどこで採れたのだろうとか、誰が育てたのかとか、これがどんな味噌になるのだろうとか、そういうことを考えていたんだ。そういうところに思いを馳せるってことでしょう?」
参加者の一人がそう言うと、
「お〜、禅だぁ」
と、皆から声が上がった。

ちょっとうまく行きすぎて怖いくらいである。今回はたまたま感じてくれた人がいたわけだけれど、ほんの一端でも経験として伝わったことは企画者の一人として嬉しい限りだ。

学びとツーリズムの可能性

3日間を通してこんな調子である。ここからどうやってお茶に繋がっていくの?と思うかもしれないが、ちゃんと繋がるのだ。それはまたどこかで紹介することにしよう。

「本を読むように旅を感じる」というツーリズムは、おそらくマスマーケットには受けないだろう。すごくニッチ。だけど、日本文化へのディープダイブを楽しめる人たちは絶対にいると確信することができた。今回の参加者の中には、「特に抹茶に興味があるわけでもなく、煎茶のこともよくわからない。ただ、友達が行くから一緒に来た」という夫婦もいたのだが、彼らは「依然として抹茶を飲みたくなったということはないけれど、日本のカルチャーには俄然興味が湧いた」と言っていた。

スシ、抹茶、ラーメンはグローバルで知られる「ジャパニーズフード」である。これらは全て「日本的な世界観や価値観」があったからこそ生まれた料理スタイルなのだ。もし、まったく同じ自然環境や社会環境があっても、土台となる日本文化がなければ生まれなかっただろう。つまり、文化と料理は幹と枝の関係なのだ。
と、私個人は考えている。

そういう意味で、食を通じて文化を学べる環境があったら良いなと思っていて、いずれは本格的な学び舎を作ることが出来たらと思っている。その過程で、たべものラジオというポッドキャスト番組を配信しているわけだけれど、食をテーマにしたツーリズムも同じ道の上にあると思っている。

「食だからね。本を読んだだけではわからないと思うんだよ。体験とセットになって初めて腑に落ちる。そういうものじゃないかな。」
これはグルメ旅とはまったく違う。でも、食を通して文化を読む旅には、まだまだ大きな可能性がある。そんな確信だけは、この三日間ではっきりと持つことができた。

今日も読んでいただきありがとうございます。

めちゃくちゃ疲れた。準備も当日も、すっごくエネルギー消費量が高かった。まぁ、慣れていないだけかもしれないけど。めちゃくちゃ疲れた。準備も当日も、すっごくエネルギー消費量が高かった。まぁ、慣れていないだけかもしれないけどね。
食事中もバスの中も休憩中も、ぼくはずっと一緒。ガイドなんだけど、「一緒に旅する詳しい知人」くらいのポジションにいた。だから、夜は一緒に飲みに行ったりもした。本来の業務から考えれば必要ないのだけれど、こうしたコミュニケーションがなかったら深い話は出来なかったと思うんだ。そう思うと、ぼくの存在は、本で言えば表現手法のひとつだったのかもしれない。
これから、この取り組みは事業化しようと思っているんだ。そのうち日本人向けもやりたいな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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