たべものの好き嫌いって何がダメなんだろう。 2022年7月4日

食べ物の好き嫌いが激しい人は、非難の目を向けられることがある。あからさまでなくても、なんとなくマイナスポイントとしてインプットされることが多いかもしれない。そう言っている僕自身も、「たべものの好き嫌いがある」ことは、マイナスポイントとして受け取ってしまう。なぜだろう。

確かに幼い頃から「好き嫌いはダメだ」としつけられてきたからね。直感レベルで染み付いているんだよなあ。

食べ物の好き嫌いがあることは、こと恋愛に関してはマイナスに働くことが多いそうだ。そういった方面のことには疎いのだけどね。どうやらネットや雑誌のアンケートではそうらしい。パートナー選びの際に気になることの上位にランクインしている。それも男女ともに。

まぁ、自分自身に跳ね返ってくるからね。外食するときだって、行き先が限られてしまう。ホントは焼肉屋にいってお腹いっぱいに肉を食べたいのに、パートナーが肉嫌いだとしたらさ。そういうことはあるかもしれない。

自宅で食事をするにしても、食べてくれない食材を料理するのは精神的にしんどい。ナスは絶対に食べないというパートナーと、秋茄子を楽しむのは難しい。いや、自分用に料理すればよいのだけどさ。購入するにしても、一人分としては少し多いし。煮物や炒め物に混ぜるのなら、別々で作らなくちゃいけない。コスパが悪いんだ。結局、やらない。という判断に落ち着きがち。

こういうめんどくさいことを想像すると、パートナーは好き嫌いが無い方が望ましいということになるんだろうな。嫌いなものがぴったり一緒なら問題ないか。それでも、アンケートの上位にランクインしているということは、好き嫌いが無いか少ないという人が多いということなんだろうか。

栄養バランスの意味では、どうなのかな。一生ナスを食べなくたって、多分栄養バランスが崩れるということはなさそうだしね。他の食材で補うことは容易い。この栄養素は、この食材にしか含まれないんだ。なんてことになったら、話は違うだろうけど。大抵の場合はそんなことない。栄養は、必要な成分が必要な分量とバランスで接種できていれば問題ないのだ。

料理を作る側としてはちょっとめんどくさいかな。栄養バランスを考えつつ、味をちょうどいいところにおさめる。というときに、使える食材が限らられるというのは面倒だもんね。「あぁ、ここでちょっとピーマンを加えたら味が締まるのにな。ビタミンもいい感じになるし。ピーマン使えないから、どうしよう。」具体的に想像すると、まじで面倒だ。

そういえば、「好き嫌いをしたらいかん」と言うのは、作り手かもしれんね。僕の場合は主に祖母だったけど。それは幼い頃のぼくらに朝晩のご飯を作ってくれたのは祖母だから。それに、母も料理はするし、父は料理人だ。そりゃ、言うよね。

そもそも、好き嫌いを言える環境にいるから言えるんだろうなあ。うちの家庭環境はちょっと特殊だからかもしれないけれど、嫌いなものは食べないというスタンスで生活するのは難しかったもの。嫌なら食べなくてもいいけれど、次の食事まで食べるものはない。スナック菓子でも手の届くところにあればそれで済ませたかもしれない。けど、家には無かった。いいよもう。そんなに言うなら、後で食べるから。なんてことを言ったが最後。次の食事のときも、その次も、食べるまで何度も出されたっけ。だって、後で食べるって言ったじゃない。だから、わざわざ取っておいたのに。食べないんだったら私が食べるから、もっと早く言って。こんなに美味しいもの、いやいや食べる人に食べさせるのはもったいない。ってな具合だ。ばあちゃん、結構スパルタだったのかな。

だけど、あれだよね。食べ物が豊富で選択肢が多いから好き嫌いを言えるんだろうね。パンがなければお菓子を食べればいいじゃない。って言えるのは、お菓子が豊富だという前提があるからだ。パンも食べられないのに、お菓子みたいな贅沢品を食べるなんてことができるわけがない。そう、贅沢なんだ。好き嫌いを言えるというのは、ある種の贅沢だ。

社会全体が貧しい時代。直近だったら太平洋戦争の末期から戦後までの期間かな。この時代に、好き嫌いは言えない。そもそも発想しないかもしれない。嫌いだとかマズイだとかいう前に、食べ物の絶対量に限りがあるわけだから、食べられることそのものが大切なの。ばあちゃんは戦前の生まれだし、そのあたりの心持ちを伝えたかったのかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。災害時には食べ物の好き嫌いを言っている場合じゃないもんなあ。ウマイかどうかは、多少工夫することができるけれどね。嫌いなものが多いと、避難所での生活はより苦しいものになる気がする。

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