昨日、人類社会が食料を獲得するとはどういうことかについて、マクロ視点で捉えてみようという試みをしてみた。あまり実感がないのだけれど、結局のところ「自然界のエネルギー」を受け取っているという部分は間違いなさそうだ。地球上に存在する膨大な分子の中から、活用できる部分だけを上手に受け取る。
たぶん、ポイントは「上手に」という部分なんじゃないかな。狩猟採集時代も農耕初期社会も、結構長い時間をかけて食料を獲得していた。獲得した食料を調理する時間を含めたら、食生活以外の時間はあまり残されていなかったのかもしれない。
牛や馬はかなり多くの時間をかけて食事している。それに対して、ライオンやチーターなどの食事時間はかなり短い。草食動物に比べれば、ほとんどぼんやり過ごしている印象だ。その代わり、食料の獲得が不安定。何日も食べなていないということもよくあるらしいことを、ドキュメンタリー動画で見たことがある。
草食動物的な生活と肉食動物的な生活を行ったり来たりしているのかな。もしくは「いいとこ取り」をしようとしてきたのかもしれない。肉食動物のように食事の時間を短くするのだけど、草食動物のように比較的安定した生活基盤。そんな構造を作ろうとしてきたのかもしれない。
19世紀。そうした社会を大きく加速させたのがエネルギー革命だと思う。とんでもないエネルギー量を持った石炭や石油。これもまた、圧縮エネルギーといえるのだろう。木材と比べて、一単位あたりのエネルギーが高くて、保存も輸送もし易い存在。このエネルギーを使って、食糧生産の形を変えてきたように思える。
エネルギーがぼくらの生活を支えている。というのは、なにも近現代に限った話じゃない。古代文明の反映と滅亡を観察するとそれがよく分かる。木材資源が豊富な場所、もしくはそうした場所から木材を運べる環境に文明が発展していた傾向が見られる。木材が枯渇すると、木材資源のある場所へと移住する。シュメール文明も古代バビロニアも、クレタ文明も同じ道を辿った。
人類が活用してきたエネルギー源は、木材と化石燃料が中心だ。それ以外に、水は水車やダムなどで利用されてきたし、風は風車や帆船などが例に上がる。太陽光エネルギーは、太陽光発電に目が行くけれど、広い意味で言えば天日干しも利用方法に含まれるだろう。
ざっくりとひとまとめにすると、これらのエネルギー源のどれもが太陽から受容したものと言える。木は、光のエネルギーを利用して無機炭素から有機化合物を合成する反応。水も二酸化炭素も必要だけれど、それは材料。エネルギーとしては光を利用している。これを燃やすことで再びエネルギーに変換してきたのが、長らく続く人類の歴史。
エネルギー革命といっても、結局は光のエネルギーで作られた有機化合物。ただ、炭化してより効率化しただけだと言える。水力は位置エネルギーではあるけれど、高い位置まで水を持ち上げたエネルギーはどこからやってきたかと言うと、やはり太陽光。風力も同様だ。どれもこれも、太陽の光がエネルギーの大元になっている。そう考えると、電気照明なんてものは、太陽光エネルギーで作られたものだし、それを使って光合成を行う工場型の食料プラントは、かなり工程の長いメカニズムなのかもしれない。
いろんな社会で太陽信仰があるのは、それなりに理由があるんだろうな。なんだかんだと太陽ってスゴイということなんだろう。いろんなものに変換して利用してきたのは、その方が安定していて、保存も可能だから。つまり、使いたい時に自由に取り出せるということが、活用の幅を広げる上での肝になるということ。
もし、太陽エネルギーを他の何にも変換せずに、自由に取り出せるようになったら、どんな社会があるのだろう。それこそ持続可能なエネルギーということになるのだろうか。少なくとも太陽が消滅するまでは利用可能。一方で、地球上のエネルギー総量に限界があるとしたら、限界を超えてしまうかもしれない。それこそ「上手に」受け取って、「上手に」使う必要がある。
今日も読んでくれてありがとうございます。人間も地球上の動物だからね。環境を破壊するばっかりじゃないと思うんだ。貢献することだってたくさんあったはず。テクノロジーに関しては、今のところ人間にしか使えないものだろうから、地球動物として環境に良い影響を与えられたらなって思うよ。