豆腐の歴史に思うこと 2022年10月7日

今更だけれど、豆腐の歴史を振り返ってみた。わざわざ振り返ったと言うほどのことはない。どちらかというと、他のことを考えていたら連想したというくらいのものだ。

なにかの折に、「社会って、人間の思った通りの変化をすることはないよなぁ」なんて事を思っていて、それを誰かと話していたんだ。良かれと思って実行したことが、のちの時代に足かせになることもあるし、逆に愚策だと思われていたことがあっても、その御蔭で良いことが導かれたなどということはよくあるは事だ。

豆腐がどう繋がるんだって話なんだけどね。日本の豆腐文化は、どんどんなめらかで柔らかくなっていったよね。プリンみたいな食感が好まれた。だから、絹ごし豆腐が開発されて、それが爆発的に人気なった。日本人はブームに乗りやすいのだろうか。それとも、高級品だったものが手軽に手に入る用になると、全体がそちらへ傾斜していくのは経済の傾向なんだろうか。まぁ、とにかく柔らかくなったよね。その結果、かつての固めの豆腐が姿を消してしまったんだ。いや、無くなってはいないけどね。ほとんど見かけられないほどに減ってしまった。

平成に入ってから、無菌充填豆腐というものが登場した。日本よりも海外で出回っているが、開発したのは日本企業だね。本編で紹介した森永乳業の豆腐がそれにあたる。実は、これを生み出したのが日本企業だということには、歴史的な文脈があるのじゃないかと思うんだ。

というのもね。充填豆腐っていうのが、そもそも絹ごし豆腐の発展形に見えるんだよ。従来の豆腐の作り方は、温めた豆乳に凝固剤をいれて、固めるというのが大きな流れ。木綿の場合は、凝固剤を入れた豆乳の中で分離した塊を型の中で押し固める。絹ごし豆腐は、豆乳全体を固める。全体を固めるのだから、当然水分が多くて柔らかく仕上がるんだ。

絹ごし豆腐を発展させるとどうなるか。単純だ。温める前の豆乳に凝固剤を混ぜておいて、それを容器に入れる。そして、容器ごと加熱する。豆腐が出来る温度というのはある程度分かっているからね。あとは、その温度帯をうまくキープすれば良い。温度が低すぎれば固まらないし、高すぎれば分離したりスが入ってしまう。だから、蒸篭などで蒸す場合は熟練の技術というか勘が頼りだったんだ。それが、現代は電気制御で出来てしまう。一定温度を保つなどは、機械に任せておけばよいのだ。掛茶料理むとうでも、料理の一品として提供することだってある。

でね。無菌充填豆腐っていうのは、これなんだよ。無菌状態で、密閉できる容器に豆乳と凝固剤を入れて加熱する。そりゃ腐りにくくなるよ。賞味期限だった長くなる。面白いのは、絹ごし豆腐があったからこそ、充填豆腐という発想が生まれ、そこに技術が加わった結果無菌充填豆腐が登場したということ。本家中国のように、まるで昔の魚屋のような露天で販売するスタイルだったら。ここにはたどり着かなかったかもしれない。柔らかい豆腐が流行ったから、充填豆腐になったのかもしれない。

日本の豆腐は、少し固めの「代替肉としての豆腐」を放り出してしまった。その代わりに、無菌充填豆腐を手に入れたとも言えるんじゃないかな。

もう少し話を広げてみよう。ごま豆腐ってあるよね。そもそも豆腐じゃない。葛粉とゴマのペーストを練り上げてゲル状にして冷やすと固まるものだ。くず餅の延長上にある料理ね。だけど、なんとなく見た目が豆腐っぽいから模擬豆腐としてその名が付けられている。まぁ、こういったことは料理に限らずよくあることだ。

さて、ごま豆腐をよく見てみよう。遠目に見れば豆腐っぽく見えなくもない。だけど、食感とか味とか、似ても似つかないのだよね。もっちり、ねっとりというのがゴマ豆腐の特徴なのだ。当然だけれど、大豆由来の味もしなし、そもそも炭水化物が中心であって、タンパク質ではない。全然違う。だいたい、四角く切ってお皿に盛り付けることが多いからそう見えるだけのことなんだよね。どちらも丸いものもあるし、いろんなカタチを作ることも出来る。ただ、冷奴と同じような感じでお皿に盛り付けられることが多いから、たまたまそれっぽく見えるだけだ。

なんだか、不思議じゃない?豆腐が大流行したから、この名前がついたんだと思うのよ。何かに似ている、と表現するときの何かは、必ずメジャーなものじゃなければならない。そうしなければ、例える意味がないからだ。もし豆腐が存在していなかったら、ゴマ豆腐はどんな名前で呼ばれたのだろうか。

今日も読んでくれてありがとうございます。豆腐みたいなやつだ。っていう慣用表現がある。芯がなくてナヨナヨしている意味で使われるが、これもやっぱり日本だから成立するんだよね。固豆腐しかない文化圏では全く違った意味になるだろう。どうでも良いけれど、いろんなものと無理矢理にでも紐づけながら見ていくと、世の中って不思議なことだらけに見えてくる。ということが不思議だ。

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