バレンタインデーが静かに通り過ぎていった。妻や娘から手作りのチョコレートをもらって、それが世の中の一大イベントの一貫であるということを忘れいていた。うまく表現ができないのだけれど、それは家族のイベントで、家族がほっこりと喜びあえるものだという感覚。
テレビであちこちのチョコレート売り場が混雑していたというニュースを見て、やっと世間の感覚を思い出すような始末だ。そんなだから、当日が14日だったことすらも忘れていたのである。
日本のバレンタインデーは、日本だけの慣習だということはよく知られている。チョコレートをプレゼントするというのも、お菓子会社の宣伝として始まったことも有名だろう。
昭和7年(1932)の神戸で、バレンタインチョコは始まったとされている。モロゾフというチョコレートメーカーが、英字新聞に広告を掲載したという。モロゾフというのはロシア人の名前である。日本が急速に西洋化を推し進めていた大正15年(1926)。西洋の食料品を扱う事業を起こすことを思いついて神戸にやってきた。
時代は、ロシアからソ連へと移り変わるころ。満州事変や日中戦争など、極東の情勢は不安定な時代である。
1931年。モロゾフ製菓は日本の資産家の出資を受けて、会社を拡大した。代表取締役には日本の葛野、取締役に父フョードル・モロゾフ、技術者として息子のヴァレンティン・モロゾフという布陣。後にモロゾフ親子と葛野の関係が悪化して裁判沙汰にまで発展していくのだけれど、バレンタインチョコレートを発売したのは、事業拡大の機運が高い頃のこと。
バレンタインデーというのは、元々キリスト教以前のローマ帝国から伝わる愛の行事だという。家庭と結婚の神であり、すべての神々女王でもある女神ユーノーの祝日が2月14日。2月15日に行われた祭りでは、前日に女性が桶の中に名前を書いた札を入れ、当日には男性がそれを引くという行事があったらしい。そしてマッチングした二人は祭りの間一緒にいることになっていた。その多くはそのまま恋に落ちて結婚したのだそうだ。現代の婚活パーティーみたいだ。
バレンタインデーの名前の由来となっているのがキリスト教司祭の聖ウァレンティヌス。彼が生きた時代、ローマ皇帝によって兵士の結婚が禁止されていた。妻子を故郷に残していると、兵士の士気が下がるというのが理由だったそうだ。悲しむ兵士を哀れんで、内緒で結婚式を行っていたのが聖ウァレンティヌスなのだ。皇帝からやめるように言われ続けたが、拒否したことから最終的に処刑されてしまう。それが2月14日。
1000年以上の年月の間に、紆余曲折があって「カップルが愛を祝う日」「恋人や家族など大切な人に贈り物を送る日」として定着していった。
チョコレートが贈り物の定番となってくれたら、それはチョコレートメーカーとしてはありがたいことだ。なにしろ、当時の日本でヴァレンタインデーを知る人はごく少数。西洋化を始めた時代であるから、うまく刷り込みができれば長く売れ続けると考えたのだろう。
モロゾフ親子の息子の名前はヴァレンティンである。英語読みをすればヴァレンタイン。明確な記述は見つけられなかったけれど、もしかしたら、彼の名前がヒントになったのかもしれない。何かの会話のなかで、ヴァレンタインの名前から連想して贈り物としてのチョコレートを思いついた。想像でしか無いけれど、ありそうな話でもある。
バレンタインチョコが定着したのは70年代も後半に入ってからのこと。モロゾフを始め伊勢丹などの戦略が実を結んだのは半世紀近くも経ってからのことだった。日本の男性には女性に贈り物をするという文化があまりなかった。だから、「女性から男性へ」というベクトルをコピーに盛り込んだことで一気に広がったらしい。この頃、「1年に一度女性から愛を打ち明けて良い日」
というコピーも登場している。
女性から告白するということが無い文化であったこと、それから少女漫画やドラマなどの影響もあって女性の自立が加速し始めた時代だったことなどが手伝って、日本式バレンタインデーが確立したのだそうだ。ちょうど、日本の現代的経済が完成して、社会が消費社会へとシフトしていたことも影響しているだろう。
今日も読んでくれてありがとうございます。ちゃんと調べたらいろいろと面白いエピソードが見つかりそうだな。いつか、たべものラジオで取り上げるかもしれないし、忘れてしまうかもしれない。日本に限らないけれど、文化の変遷って誤読の積み重ねっぽいなぁって思うよ。