「おとぎ話の王子でも、昔はとても食べられない、アイスクリーム、アイスクリーム」
「ぼくは王子ではないけれど、アイスクリームを召し上がる、アイスクリーム、アイスクリーム」
きっと、多くの人がこの文章をメロディー付きで読んだことだろう。有名な「アイスクリームのうた」の歌いだしだ。NHKみんなのうたで放映されてから既に半世紀以上が経っている。
当たり前と言ってしまえばそれまでだけど、改めてありがたいことなんだと思い返すことがある。たべものラジオ本編で紹介した通り、人類が「自由に冷却をコントロールする」術を手に入れたのは19世紀も後半になろうかという頃だ。そして、庶民が冷却技術を手元に置き、その恩恵を直接感じられるようになるのは戦後のことである。それまではアイスクリームなどというものは、存在すら知られないほどのレアモノだった。
先日、集中豪雨の影響で一時的に停電が発生した。2時間もしないうちに復旧したのだけれど、タイミング悪く夜の開店直後の出来事だった。
停電が発生すると、照明も付かないしエアコンも使えない。IHコンロ、グリル、電子レンジ、スチームコンベクションオーブンなど、現代の家電は全滅だ。調理に使えるものと言ったら、ガスコンロがあるだけ。冷蔵庫も冷却できなかったけれど、短時間の停電だったから食材への影響はなかったし、製氷機に氷があって助かった。改めて現代の調理場は電気に依存していることを痛感させられた。
加熱調理に関しては、大した問題にならない。手間はかかるし、使える技術の幅は狭くなるけれど、炭があればどうとでもなる。困ったのは、やはり冷蔵庫。今回は事なきを得たけれど、もし長期間だったとしたらと考えただけでもゾッとする。いったい如何ほどの損失になるだろうというくらいの在庫リスクが有る。
いつでもある程度の食事を楽しむことが出来るのは、冷蔵庫のおかげだ。それは外食産業もそうだけれど、人類にとって大きな存在である。現代人は科学によって支えられているんだと実感した時、冒頭の歌が脳内に流れ出して、ちょっと気が抜けたようだ。
いちばん難儀したのは水だ。当店の水道設備は一般家庭のそれとは違う。大きめの貯水タンクがあり、そこからポンプで店内に水を流している。もちろんポンプは電動である。公の水道設備が稼働していれば、一部地域で停電が起こっても水に苦労することはないかもしれない。それが、止まってしまった。
とはいえ、タンクから直接水を取り出せるバルブは付いているし、野外には一箇所だけタンクに繋がるまえの蛇口がある。つまり、施設内で水を使える場所があるのだ。
水がなければ調理場は機能しない。手を洗うことさえ出来ないし、まな板も包丁も洗えない。煮炊きするにも水が必要だ。ということで、寸胴を片手に水を汲みに行くことになった。そこそこの大きさがあれば、しばらくの間水を使える。
やってみると以外に面倒である。手を洗うにしても、両手を洗い流すことが出来ない。いや、出来るのだけれど、戸惑ってしまう。汲んできた水をボールに移して、その中で手を洗う。といったことをしなければならない。それも何度か繰り返すことになる。洗剤を使えば、それを洗い流すにはそれなりの水量が必要になる。
水道設備が停止したら大変だろうな、ということは思っていても。実際にやってみると、本当に大変だった。現代の便利さに慣れているからだ。冷静に考えれば、ほんの1世紀前までは当たり前の光景だっただろう。江戸時代の料理屋は、どんな厨房でどんな働き方をしていたのだろう。そもそも、井戸から水を汲んでくるということは、日常生活のこと。面倒だという感覚などない。むしろ、現代のように蛇口をひねれば水がジャバジャバと流れ出してくるなど、想像の外のことだろう。
現代人は「とんでもない世界」に生きている。そんな気すらしてくる。
今日も読んでくれてありがとうございます。調理の基礎技術があって良かった。完全に機械に頼っていたら、調理がストップしてしまったところだった。ご予約をしていただいていたお客様には申し訳なかったけれど、蝋燭の灯りというのも悪くないと笑っていただいた。行灯があればもっと良かったな。緊急災害時に耐えられるかどうか、と言う観点もフードテックとか食産業の未来を語る中に入れておかなくちゃいけないな。