新年の初詣に出かけた人も多いだろうけど、あれは一体いつから始まったのだろう。
新年を祝うという気持ちは、平安時代からあったらしい。室町時代ころになって、荘園制度が崩壊したことで消炎の鎮守神は地域の氏神になったそうだ。で、家々の家長が大晦日の夕方から神社にこもっって物忌を行ったという。物忌だから、お酒を飲むこともないし、音楽もない。ずいぶんと静かな年越しである。
江戸時代も後半になって、寺社参詣が「楽しみ」になっていく。都会に住む人達はそこそこ暮らしに余裕が出てきていて、大都市だからこそ地元の氏神ではなく遠くの神社にお参りに出かけるようになった。その中でも有名なのが伊勢参りだね。東海道中膝栗毛にもあるように、お参りという「名目」で旅を楽しむ傾向が強くなっていく。信心が無いわけではないのだけれど、お参りそのものが楽しいことになっていったわけだ。これを煽ったのが団体旅行を企画していた商人たちだというから、おもしろい。
明治から大正にかけて鉄道が発達していく。そうすると、鉄道会社が鉄道沿線にある神社への参詣客誘致を行うようになった。東京だったら、成田山新勝寺や川崎大師が有名。たくさんの乗客があれば、鉄道会社は潤うからだ。ちょうど明治時代から「元日は国家的祝祭日」ということになったから、正月の一大イベントとして、国民全体で新年を祝う思考が定着していって、それと神社などへの参詣が組み合わさった。
現代人が見る「混雑した初詣」は、歴史的には最近のものなのだそうだ。
神社の景色は、ぼくの知る限り変わらない。住まいの周りはずいぶんと変わってしまっていて、友達と駆けずり回った山々はなく幹線道路になっているし、ザリガニやオタマジャクシを掴まえに言った水田は、団地へと姿を変えた。けれども、神社だけはずっとむかしの姿を留めている。
実は、これって本当にスゴイことなんじゃないかと思うんだ。どこかの誰かが、変わらない姿を残そうという強い意志を持っていなければなし得ない。なんというか、社会というのは勝手に変わってしまうものだという観念があって、放っておけば神社もお寺も変わってしまうかもしれない。
10年前に掛川に戻った時に感じたのは、どこかホッとした気持ちと得も言われぬ喪失感。変わってしまった風景は、それほど思い入れのあったものではなかったのだけれど、それでも二度と出会い直すことが出来ないという実感は、心のどこかにある心象風景を支えるものを失ったような気持ちになった。一方で、変わらない風景に出会ったときにはなんともいえない暖かさと安心感を味わったものだ。
おそらく、だけど。地元の神社も、きっと数百年の間「原風景」であり続けているのだろう。心の拠り所と表現するのが適切かどうかわからないけれど、なにかしらぼくらに「ホーム」と言う感覚を与えてくれる。そんな場所であって、それを脈々と維持し続けている。
イノベーション、新規性、など変わろうという意識が強い中で、同時に「変わらないこと」に全力でコミットしている存在。実は、とても重要なことなのかもしれない。変わらない部分が存在し続けているからこそ、安心して変化し続けられる。そんな感覚。社会変革のバランスをとっているんじゃないかって、そう思えるんだ。
過去から現在までの連続感。そういうのが大切なのかもなぁ。ぼくらはそういう生き物だと思うんだ。
和食とか日本料理と読んでいる食文化も、それと連動した行事食も、きっと歴史と接続しているという実感を与えてくれる存在なのだろう。誰かが、変革を受け入れていく。その一方で変わらないための労力を払い続ける人もいる。どちらか片方じゃなくて、両方がとても尊いんだ。
こうした世界観が、日本文化を日本文化たらしめる。言語化がとても難しい日本の原風景という曖昧な感覚。これは、言葉を使わずに身体的に取り込んできたものだろうし、それを持っている人たちの集団意識が文化というものを形成している。そうだとすると、幼少期から身近に「ただ有る」ということが大切なのかな。
神社の境内でカンケリをしたとか、そういうライトな接し方。朝食のお味噌汁とか、おかずは何であれご飯を食べるとか、飲み物はお茶だとか。年末には餅つきをして正月にはそれを食べる。まぁ、なんでも良いのだけれど。変わらない神社のような原風景は、食文化としてとても身近にあって、そういうことを慈しむ気持ちは無くしたくないな、と思ったよ。
今日も読んでいただきありがとうございます。変化の激しい時代だからこそ、何を変えて、何を残すのか、ということを考えなくちゃいけないんだろうな。つい、新しいことに目が行きがちだけど、変えないという意思を持つ存在にも目を向けないとね。歴史を勉強するようになって、そう思うようになった。