物価上昇から考えたこと。2022年9月20日

いやあ、もう困っちゃうよね。とにかく原価が高くなっちゃってさ。タイヘン。僕らみたいな「モノづくり」は、見事に影響を受ける。

野菜や肉や魚、みんな価格が上がっている。当たり前なんだけどさ。それだけじゃなくて、電気水道ガスも価格上昇。電気の使用量なんて、そんなに大きな変動はないわけよ。そりゃ夏場に慣ればちょっとだけ増えるよ、エアコンの影響で。それよりも、電気の単価が5割ちかくも上がったほうが痛いんだ。1000円が1500円になるわけじゃないから。桁がね。違うのよ。

価格上昇は、すべての産業に起きている。そりゃそうだよね。トラクターを動かすための石油燃料も上がっているし、化学肥料だって石油から作られているのだから、原料費が上がるんだ。それに、農家さんの生活費だって上がるわけでしょう。生活にかかる費用が上がっている。見かけの収入が上がるかもしれないけれど、物価が上がったのだから、それに合わせて上昇させないとバランスが取れないのは当然のことだ。

というわけで、うちの店も価格改定を行う。一瞬だけ迷ったんだけどね。価格を据え置きにして、内容を変えるという選択肢もあるにはあるから。そういう企業も多いだろうし。なのだけれど、やめた。素直に値上げさせてもらうことにした。いち消費者として、ぼくじしんが嫌だから。ぼくの好きな料理屋さんがあって、そこの料理のクオリティが下がったら魅力が無くなると感じているんだよね。だったら、素直に値上げして欲しいと思うんだ。

値上げした分、行く回数が減るかもしれない。それは確かにある。素直にビビるもん。1食にこんなにコスト懸けちゃって大丈夫かなって。エンゲル係数跳ね上がっちゃうんじゃないかって。それは、収入が追いついていなからなんだ。収入が物価と連動していれば何の問題もない。物価が5%上昇したら、所得も5%上昇する。という構図であれば、結局一緒だよね。物価って絶対値じゃないんだから。あってる?

国際交流が全くなければ、問題ない。GDPがいくらだろうと、国内でバランスが取れていれば問題ない。この発想をする限りは、造幣局がお金を刷ればある程度は解決してしまうだろう。景気の良し悪しは、お金の絶対量よりも流動性。とにかく循環すれば良いのだ。

循環させるためには、必ずお金を払う対象が必要だよね。お金とお金を等価交換したところで全く意味がない。100円玉をとっかえっこしよう。そんなわけない。モノなりサービスなりが必要。それらを作るための材料や人が必要。そこにお金がドバドバ流れれば景気が良いということになる。循環速度なのかな。すっごい出てくけど、ドンドン入ってくる。その結果、モノがじゃんじゃん手に入る。

だけど、そんなにたくさんモノは要らないんだよなあ。根拠なんてまったくないんだけど、日本国民の物欲って下がっているんじゃない?ホントに根拠ないんだけど。戦後の高度経済成長期からバブルの時代って、三種の神器だとか3Cだとか言って、とにかく不足していた物的な豊かさを埋めるという動機があったと思うんだよね。だけど、今はもうほとんどあるでしょ。賃貸住宅でもエアコンのついていない物件のほうが少ない。もちろん、モノのグレードには違いがあるだろうけれど、とりあえずは「ある」んだから。壊れない限りは交換しないという人も多いんじゃないかな。車だってテレビだって、今のスペックである程度満足しちゃっているのかもしれない。それとも、所得に余裕があったらドンドン買い替えたいものなのかな。どうなんだろう。人間の行動が一番わからんわ。

美術商の方が言っていたけれど、現代はモノ余りだから、原価に左右されずに価値がつく美術がキャッシュの受け皿になるんじゃないかって。そういうのあるよね。きっと。原価から価格を設定するのじゃなくて、消費者側が納得する価格を是とする。ホントの価値の対価って、そこにあるような気がするな。ま、一部のアートは投機対象にされちゃうからなあ。一括りにしちゃうといけないかもしれないけど。

今日も読んでくれてありがとうございます。貨幣の役割の一つに「価値のモノサシ」というものがある。価値のモノサシなのだけれど、その尺度が複層的だから困るんだろうな。原価計算はわかりやすいけれど、それだと個々のオリジナリティとか自由とかが評価されにくくなってしまう。そうか、工業生産を背景にした近代産業経済が現代の経済なのかもしれないな。あ、価格改定の話がどっかに行ってしまった。

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