今日のエッセイ-たろう

エンバクについて、ちょっと調べたり考えたりしてみた。 2023年5月29日

エンバクというのは不思議な植物だ。人類が農耕を始めた頃は、まだただの雑草だったらしい。まぁ、人間が利用している食用植物は、ほとんど雑草だったのだけれど。エンバクが面白いのは、大麦や小麦の栽培が始まった後の時代でも、ずっと雑草。つまり、麦畑では邪魔者だったわけだ。

最近、農と食のラボラジオというポッドキャストを聞いていて「へぇ~」と思ったのだけれど、エンバクは麦に擬態したというのだ。麦畑の雑草が、いつの間にか麦のようになっていって、どこかの誰かが「これも食用に出来るんじゃない?」と言い出して、それから本格的な栽培へと移っていったのだそうだ。

擬態というと、カメレオンやナナフシのような動物が思い浮かぶ。外敵から見つからないようにするために、周囲の環境と見分けがつかない表現型を獲得することだ。植物でありながら擬態するというのは、とても興味深い。

エンバクはオーツ麦とも言われている通り、麦の仲間である。大麦や小麦と大きく違っていたのは、脱落性。そもそも、我々が食べている部分は植物の種子なのだ。植物が子孫を残すために、種子は穂からこぼれ落ちていくのが正しい姿である。大麦や小麦は、比較的早い時代に「種子が落ちない麦」が人間に見つかってしまい、「そのほうが収穫が楽だよね」ということで、人為選抜されて現代に繋がっている。エンバクは、もう少し長い間脱落性があったために、人類に利用されるには少し遅れたというわけだ。そうしたわけで雑草だったのだけれど、ある時突然変異で種子が落ちなくなったタイプが登場して、それが栽培種となっていった。ライ麦も同じ生い立ちを持っている仲間である。

人類にとって都合が良いタイプを選んだ。とも言えるし、人類の手を借りたほうが繁殖に都合が良かったとも言える。こんな表現をすると、擬人的ではあるのだけれど、なにしろ繁殖のために鳥に食べてもらうくらいの「身を切る作戦」をとるのが植物なのだ。見方によっては、人類がエンバクを育てることは鳥が種子を運ぶことと同じなのかもしれない。

さて、エンバクは漢字で燕麦と表記する。ツバメの麦とは変わった名前だ。見た目がツバメに似ているのだろうか。写真を見たところ、そのようにも見えるし、そうじゃないようにも見える。ヨーロッパの正装であるモーニングのことを燕尾服というのけれど、それっぽい形とも言えなくもない。判定はかなり微妙なところだ。少し調べてみると、どうやら燕麦はカラスムギ属に属していることがわかった。カラス属の中のツバメとは奇妙である。

よく考えると、麦類を表現する日本語は「修飾語」と「麦」の組み合わせだ。米、ヒエ、アワ、キビのように、特定の固有名詞ではない。固有名詞を持っている植物などは、原産地か原産地に近い地域で、比較的古い時代に伝来したケースが多い。逆に、修飾語を含んだ名称が与えられている場合は、遅れて伝来したものであることが多い。ということを考えると、小麦や大麦のように、植物の見た目で名前をつけられたり、カラスムギのようにカラスが食べるという環境が名前になったりする。もしくは、唐辛子やジャガタライモのように、伝来した地域の名前を関することもよく見られる現象である。

もし、見た目でないとしたらエンバクという名前の来歴は、ツバメがよく食べているとか、ツバメという地域があるという事実が必要だ。ツバメが食べるものと言えば虫。仮に麦をついばむことがあったとしても、名前の由来になるほど目立って食べるということはないだろう。となると、地名か。

地名でツバメといえば、古代中国に「燕」という国があった。紀元前1000年頃から春秋戦国時代にかけて中国の北方にあった国である。古代王朝の周の属国として成立し、その後は戦国時代の一国となり、最終的に戦国七雄の一角を担ったが、秦に敗れて滅亡した。漢字を使う地域で、燕麦の名前の由来になりそうな場所といえばこれくらいのものではないだろうか。他には思いつかない。

だとすると、日本人が燕という国を認識していたということだろうか。燕が滅んだのは紀元前222年。日本は弥生時代ということか。文字はないけれど、既に日本と大陸の交流はあったから伝わっていた可能性はある。燕麦という植物そのものは縄文時代には渡来していたことがわかっているのだけれど、名前がやってきてタイミングはいつなのだろうかということになる。

燕が成立した紀元前1100年頃は、日本史でいうところの縄文時代。このころに、燕から伝わったのだろうか。だとしても、なぜ宗主国である周ではなく燕なのだろう。たしかに燕は朝鮮半島の付け根辺りまでを領土としていたから、中国の中ではかなり日本に近い地域だ。後の時代に「呉の椒(クレノハジカミ)」が呉から伝えられたように、統一王朝以外の国名が用いられることもある。

といったところで、もうひとつの可能性があることに気が付いた。命名したのが誰なのかという問題だ。日本人がそう呼び始めたのならば「外国から伝承されたもの」となる。元々燕の麦という名称が、中国国内で定着した可能性がある。日本人が薩摩芋と呼ぶように、「燕地方のもの」という意味で使われていた名称を、日本が輸入した時に意味を喪失したのか。

試しに、言語翻訳サイトで「オーツ麦」と入力してみたところ、中国語でも「燕麦」と表現されることがわかった。つまり、燕麦は中国語なのだ。どうやら中国語では燕麦や野燕麦という語があるらしく、定着していることがわかった。つまり燕地方の麦という名称由来のようだ。

3100年前から2200年前に、現在の北京を首都とした北方の国「燕」。当時の中国東北地方はどのような環境だったのだろうか。地図で見る限りは、そこそこ山がちな環境のようだ。中国文明の食文化は大きく分けると、北が麦で南が米。これをさらに分割すると、南の山岳部ではアワやキビ、それからソバである。北部の山岳部は燕麦ということになるのだろう。小麦と同程度の水が必要だけれど、比較的冷涼な環境でも育てることが出来て、土壌が酸性でも育つことが出来る。という性質を踏まえると、なんとなく東北部の山中で作られた燕麦が、その地を代表する作物となっていったのだと想像できる。

古代中国文明で燕が果たした役割は大きい。それは日本にとってである。世界最先端の技術を誇る中国の中心地から、東北地方へとそれらが移植された。その東北地方にあった燕が春秋戦国時代に当方へと勢力を広めることになり、朝鮮半島を経由して日本へと文明が伝えられたのだという。紀元前6世紀から紀元前3世紀には、こうした経路で鉄製品や青銅器などが日本へとやってきたようだ。

燕麦のことをちょこっと調べてみたら、なかなかおもしろいことが見えてきた。もっと植物としての進化や特性を見ていくと、世界に分布する燕麦を通して、それぞれの食文化が見えてくるかもしれない。かつては雑草で、そのうちに飼料になって、気が付いたら人間が食べるようになったもの。燕麦は出世モノであるから、縁起の良い食材になる資格があるかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。このペースで調べていくと、たべものラジオの原稿になりそうだな。面白そうなんだけど、今はまだこのくらいにしておくよ。別の原稿を書いている最中だしね。ちょっと息抜きで書いてみたってだけなんだ。

あ、そうそう。砂糖シリーズの本編に登場したケロッグ社のシリアルね。グラハム粉っていう小麦の粉で作っていた「グラニューラ」という食品を売っていたんだ。で、ジョン・ケロッグが研究改良の結果、燕麦のほうが健康的だってことで登場したのが「グラノーラ」ね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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