掛川市には高天神城跡という史跡がある。うっかり史跡めぐりで夏場に訪れるのはおすすめできない。もし行かれるのであれば、夏でも長袖に長ズボンのフル装備が良い。行楽気分で行くと、あっという間に蚊の餌食となる。ここは史跡であると同時に、山なのだ。
史跡めぐりと称して、高天神城跡や小笠山砦跡などを訪れると、そこには様々な服装の人がいる。まちなかを歩いていても違和感のない格好をしているのは、歴史観光の人たちだ。息を切らして砦までたどり着いてみると、すれ違うのはトレッキングにふさわしい服装の人たちにも出会うことが出来る。
夏場のことではないけれど、ぼくなんかも気軽な格好で史跡めぐりをしている。すると、すれ違う人に「こんにちは」と声をかけられて、うっかりすると反応が遅れてしまうことがある。観光のつもりの人と、登山のつもりの人の意識の差なのだろう。
関東にいるときも、何度か筑波山などの山に登ったのだけれど、どういうわけか人は登山をすると誰とでも挨拶をするらしい。東京圏に住んでいて、見ず知らずの人とすれ違いざまに挨拶するのは山の中くらいのものじゃないだろうかと思うこともある。なぜ人は山の中では挨拶をするのだろう。
子供の頃は近所の山が遊び場のひとつだった。あまり人に出会うこともないのだけれど、時折農作業をしているおじさんに出会うこともある。そんな時、互いに「こんにちは」と声を掛け合ったことなんかなかったんじゃないかな。挨拶はしない。だけど、ちゃんとお互いの存在は認知している。「あぁ、いるな」くらいのものだ。高くもないし深くもない山だから挨拶しないのだろうか。あまりにも暮らしに密着していると、やっぱり挨拶をしなくなるのだろうか。
山の中でなく、里で誰かと出会ったら目だけで挨拶するか、「おう」と言うかもしれない。今でも、近所の人と顔を合わせればそんなものだ。雑なあいさつ。「いるよ」「おう、いるな」というくらいの感覚。他人だけど他人じゃない、という距離感が醸し出す特有の挨拶なのかもしれない。
さあ登山をするぞ。という格好で行くような山になると、近所の人ではない他人と出会うことになる。そこで「おう」などと雑なことを言うわけにも行かないから、それなりによそ行きの挨拶をするのだろう。それも気持ちよさそうに朗らかに。まぁ、天気の良い日に登山などをしていれば、自然と気持ちの良いあいさつになるのでもあろう。
どちらの挨拶も、お互いの存在を認識し合うためのものだと思う。もし、なにかトラブルがあったら互いに助け合うことが出来るという確認かもしれない。
冒頭に紹介した高天神城跡は、難攻不落の名城である。簡単には登れないような険しい山だからこそ、防御力の高い砦を築くことが出来たわけだ。それはすなわち、登山者にとっては危険を伴う環境であるということ。山の中に入ってしまえば、その自然の前では人間が非力であることを感じないわけにはいかない。つまり、生存戦略としてのあいさつがあり、それは即ち共助の原型とも言えるのだろう。
現代社会は、直接的に命の危険に脅かされることが少ない。前触れもなく建物が倒れてきたり、足場がなくなったりすることは稀なのだ。物理的な生命のリスクが感じられないので、生存戦略としての共助が成り立ちづらいということもあるのだろうか。ホントは、経済とか人間関係なんかのいろんなリスクがあるはずなんだけど、そのための共助は働きにくいということなのだろうか。もちろん、「無い」わけではないだろうけれど、物理的なリスクよりに比べると「自分のことは自分でやれば良い」という感覚が強うそうに見えてしまう。
今日も読んでいただきありがとうございます。山小屋の人が麓で水を購入して、登山口の小屋に置いておく。そうすると、荷物に余裕のある登山者がついでに持ってきてくれる。っていう文化があるんだって。親切心といのもあるんだけど、ちゃんと見返りも期待しているんだと思う。見返りといってもお金やサービスじゃなくて、「そこに山小屋がある」といのが大切なんだよね。山小屋って登山者にとっては欠かせない施設だからね。出来る人がちょっとだけ協力して保持しておく。きっと、公共の始まりって、こういう感じだったんじゃないかな。