今日のエッセイ-たろう

かつての農村は、どんな社会だったのだろう。 2023年8月25日

かつての農村とか漁村の社会構造ってどうなっていたのかな。日本という国にある文化の根底って、そういうところにもたくさんあるよね。江戸時代の文化の中心は、江戸であり京や大阪だったかもしれないけどね。そこへ移住してくる人たちがたくさんいて、その人達は農村や漁村に生まれ育った人なんだ。だから、都会はいろんな地方の影響を受けて文化が作られたという側面がある。そもそも、日本人口のほとんどは一次産業従事者なんだから。

農村の社会構造として、ひとつ象徴的なのが同質性かな。みんな同じである。これが大切だったんだ。これにはちゃんと理由がある。

米を作ると、米は玄米しなければならない。手作業で出来ないわけじゃないけれど、江戸時代になって数十年もすると、単位面積あたりの収穫量も増加してくるから、かなり大変。だから、脱穀機とか唐箕とか臼が使われたんだけど、これがなかなか高価だったんだ。一通りの道具を持っていたのは、庄屋さん。だから、みんなが作った米は庄屋さんに集められる。

自分のところで採れた米を精米してもらう。というイメージがあるかもしれないけれど、実はそうじゃない。みんなのお米をごちゃまぜにして作業をするんだ。じゃないと、とても効率が悪い。仕上がった玄米は、作った人に分配される。当然、その玄米は自分が作ったものじゃない米が混ざりあったものになる。量の配分は、田んぼの面積によって決まっていたらしい。大量の米を計ることが出来なかったから、田んぼの面積比率がそのまま用いられた。というあたりは石高制そのものの考え方だ。

とまあ、こんな仕組み。

だからこそ、米の質はあるていど均一じゃないと困るんだよね。混ざっちゃうんだから。そのために、村に引き込まれる農業用水はみんなに行き渡るようにしなくちゃいけない。土壌も同じくらいのクオリティに保っていなくちゃいけない。結果として、みんな同じものを作るために、みんなが共同体を作って同じことをするのが良しとされる社会が作られたという。

だれか一人だけが、耕作を辞めるというわけにも行かない。みんなでやる。そういう共同体はしがらみが多くて大変な部分もあっただろうけれど、助け合って豊かに暮らしていたのじゃないかと思う。それぞれが事業主というよりも、ムラそのものが一個の塊として機能していた感じだろうから、企業みたいな感覚に近いのかな。昭和時代なんかは、会社が家族のような一体感を作っていたというけれど、もしかしたら農村の仕組みが元になっているのかも知れない。それがやりやすかったのかもね。

だとしたら、コミュニティを保つための仕組みが慣習として組み込まれていたはずだ。良いコミュニティを保つのは、砂上の楼閣のようなもの。手入れし続けなければ、どこかで崩壊する。特に、江戸時代の農村のように代謝の少ない状況では、ちょっとした行き違いが致命傷にもなりかねない。

食は、こうしたコミュニティ、農村の共同体を維持存続させるためにどのような役割を果たしてきたのだろう。村のお祭りで振る舞われる食事。屋根の吹き替えの度に開かれる食事会。刈り取った田んぼの中で囲む鍋。野菜や料理のおすそ分け。想像できるのはそんなところだろうか。ただ、空想のそれらは、ステレオタイプの農村のイメージに起因している。現実をつぶさに観察すれば、多様で豊かな食文化があるような気がしている。

今日も読んでくれてありがとうございます。昨日に引き続き、いま興味を持ち始めた民俗学的な土着の文化の話。本を読み始めたばかりだし、ウェブで調べてみたこともまだ少ない。上記はそのなかの一つから食とのつながりを探ってみたいという、これからの方向性の話かな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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