都市生活と農耕の距離。 2023年9月28日

古代文明のことを知りたくて、ちょっとずつ調べている。紀元前数千年のことだから、あまりにも長い時の流れに、感覚がおかしくなってくる。「西暦」というやつがなかなか曲者だと思うんだ。「2023年」という表記が、「この社会が出来て2000年くらい」という認識を引き連れてくるような気がする。だから、それ紀元前のことが別世界のように感じてしまうのかもしれない。ただ、実際はもっともっと長い連続した歴史があって、人類社会は数千年以上の道のりなのだ。

インダス文明の遺跡として知られるのは、ハラッパーやモヘンジョ・ダロだ。歴史の教科書でも紹介されている。ハラッパーは狭義のインダス文明成立以前のもので、紀元前3000年頃。モヘンジョ・ダロは紀元前2300年以降のものらしい。歴史の授業で習うときは、ハラッパーもモヘンジョ・ダロも並列表記されるんだけど、700年くらいの時間差があるんだよね。これまた、時間認識がおかしくなってしまう。

さて、これらの古代都市は城壁に囲まれている。当時の世界最先端の都市は、城壁に様々な建造物があった。焼成煉瓦で舗装された道路、学校や公会堂、二階建ての家屋が並んでいて、それらの屋根も焼成煉瓦で作られていたそうだ。まさに都市であるが、この中に農地はない。

古代都市の内部は、基本的に商工業が営まれていた。農耕は、城壁の外側なのだ。

古代都市に限らず大陸の都市は、だいたい同じような構造になっていることが多い。外部からの攻撃や侵入に備えて城壁で囲み、その内部に人が住まう。商人がいて、職人がいて、その中で商いをしているのだ。農民は城壁の外に広がる農地へ赴いていくか、農地のそばの家で暮らしているのだ。つまり、「城壁」で物理的に「農耕」と「都市」が分断されているのである。

これに対して、日本の都市は様子が違う。一部を除いて、ほとんどの都市には城壁が存在していないのだ。城壁というものは、あくまでも「城」を囲むもので、町はその外側にあるのが一般的。町をまるごと囲い込んだタイプを、わざわざ「総構え」といって区別しているほどだ。少し詳しい外国人から見ると、不思議に見えるらしい。

この状況の違いは、「都市生活」と「農耕」の距離の近さと言い換えられるのではないだろうか。物理的な距離もあるし、心理的な距離でもある。あえて大雑把に大陸型と呼称してしまうけれど、大陸型の都市では、都市生活から農耕が切り離されているのが当たり前だという感覚があるのかもしれない。日本の場合は、距離はあっても分断ではなく、なんとなくなだらかに景色が変化していくという程度の認識のように思える。

これはぼく個人の感想でしかない。こんな認識の違いがあってもおかしくないだろうと思える。

「都市生活と農耕」という視点で「まちの形」を捉えた上で、アーバンファーミングを考えるとどう見えるだろうか。アーバンファーミングというのは、都市の屋上や街路、公園などを活用した「都市型農耕」のことだ。そして、アーバンファーミングのトレンドはヨーロッパから広まって来ている。

東京という都市を考えたとき、さすがに都心部には農園はほとんど見られないが、23区内にはたくさん農地がある。むしろ、農地が全くない区のほうが少ないんじゃないかな。ベランダや庭で家庭菜園を行う人もいるし。最近では、本格的にアーバンファーミングが搭載されつつある。東京は、元来「土との距離」が近い「都市」なのではないだろうか。

ロンドンやパリなどと比べて、日本の都市はアーバンファーミングが遅れているという記事を読んだ。しかし、それは少し違う気がする。というのも、元々分断されていたからこそ、極端に農耕との距離が離れたからこそ、ドラスティックに変化しているのがロンドンなのだ。カウンターカルチャーである。どんな歴史も、一度振り切ってしまったほうが劇的な変化を起こしやすい傾向にあるものだ。

どちらが良いとか悪いという話じゃなくて、「都市生活と農耕の距離」の「捉え方」が違うんじゃないかと思うんだ。だから、何を言いたいかと言うと、それぞれの都市や文化に合わせたやり方があるんじゃないかってこと。文脈の違う文化で生まれた取り組みをそのまま模倣するのではなくて、参考にしながら自分たちにあったやり方を模索する。そんなのが良いのかも知れない。と、そんなことを思ったわけです。

今日も読んでくれてありがとうございます。それにしても、古代都市ってスゴイんだね。5000年前には街灯もあって下水道もあったっていうんだから。昔の人ってスゴイなあ、と感心するんだけどさ。5000年かけても人類ってあんまり進歩していないんだなあ、とも思っちゃう。

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