今日のエッセイ-たろう

使いっぱなしの生活。 2023年7月20日

窓から外を眺めれば、かつては茶畑だった場所には藪が広がっている。いくつもの畑が消えていくけれど、その畑は山に戻ったり、宅地や工場になったりと行く先は様々だ。当店のある場所だって、半世紀ほど前までは山だったのに、切り崩して商業施設に変えたのである。

日本という土地は、少し目線を上げれば山が目に入る。山が身近に感じられないような都会であっても、少しばかり足を伸ばすだけで山らしい山に触れることが出来る。そのくらい山が多い場所なのだ。タイからやってきた友人を案内していた時、友人はカメラを山に向けた。城や庭園や寺などを撮影するときと同じくらいに熱心に撮影しているので、不思議に思って訪ねてみた。すると、日本のような山は珍しいという答えが返ってきたのである。確かに、海外の山は切り立った岩山や丘と呼んだ方がしっくりくるようなものが多い。

昔からずっと当たり前のようにあるもの。なんだか、無限にあるもののように感じてしまう。水も土も、人間が使っても無くなることはないと錯覚するほどにたくさんある。意識はそうでなくても、私達の行動はそれを現しているように思える。

土というのは、地球のあちこちにある。しかし、その中で農業に向いている土はどのくらいだろうか。フカフカの土壌があるように見えていても、深さはさほど無いというコトも多い。武蔵野台地は粘土層の上に豊かな土壌が「載っている」に過ぎないという。世界に目を向ければ、わずか3センチのところもあれば30センチのところもあるし、1メートルに及ぶところもある。

こうした土が減少している。あまり知られていないけれど、私達の生活の多くを支えてくれている土が減ったり、痩せ続けていたりするのだ。

土は自然循環の中で再生する。再生するのだが、それにはとても時間がかかるのだ。日本の場合でも1センチの厚みの土ができるまでに100年を要する。30センチとなると3000年。1メートルなら1万年。日本は、その気候や地形的な特徴から、比較的再生し易い環境らしいのだけれど、それでもこのくらいの時間がかるのだそうだ。

世界の畑のうち16%は、100年以内に表土が30センチ無くなる。たった100年で3000年分の積み上げを失うというのだ。再生よりも減るスピードのほうが圧倒的に早い。圧倒的に。

土や山に対する意識が低いということも、もちろんある。デベロッパーたちは、いともたやすく「何もない」と言うけれど、そこには山があり植物や動物がいて土がある。私達の生活の根幹を支えているものがあるのに。

一所懸命に生きると、結果的に土や山が減って水資源にも影響を与える。沢山の人の食を支えるために、効率の良い大型機械を用いた大規模農業がある。そのおかげで、助かっている部分はとても大きい。ただ、頻繁に掘り返された土は、風化して痩せてしまう。日本のように湿度の高い土地ならばまだしも、乾燥した土地ではあっという間に風に乗って飛ばされてしまう。それを防ぐために、限られた地下水を大量に使用する。結果として、土も水も失われていく。

土地開発を行う人達も、大規模農業を行う人達も、悪気など無い。私達だって、そのおかげで日々の豊かな生活を送っている。社会をより良くしようと思ったら、なぜかそうなってしまうだけのことだ。

誰かが悪いと断罪することなど出来ないだろう。そうした論調を見聞きすることで、自分が悪者ではないと溜飲を下げることもあるかもしれないけれど、そんなものではない。私達の今までの常識で考える「当たり前」は、当たり前じゃないのだ。こんなに急速に「自然の力」が「再生よりも減少」というトレンドに移行したのは、近代以降のこと。特に直近の100年で加速してしまった。

使ったらちゃんと後始末をすること。とぼくらは子供の頃から言われてきた。おもちゃは片付けるし、運動場は整地する。次に使う人のために。現代人は次に使う人のことを考えていないとも言いかえられるかもしれない。使いっぱなしの社会。

今日も読んでくれてありがとうございます。土からもらったものって、最終的にどこへ行くのかね。排泄物もそうだし、生ゴミもそうだし、家電やスマホも土からもらったもの。別の場所に移しているってことなんだろうな。いつかは循環するかもしれないけれど、遠くへ運んじゃったらメチャクチャ時間がかかりそうな気がする。もっと小さいサイクルを作ったほうが良いのかな。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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