振り返り「第1回たべものラジオオフ会」 2023年1月25日

1月21日-22日に開催された「第1回たべものラジオオフ会」も終わり、通常運転に戻った。なんだか、しばらくのあいだは気持ちがふわふわしていて、いつものペースが掴めていない感覚があった。こういったときに、儀式のようなものが有効なのだろう。とりあえず、今すぐに必要ではないのだけれど大根の桂剥きなどをしてみて、それをきっかけ切り替えをしてみる。

たべものラジオは、ぼくが勝手に調べて見つけたことを「ねぇねぇ聞いて、ちょっとこれ面白いよ」と勝手に喋るという番組だ。専門家でもないし、歴史にやたらと詳しいわけでもない。ただ、勉強してみたら面白いことが見つかったから、まるで子供のように「ねぇねぇ、ちょっと聞いてよ」とはしゃいでいるだけ。

そんな番組を面白がってくれる人がいて、とてもありがたいし、嬉しい。その嬉しいという感覚は、同じことを「面白い」と感じる人がいるという「共感」の嬉しさなんだろうな。

趣味の友達。それに似た感覚。同じものを見て、同じ情報に触れて、それを面白いと感じる。それでいて、面白がりポイントがちょっとずつ違う。ちょっと違うんだけど、面白がる対象が同じだから、その違いがまた面白い。こういった循環がとても楽しい。オフ会では、まさにそれを体感した。

もし、ぼくがこういったジャンルの専門家だったら「教える」というスタイルになってしまっていたかもしれない。素人だからこそ、学んでみて面白いと感じたことを素直に面白いと言っていられるのかもしれない。ある意味無責任に。最近では、聞いてくれている人が増えたこともあって、間違った情報を発信してしまわないように気をつけるようにはしている。けれども、考えついたことや、感じたことはそのまま垂れ流している。ぼくという人間の偏った考え出し、バイアスの塊である。それで、聞いてくれた人が違う感想を持ったのならそれが良い。いろんな感じ方を持ち寄って、楽しめたら良い。

たべものラジオというのは、「この指とまれ」の「指」なんだと思う。食べ物に興味があって、未来も今も過去もまとめて面白そうだと思う人達に向かって、「食関連の人文知を楽しみたい人きてー」と言っている。で、そういう人たちが寄ってたかって遊ぶ。感じ方なんて、十人十色。むしろバラバラなくらいのほうが面白い。

なんとなく思っていたことだけれど、実際にリスナーさんたちと時間と空間を共にしてみて、より強く思えた。

サポーターさんたちのオンラインコミュニティがある。今までは、ぽつりぽつりとツイートをするようなコメントが多かったかもしれない。良いねをつける、という反応が多くて、そんなものかと思っていた。けれども、今回顔を合わせた人同士は、友達として今までとは違う反応をし始めるのじゃないだろうか。なんというか、もっと心理的な距離の近さをもって会話が弾むと思うのだ。それこそ、ぼくらなんかそっちのけで盛り上がるだろう。そうなってくれたら、ほんとに嬉しい。

解散する直前には、今度は東京でもオフ会しましょうって、誰ともなく言い出した。それこそ、距離が近い人もいるから、仕事帰りにご飯でも行きましょうって話も出た。もう、太郎も拓郎もいなくても集まっちゃおうか、なんて話も。ちょっと寂しい気もするけれど、そんなことよりも、コミュニティが盛り上がっていることのほうが嬉しい。広がれ友達の輪。ぼくなんかいなくても、どんどんやって欲しい。各地で広まれば最高である。

人と人が出会って、年齢も背景も関係なく友だちになれる。そういうのって、実は少ない。学生の時のようなノリで、それでいてもっと広範囲。なんのカテゴリもない。年齢とか社会的地位とか学歴とか年収とか、そんなことはどうでもいい。ただひとつの共通の趣味でつながっていればそれで良い、

ぼくは、勝手に「釣りバカ理論」と名前を付けているのだけれど、理想の形の一つ。マイケル・サンデル教授の「実力も運のうち」を知って、思いついたことだ。既存の社会的な繋がりが存在する。それは、鈴木建設の創業社長であるスーさんと、その会社の平社員であるハマちゃん。一方で、釣りという趣味で繋がるフラットな関係。ハマちゃんの方が師匠という、既存の関係を持ち込まないコミュニティ。どちらか一方に偏るのではなくて、両方が共存している社会。それが「分断をうまない世界」の構築に効果的じゃないかと思うのだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。とにかく、メチャクチャ楽しかった。誰も浮かないで、楽しめる。もしかしたら、こんなマニアックな話をしたら普段の生活の中では浮いてしまうかも知れない。場合によってはうるさがられるかも知れない。でも、同じ趣味の仲間同士ならそんなことはない。むしろ歓迎される。もっと、コミュニティが盛り上がると良いな。

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