今日のエッセイ-たろう

ぼくらに埋め込まれた精神性という財産。 2025年4月28日

日本のコンビニ弁当がスゴイ。町はキレイだし、安全だし。道行く人は、どんなに混雑していてもぶつかることなく歩いているし、順番を守ってきちんと並ぶ。時々メディアで目にするのは、外国人から見た「日本のスゴイところ」という記事。日本で生まれ育ったぼくらにとっては、何の変哲もない日常風景である。まちづくりに欠かせない「よそ者視点」に驚きながら、「そうか、そんなところが我々の良さなのか」と思ったり、「なるほど、もっとアピールしていこう」などと考えたりもするかもしれない。

一方で、どこかムズムズとした違和感を覚えてもいる。本当の「日本らしい良さ」は、別のところにあるのではないか。とも思えるのだ。以前、大雨で東京の地下鉄の駅が潅水したことがあったけど、その時溢れ出た水が透き通っていたことが「東京の清潔さ」を象徴していると話題になった。そんなところに感動するのか。そう、それはぼくらにとって「そんなところ」なのだ。

じゃあ、ぼくらが感じている「日本らしい良さ」とは何なのだろう。言語化できるだろうか。言葉で説明するのではなくても、文化やモノなど、それを象徴する現象をいくつ挙げられるだろうか。日々の生活の中で、なにかの折に「これだ」と気がつくことがあるかもしれないけれど、イチイチ覚えていないというのが一般的な感覚かもしれない。

ただ、「これだ」と感じているとしたら、ぼくの中に「日本らしい良さ」を判別する感性が宿っているということだ。「良さ」と言うと、なかなか難しいかもしれないけれど、特徴とかクセみたいなものがあるはず。なんとなく良いなと感じていることとか、思考の癖みたいなもの。

例えば、何かを決めるときには明確なリーダーが決断するのではなく、場の空気みたいなものが支配するというのも日本らしいクセだ。一体誰が決めたのかわからないけれど、なんとなく場の流れでそうなったということは、日本ではよくあること。一見すると、あまり良くないことのようにも思えるけれど、そうとばかりも言えなくて、争いを避ける知恵だとも考えられる。

河合隼雄の「中空構造日本の深層」という本は、すごいタイトルだけど、日本の本質を指摘している。つまり中心は空っぽだというのだ。日本神話に「三神」が登場したとき、大抵真ん中の神様はほとんど役割が与えられていない。アマテラスもスサノオも大活躍のストーリーがあるのだけれど、ツクヨミはただ存在するだけで語られていない。とか、そういったことだ。たぶん、2ではなく3であることが大切なんじゃないかな。

哲学者ヘーゲルで知られるアウフヘーベンだったら、テーゼ(主張)があってアンチテーゼ(反論)があって、両方を踏まえたジンテーゼへと発展させる。個人的に好きな考え方ではあるのだけど、場合によっては対立を生む可能性がある。留学していたとき、ディベートの授業があった。クラスを2つの意見でグルーピングして、相互に論争を行うわけだ。アウフヘーベンを前提としたグループワークなのだけど、これが日本人は苦手らしい。ホントかどうかは知らないけれど、担当教授はそんなことを言っていた。もしかしたら、ぼくらの中には「3」が常に存在していて、「3」は空っぽの存在を内包しているのかもしれない。

中空を感じていることと、禅の思想にある「虚」とは、どこかで通じているような気もする。空っぽだからこそ、そこに鑑賞者の自由な空想が許されている。自然界の流れに沿って生きるならば、人間の生み出す人間の感覚による完璧など意味がない。つねに漂い続けているだけのもの。だから、常に仮初のもの。茶室は、茶会を催すときには花や軸が飾られるし、そこに人が集まる。でも、終わったらすべてを取り去って、がらんどうのなにもない空間に戻される。やっぱり空っぽなのだ。キャンプでテントを張って一晩過ごすような感覚。

空間とか、流れみたいなことを意識しているからこそ、完全を否定する。完全を目指す過程のほうが重要であって、完全であることは美ではない。というのが面白い。日本料理の盛付は大抵アシンメトリーで、左右対称なものがない。茶室もそうだ。日本伝統の建築物もアシンメトリーが多い。書も画も、やっぱりアシンメトリーで、空間が多い。完全にバランスしてしまうことで、時が止まってしまうからだ。止まるというのは、鑑賞者の感覚が止まってしまう。アンバランスだと、どこかソワソワした感覚があって、余白になにかを見出そうとする。そういう部分にこそ、鑑賞者の自由が残されているというのだ。実に面白い。

禅といえば、茶や精進料理が思い出される。曹洞宗の開祖道元禅師が記した典座教訓が有名だけれど、禅の修行では生活のありとあらゆるものに全霊を持って向き合うことが重要だという。ご飯を炊くにしても、お米を選んだり、生産者さんに感謝したり、丁寧に研いだり、まきを割ったり、食べる人に思いを馳せたり、と心の在りようは様々に変化する。それらの感情と行動に正面から向き合って、徹底的に突き詰めていくのだそうだ。どうだろう。日本のモノづくりの精神が、こういった思想と繋がっているような気がしないだろうか。

コンビニ弁当も、行儀の良い行列も、実は深いところで繋がっているのかもしれない。二項対立にならない3を尊び、一つ一つにじっくりと向き合う姿勢。そういう意味では、実に日本らしい精神構造の現れなのだろう。という気がしてくる。

今日も読んでいただきありがとうございます。普段は気が付かないけど、実は日本独自の精神性が伝承されていて、ちゃんとあちこちにあるんだよね。しっかり観察したら、もっともっといろんなところで見つけられるかもしれない。でね。それってぼくらの財産だと思うんだ。明治時代のように、世界の中の日本を考えるときには、やっぱりぼくらのの集団としての精神性や文化を見つめ直す必要がある。今、再びそういうタイミングなんじゃないかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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