スローフード運動と、小さなコミュニティと食の社会課題を考える。 2023年4月1日

昨今ではあまり聞かなくなってしまったけれど、かつてスローフード運動という言葉が叫ばれた時代がある。テレビや新聞などのメディアでよく見かけたものだ。現在では、あまり見かけなくなってしまったのだけれど、その動き自体が消えてしまったわけではないし、もしかしたら他の言葉に置き換えられているのかもしれない。

スローフードという言葉は、どこかで独り歩きしている感覚がある。ぼくも初めて聞いたときには、ご飯をゆっくり食べるということを言いたいのかと思っていたくらいだ。オーガニック食材を使うことを推奨しているように捉えている人もいた。おそらく、この勘違いから日本各地のスーパーマーケットでオーガニック食材が増えたし、それを求める消費者が増えたのではないかとすら思っている。

地元のスーパーマーケットなどで、地元の生産者さんが作った野菜を置いているところがある。中には、生産者さんの名前が記されたシールが貼ってあるものもあって、ある種のブランドのようになっているかもしれない。実際に、誰々さんの野菜は美味しいとか、そんなふうにして野菜を選んでいる人も多いらしい。

こうした動きは、個人の能力の可視化でしかないようにも見える。特定の人が礼賛される一方で、誰々さんの野菜はイマイチだというレッテルを貼られることになる。単純に競争のための仕組みのようになっているのではないだろうか。

スローフードの本質はそこではない。

小さなコミュニティのなかで、知っている誰かのために美味しい野菜を作った。だから、その野菜を買う。たとえ、それが他のものよりも価格が高いとしても、それを買う。

つまり、誰かが誰かのために行動するというサイクルを加速させたいということなのだ。姿形のわからない遠くの誰かは、消費者という言葉に代替されてしまう。そうした感覚の中では、相手が人であることを見失ってしまうこともある。たしかに、生産者の方々は消費者のためにと思いを込めて美味くて健康的な野菜を作りたいと思っているだろう。けれども、流通コストや効率を考えることが優先されてしまうような「仕組み」がそこにはある。

ダンバー数には上限があって、どんなにネットワークを広げても、虚構を積み上げてみても、認知できない世界が生まれてしまう。だから、誰かのためにというピュアな思いは、どうしても薄れやすくなってしまう。

小さなコミュニティは、互いにどこの誰なのかが分かる状況のことだ。直接本人の事は知らなくても、誰それさんの親戚だとか、どこそこの会社で働いているだとか、なんとかさんの息子だとか、ゆるやかな繋がりがある。物理的な接点があると、その人のために何かをしてやろうという気持ちも起きやすいのだろう。以前、エッセイで書いたけれど、小さな世界の融通と贈与関係の解釈と似ている。

小さなコミュニティのなかだと、返報性の法則が強く働きやすいということなのかもしれない。お返しなんていらないとか、急がなくて良いとか、そんな感覚。私に返してくれなくても、受けた恩は他の誰かに返してくれたら良いよ。二宮金次郎が説いた恩送りの精神である。

もしかすると、現代において恩送りが難しいのはコミュニティが大きくなってしまっているからなのかもしれない。つまり、顔のわからない誰かになってしまっている。

小さなコミュニティの中では、わずらわしさもある。その煩わしさを回避するために、交換関係を持ち込んでいる。もともと、貨幣経済が誕生したきっかけは、信頼の薄い外部との出来事で、その場で返礼を精算することだったはず。お返しが遅くなったり、なかったりすると揉める原因になるから。

人間関係が希薄になればなるほど、交換関係が重視されるということになるのだろう。

現代社会では、上記とは違う文脈で貨幣経済が成立している。だから、小さなコミュニティの中でも交換関係が必要なのだ。ただ、それは外部との交換関係とは違ったカタチかもしれない。言葉にすると、同じく交換関係なのだが、それは相手によってグラデーションのように変化するものなのではないだろうか。

これを、仕組み化したり社会実装しようとしたのが「スローフード運動」なのだと、ぼくは解釈している。

今日も読んでくれてありがとうございます。今更、こんなことを書いてみようと思ったのにはきっかけがあってね。大したことじゃないんだけどさ。いろいろと、食に関連する社会課題のことを考えていたら、スローフードの考え方に行き着いたんだ。そしたら、あまり知られていないらしいことを知って、書き出してみたってはなしだ。

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