江戸の鬼門を観光する。 2023年11月23日

せっかく上野まで行ったので、ちょっとだけ観光をしてきた。オフ会の翌日の話だ。

この日は、休館日であるはずの科学博物館に入れていただき、無人の和食展を見ながら収録をした。前日に見たばかりなのに、やはり3時間近くかかってしまった。いや、前日に見て、それをみんなと話し合ったことで、更に見るポイントが増えたからなのかもしれない。この様子は、近々たべものラジオで配信するので、そちらを聞いていただくことにしよう。

さて、科学博物館の通用口を出ると、目の前には寛永寺の開山堂が見える。収録後の予定もなかったし、行ってみることにした。

豆腐や蕎麦などのシリーズで度々登場する東叡山寛永寺。なかでも5代目山主の公弁法親王は、江戸の食文化に影響を与えた人物の一人である。絹ごし豆腐の発祥で知られる「笹の雪」という店の名は、法親王が名付けたものだし、創業者の玉屋忠兵衛は公弁法親王のお供をして京から江戸へと移ってきたのだ。なるほど、たしかに寛永寺の敷地からはそう離れていない。

そういえば、寛永寺には行ったことがない。いや、行ったという認識がない。中心というか、一般的な寺院ならば本堂と呼ぶべき建物は、鶯谷駅の近くにある根本中堂。そこには行ったことがない。ただ、元々は上野公園そのものが寛永寺の敷地だったのだから、実は何度も足を踏み入れているのだ。知らないというのは、こういうことだ。お恥ずかしい限りである。

上野公園は小高い丘である。京都には鬼門の方角に比叡山延暦寺があるように、江戸の鬼門に作られたのが東叡山寛永寺。まさに東の叡山という名のとおりだ。ここから東を望めば、隅田川が見えるはずだ。もちろん、今は駅やビルくらいしか見えないのだが、かつては見通すことが出来たのじゃないだろうか。

隅田川の手前に見えるが金龍山浅草寺。雷門や花やしき、仲見世でお馴染みの観光地である。こちらの方が寛永寺よりもずっと古い。飛鳥時代に始まり、平安時代に再興され、寛永寺が作られた頃には既に1000年近い時を経た寺院だ。

2つの寺を巡ってみて気になったのが「観光」である。上野公園も浅草も、様々な人が訪れる観光地である。特に浅草は外国人の姿が多く、パッと見た感じでは半数ほどになるのではないだろうか。というのは、現代の話。案内看板を読むと、江戸初期から、観光を意識していたことが書かれているのだ。

多くの参詣者が訪れ、楽しめるように工夫された場所があったのだろう。不忍池は琵琶湖に見立てて弁財天を祀ったものだが、これも「文人墨客の集う蓮の名所として知られ、壮観さは訪れる人々を魅了してきた」のだ。浅草の仲見世にしたって、周辺の住民に境内の掃除をやってもらうかわりに、この場所で正藍することを許可したというものだ。表参道が3つの道に別れているのは、もともとこれらの店が屋台だったからだという。こうした商店が繁盛するほど、多くの人が訪れたということなのだろう。

寺院を軸に街が形成されていく門前町の典型だ。なにかしら、人が集まるようなコンテンツが存在していれば、そこに集う人たちを相手にした商売が発展する。住むものが増えれば、住人を相手にした商売もまた増える。

人が集う観光地には、食はかかせない。観光地の商売と言えば、まず最初に食と言っても良い。こうした環境から、蕎麦や団子に餅、菓子などが発展した。そういえば一膳飯屋の走りとして有名なのは、浅草寺門前の茶店だ。奈良茶飯と銘打って評判になったのだった。

当時の江戸は、新しく人工的に造りだされた町。だからこそ、いろんなチャレンジがあったのかも知れない。賑わいを生み出すというのは、今も昔も変わらない視点なのだろう。門前町のような街の形成と食文化の組み合わせを調べてみるのも面白そうだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。江戸って文字通り「まちづくり」だったんだよね。現代のそれは「町改造」。ゼロから作っているわけじゃないもの。古いものがあるからいろいろと面倒なことも有るんだけどね。ゼロからの出発じゃないからこそ、有るものを活かすという視点に比重が高くなるんだろうな。

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