幼児向けテレビ番組から聞こえてくる「でんでんむしむし、かたつむり」。そういえば、この生き物の名前は何だっただろう。でんでんむしなのか、それともかたつむりなのか。身近にいる割に、よく知らない。「角だせ、やりだせ、目玉出せ」というけれど、たぶん角も槍もないし、目玉だってどこにあるのかよくわからない。
調べてみると、どちらも生物学的な名前ではないらしい。陸に住む巻き貝のうち、殻を持つものの通称。つまり日常語。殻のないものをナメクジというとのこと。なんとなくそうじゃないかとは思っていたんだけど、やっぱり君たちは仲間だったんだな。
でんでんむしむし。は、元々「出ろ出ろ虫」、つまり「虫よ出てこい」と呼びかける言葉だったらしい。狂言「蝸牛」の中で、カタツムリよ出てこいと歌うシーンがあって、その時の囃子詞なのだそうだ。じゃあ、なんでまたカタツムリを探しているのかというと、主人に命じられたから。人間ほどの大きなカタツムリは長寿の薬になると考えられていたという。実物を知らない主人公は、ヤブで寝ていた修験者をカタツムリだと勘違いして、修験者にからかわれるというような話。
今ではカタツムリが一般的になったけれど、呼び名は地域ごとにいろいろだったようだ。マイマイという呼び名はうっかり外語由来だと思っていたけれど、そうじゃないらしい。柳田國男の蝸牛考では、「関東地方ではマイマイ、近畿地方では概ねデンデンムシ」という分布傾向が見られるという。方言だったんだ。
ちょっと調べてみるだけでも色々と面白い。
現代なら、ちょっと詳しく知りたいと思ったら簡単に調べられる。見たことも聞いたこともないことだって、なんでも検索して「こういうものなのか、ふむふむ」となる。身近で知っているものと比べて、どこが似ているとか違うとか、そんなことで知っているつもりになれる。
食の歴史をいろいろと調べては勉強しているけれど、ホントの意味では全然わかっていない。勉強すればするほどよくわからなくなってくる。研究者の方々が調査研究したものをもとに書籍化されたものは、それなりに僕でも解釈できる程度に噛み砕いてくれている。とてもありがたい。けれど、やっぱり昔のことは昔のことで、想像するしか無い。想像できないこともたくさんあって、実際のところどんな暮らしをしていたのかイメージしようとすると、ぼんやりと霞がかかったようになってしまう。
そもそも僕が想像できるイメージは、僕が知っていると思っていることをベースにしているのだ。映像や漫画、絵画などで描かれた風景。小説や資料に描かれた情景。現代の生活で触れることの出来るいろんなこと。だから、脳内の世界に現れる戦国武将はみんなイケメンや、いい味出している人になってしまう。そんなわけないだろうに。有名な武将の絵は見たことがあるけれど、どうもあの姿が動いているシーンをイメージしづらい。
わからないけれど、断片的な情報だけがやってくる。とても鼻が長くて、耳は大きな団扇よりもさらに大きくて、太い足をした巨大な生き物。現代人なら、すぐに象のことだなとわかるし、象の姿を思い浮かべる事ができる。さて、初めてこの情報に触れた人々はどんなイメージを膨らませたのだろう。
自分が生まれる前のことは、映像や写真で見ることは出来てもリアリティがない。親や祖父母から話を聞くだけでも、けっこう驚きを得ることもある。とうのは、書籍や資料だけでは得られない「ちょっとした情報や感覚」が、イメージしていたものと違うからなのかな。で、ちょっとだけ解像度が上がったような気がするのだ。
今日も読んでいただきありがとうございます。解像度を上げるためにはたくさんの情報と、それを組み合わせるのが大切だ、ってことなんだろうか。途方もない道のりだ。それを詠むことが出来るっていうのは、すごくありがたいことよね。