器と盛り付けと見せ方のはなし。 2022年7月22日

普段提供している料理は、いや主語が違うな。提供スタイルは、会席料理だ。会席料理は、一皿づつ料理を提供する。これを喰い切り料理というのだけど。単品で提供する場合とはいくつかの点で違いがある。単品は、その一皿で物語が完結している。言ってみれば、短編小説のようなものだ。居酒屋などで、様々な単品料理を注文するのは、短編集を読んでいるような感じなんだろうね。で、この作家はこういう雰囲気なんだなってことをつかんでいく。

会席料理は、一人当たり5皿から10皿の料理が割り当てられている。パッケージ商品に近いかもね。刺し身があったり、汁物が有ったり、焼き魚や煮物もあったりして、それらが予め整えられている。ただ、パッケージ商品というだけならば、旅館などで提供される宴会料理も同様だ。席についたときには、すでに様々な料理が並べられている。まぁ、どこへ行ってもそうだってことではないけどね。全部並べるスタイルで提供しているところが多い。

会席料理に限らず、喰い切りスタイルの場合は、一品ずつ順番に提供される。つまり、時間軸が加わっている。そういう意味では、音楽や長編小説や映画とも共通しているんじゃないかと思っている。ストーリーが組み込まれているんだ。具体的な物語が織り込まれているケースも、まれにある。が、ほとんどの場合は、盛り上がりの緩急だとか、テーマだとかを据えて、流れを作り出すのだ。

これを前提として考えると、献立を立てるというのは、内容とストーリーを組み立てるということになるんだろうな。作曲家であり、演奏者でもある。そんな感覚だろうか。

これだけスタイルが違うと、器を選ぶ基準も違ってくる。一皿で完結したデザインにするか、あえて不完全なものにするか。ややこしいな。考えるのは、あくまでも全体の流れであって、一皿の料理は構成要素の一つである。という捉え方をする。

何種類もの料理を一皿に盛り込んで提供したら、次はスッキリシンプルに出したい。色はどうするかな。基本的に、卓上に並ぶのは一皿だけれどタイミングによっては二皿が並ぶこともある。となると、大きい皿が続いたら並べられないかもしれない。卓上に置いたときに、見えるか、どう感じられるか。という、いくつもの要素を考えながら器を選んでいくのが基本だ。もちろん、中身とのマッチしていなくちゃいけない。当然だけど季節感も大事。言語化してみると、面倒くさいことやってるな。実際は感覚で選んでいるのだけどね。ややこしいときは、全部の皿を並べてみて考える。ということもやる。

提供する皿の順番を変えるだけでも印象が変わる。どの皿にどんな料理を盛るかでも違う。刺し身だって、器によって見え方が違うから面白い。

あ、そうだ。こういうふうに皿を選ぶのも日本料理ならではだね。ヨーロッパの場合は、基本的に白くて丸い皿を使う。近年では違うタイプも使われるようにはなったけどね。それでも日本料理が使用する皿のバリエーションには遠く及ばない。四角や三角というだけじゃなくて、葉っぱのカタチをしていたり、瓦を模したものだったり、柚子や柿のカタチをしていたりと様々である。こういう違いを文化背景や思想の違いから読み解いていったら面白そうだな。いずれ、盛り付けをテーマにしたシリーズをやろうと思って入るのだけれど、さていつになるかな。

器で味が変わる。という話を聞いたことがあるだろうか。酒器について語られることが多いかもしれない。器の唇に触れる部分の厚さ。器自体が開いているか、すぼんでいるか。鼻まで覆うような大きさであったり、小さいものであったり。材質による感触の違いもあるし、木の香りがすることもあるし。夏だったら涼やかなガラスや錫の酒器も心地よい。見た目の印象ですら、味覚センサーに影響があるというのだから面白い。

もちろん、酒器に限った話ではない。どんな料理であっても、同じことが言えるのだ。

だから、ストーリー構成以外の要素として、どのように料理を演出するかということも重要になる。これは、喰い切りではなくても同じことが言えるだろうから、一皿ごとの話になるのか。

ぼくらの情報発信の中心は、ポッドキャストである。とまぁ、この文章を読んでくれている人ならばわかりきったことかもしれない。けど、全く同じ内容だとしても、どんな器で情報を提供するかで味わいが変わるのじゃないかと思っている。

今回のような話も、こうして文章で読むのか、音で聞くのか、動画で見るのか、それだけでも受け取り方は違うのだろうとね。もしかしたら、脳内でぼくの声を再生しながら読んでいる人モルかもしれないけど。どうだろうか。

同じ内容でも、それを表現するスタイルによって、印象が変わる。それは受け取り方が変わるってことだよね。受け取りやすいように、盛り付けるんだ。器が変われば、盛り付け方も変わる。刺し身だったら、切るところから変わる。盛り付けの完成図を想像しながら切るからね。というようなことを、情報発信でも考えるのが良いと思うんだ。

もう1年以上も、こうして他愛もないことを書き続けているわけだけれど、これは文字だから書けることでもあるのだろうね。音声配信だったら、もう少し組み立て方を変える必要があるはず。ということになるな。

今日も読んでくれてありがとうございます。そういえば、営業マンとして仕事をしている頃は、自然と切り替えていたかもしれない。対面の場合だったら、パワポの資料があるか、それも紙なのかスライドなのか、紙一枚なのか、そもそも口頭だけなのか。器のカタチが違うから、それに合わせて盛り付けを変化させていたんだな。けっこう、みんな無意識にやってるんだろうね。しらんけど。

記事をシェア
ご感想お待ちしております!

ほかの記事

エンバクについて、ちょっと調べたり考えたりしてみた。 2023年5月29日

エンバクというのは不思議な植物だ。人類が農耕を始めた頃は、まだただの雑草だったらしい。まぁ、人間が利用している食用植物は、ほとんど雑草だったのだけれど。エンバクが面白いのは、大麦や小麦の栽培が始まった後の時代でも、ずっと雑草。つまり、麦畑では邪魔者だったわけだ。...

食産業の未来を考える。たべものラジオ的思考。2023年5月27日

もしかしたら以前どこかで話したかもしれないのだけれど、現代の食産業は、産業革命期のアーツアンドクラフツ運動の時期に似ているののじゃないかと思っている。簡単に言うと、産業が近代化した時にあらゆる物が工場で機械的に生産されるようになった。安価でデザインを置いてきぼりにした家具などが大量に出回るようにな...

「ホウレンソウ」で時間をかけるのは相談。 2023年5月26日

「報告、連絡、相談」。通称「ホウレンソウ」は、社会人になると一番最初に言われることだろう。もっと前の学生時代から言われているかも知れない。たしか、ぼくが企業に就職したときもしつこく言われた記憶がある。で、少し思い出したのだけれど、けっこう無駄も多かったという気もしている。...

「食事」という人類の営みの歴史から見る「作法」と「矜持」 2023年5月25日

時々目にすることがあるのだけれど、飲食店によって独自のルールを決めているという記事や書き込みがある。同じく飲食店を経営している身であるから、気持ちは分からなくもない。けれども、独自ルールが特徴的であるということが記事になるような場合、少々やり過ぎではないかと思うケースが多いように見える。...

食べ物と産業と歴史。これからの未来のために。 2023年5月24日

たべものラジオは、食のルーツを辿る旅のような番組だと思っている。その特性として、歴史という意味ではとても長い時間軸でひとつの事象を眺めることになる。ひとつの時代を切り出すのではなくて、紀元前から現代までの長い時間を、ひとつの視点からずっと追っていく。そういう見方だ。だから、ひとつのシリーズがとにか...

話し合いの作法と情報共有。 2023年5月23日

話し合いという場で、どうしても会話が噛み合わないことがある。それは、それぞれの人が大切にしているポイントが違ったり、思想が違ったり、解釈が違ったりするからで、ある意味仕方のないことだ。むしろ、そうした人たちとの対話は望ましいとすら思う。ただ、上記のこと以外で会話が進まないことがあることに気がついた...