今日のエッセイ-たろう

言語化しようとすることが、なんだかバカバカしく思えてしまった時の話。 2023年4月15日

言語化するのがバカバカしくなる時がある。あのときもそうだ。町から離れた里山にある場所で見た、いくつかのアート。人から紹介されなければ、きっと知ることもなかっただろう。通りすがりに目につくような場所でもなければ、看板が設置されているわけでもない。

訪れたときには、オーナーが自ら各施設を案内してくれた。最初のうちは、あれこれと話しをしていたし、終わる頃には石造りの茶室で様々な話をさせていただいた。そこで繰り広げられた会話も、もしかしたらアート世界の一部であったかもしれない。

目で見て耳で聞くだけではない、ともするとその感覚を持っていたことを忘れてしまいそうな、人間の動物的感覚が捉えたもの。それらが渾然一体となって、体の中でグルグルしている。始めのうちはなんとか言葉にしようとしていたし、感じたことを整理しようとしていた。

自然の中にいると、人間が想像できること以上に多くのことを感じてしまうらしい。認識できることもあれば、認識できないこともある。それらが怒涛の如くに押し寄せてくると、とうとうぼくの言語化能力は限界に達してしまい、ついには言語化することも整理することも諦めてしまった。

もう、言葉に置き換えることがバカバカしく思えたのである。

体を使って、直接感じること。それが、どれほどのことかを再認識させてくれた気がする。常々意識を向けているし、そうした世界観を料理の中でも描きたいと思っている。しかし、改めて自分自身の体で体験する機会というのは、案外日常にはないのかもしれない。美術館などは、コロナ禍で訪れることを封印されていたからかもしれないが、それだけじゃないだろう。身近なところに山や池は見えていて、木や草花の移ろいを見ているのだ。ただ、そこに身をおいて体感することに意識が向いていなかっただけ。

月は、そこにただあるだけ。それを美しいと思うかどうかは、全て見るものの心によって定まる。アートというのは、それを強く発信したり、気づかせるための工夫なのだろう。感受性にスイッチを入れるための装置かもしれない。

T字型の煙突のようなものが、地面からいくつも生えている。そんなアートが世界の何処かにあるらしい。それは煙突ではなく、筒を覗いて世界を切り取って眺めるためのものだ。無限に広がっているかのような世界を、任意の世界に切り取って見せる。そうすることで、広すぎて捉えようがなかった世界を、より鋭敏に感じさせてくれる。レンズも何もなく、ただただ切り取ること。絵画も写真も立体も音楽も、やっていることは同じなのかもしれない。

この作品を直接見たことはない。けれども、なぜか強く興味を惹かれた。それは、作品の中を歩く感覚を体験してみたいと思ったのである。あらゆる方向に向けられた筒をひとつひとつ除くには、それなりに広いフィールドを歩き回ることになる。想像するだけでなく、草や土の感触を足の裏で確かめながら歩くことが、ぼくらの感受性になにを訴えかけてくるのだろうか。動作を伴った鑑賞。そして、鑑賞者が作品の一分となる感覚。

少々強引に話をつなげると、言語化もまた世界の切り取り作業のようにも思えてくる。言語化することがバカバカしく思えるほどに、世界は広くて深くて複雑だ。とてもじゃないけれど、論理や言語だけで記述することなんて出来ないようにも思える。それをわかった上で言葉に置き換える。世界を描くにはあまりにも不十分な言語を使うことで、大きな世界のごく一部分を切り取ってみる。そう考えると、似たようなものだと思えてくるから不思議だ。

無理やり切り出すことの効用は、これをカウンターにして無限の世界を感じられることだろう。制限があるから制限のない世界を感じられる。妥当な例えが思い浮かばないが、日本庭園を室内から眺める窓枠の設えも、似た感覚であろうか。

逆のものを与えることで、より広かったり深かったりして言語化が難しいものの解像度を上げる。テクノロジーもまた、そのように取り扱われると良いと思う。最近では、スマートウォッチによって自分の体のことをある程度数値化することが出来るようになった。常に数字を改善することに意識が働いてしまうと、それはどこかで数字の奴隷になるだろう。自らの心地よさを犠牲にして、数字を改善するために行動してしまうかもしれない。

逆に、これらの数値を可視化することで、数値に表すことの出来ない身体性を感じられるようになる。ということもあるかもしれない。本来、動物は必要な栄養素を本能で察知して、それに見合った食事を美味しいと感じるように出来ている。そんな説がある。現代人は、その感覚が鈍っている事が多くて、その感覚を取り戻す補助輪としてのテクノロジーという捉え方をしても良いかもしれない。

他にも、テクノロジーが生み出した良きものと、アナログに生み出された良きものを対比することで、両者の良さが際立つかもしれない。テクノロジーのお陰で、もっと充実したコミュニケーションが発生するかもしれない。そんなふうに、テクノロジーというものは、人間らしさをより良く発揮させるものであれば良いと思う。

今日も読んでくれてありがとうございます。いろいろと面白かった。テレビの食レポみたいに、いろんなうまい表現が出来たら良いのだけどね。なんだか、そこに言葉を尽くすことが面倒に感じてしまうような感覚があるんだ。最後にオーナーと話したんだけど。狭い茶室の中で語り合うことも含めてアートとして楽しめたら良いと思うんだ。そして、一歩外に出たら、何を話したのかはほとんど忘れちゃったけど、なんだかよい時間だったという経験と感覚だけが残る。そんな楽しみ方があっても良いんじゃないかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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