今日のエッセイ-たろう

オフィスにキッチンが無いのはなんでだろう。 2024年6月24日

なんで会社にキッチンがないのだろう。うちは飲食店だからキッチンがあるのが当たり前だし、なかにはキッチンがある会社もあるって聞いたことがある。だけど、あんまり一般的じゃないと思うんだ。改めて考えると、不思議じゃない?

ぼくら人間っていうのは、みんな食事をする。するでしょう。1日に3食っていうパターンは近世以降の文化だけど、それでもやっぱり一定の時刻になるとお腹が空いてくる。お腹が空いているのに我慢して働くなんてことは出来ないはずなんだ。いや、無理じゃないけれど不自然でしょう。

排泄を我慢し続けてたら、体にもよくないし精神的にも不安定になる。会議中に我慢していて、それが原因で会議のクオリティが落ちるくらいなら、さっさとトイレに行ってスッキリしたほうが良い。空腹を我慢するって、近いものがあると思うんだ。トイレよりは精神力である程度は我慢できちゃうんだよね。それに、トイレと違って食事はそこそこ時間がかかるから、会議中に「ちょっとご飯食べてきます」っていうわけにもいかない。

外食に出かけたり、お弁当を買いに行ったりする。もうそれだけで時間がかかる。そういうのも楽しいんだけど、毎日だと飽きちゃうかもしれない。社員食堂は大きな会社にはあるけれど、人でいっぱいだろうか。持参のお弁当を食べる場所がデスクっていうのも、なんだか居心地がよくない気がするんだよね。でれもこれも、サラリーマン時代に経験したこと。

お腹が減ったら、キッチンに行って作って食べる。お昼ご飯は、自分で作るとか、みんなで作るとか、仲間で順番を決めて作るとか、そういうのってもっと当たり前にならないんだろうか。もともと、職場ってそういうものだったんじゃないかって思うんだ。例えば、江戸の呉服屋とか、近世ヨーロッパの靴屋とか。実際のところはよく知らないのだけれど、キッチンが身近にある方が多かったんじゃないかなって。

よくあるんだ。接待でもそうだし、うちの社内でもそうだし、地域団体でもそうだし。一緒に御飯を食べると、空気が変わるの。それがよく分かる。どうって、問われると言語化するのが難しいんだけど、その場にいると感じる。ちょっと疲れているときだって、雰囲気が硬いときだって、一緒に食卓を囲んでしばらくすると、空気が和らぐ。話が盛り上がらなくったって、和らぐ感じがある。なんだか、心がストレッチされていくみたい。デスクワークやロングドライブで体が固くなったときに、うーんと体を伸ばすとちょっとリラックス出来たりするじゃない。もしくは、温泉に入ってリラックスしたら、ゆったりした気分になるよね。そんな感じがする。

人によっては調理という行為そのものが面倒くさいと感じるかもしれない。そういう人まで無理してキッチンを使わなくたって良いとは思うんだよね。やりたい人が使える環境があればいい。

眉間にシワを寄せながら資料を作っていて、時間に追われているとき。どこからか美味しそうな匂いがしてくる。キッチンがあるからそうなるよね。そこで我慢してたらツライだろうけれど、まいっかと一旦諦めて昼食にしようってキッチンに向かってもいい。そういうことが当たり前の社風も素敵だな。でね。キッチンで時々顔を合わせる知らない人と、いつのまにか会話が始まったりして。器用ですね。美味しそうですね。それなんていう料理ですか?ちょっと食べてみますか?おいしー。まるで漫画のようなイメージが広がるんだけど、そうなったら楽しそうだ。

そのうち、サークルみたいになったりしてさ。じゃあ、誰か外部の料理人を呼んでみんなで料理してみようかなってことになったら、ぜひ呼んでほしい。参加したい。

今日も読んでいただきありがとうございます。会議も思考も、社内コミュニケーションも良い方向に向かいそうな気がするのだけれどね。まぁ、やってみないことにはわからないし、試してみるにも設備投資が必要だったり、社内の雰囲気が変わらなくちゃしょうがなかったりするんで、なかなか大変だろうけどね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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