「郷土料理」じゃない料理は存在しない世界線。 2023年8月10日

郷土料理の対義語ってなんだろう。とそんなことを考え始めた。今のところ、どこにも答えらしき影も見えていないのだが。そう思い始めたきっかけは、フードテックや食産業に触れていて時のことだ。

料理というのは、どうやらレシピを再現するものらしい。そうした認識が多いのかも知れない。というのが思考の始まりだった。もちろん、そうした人ばかりではないことは承知の上だが、世界の先端にある食産業の取り組みを見聞きしているとそう感じてしまうのだ。

ぼくが認識している料理というのは、レシピを再現するものではないのだ。眼の前にある食材をどうしたら美味しく食べられるか。これが全てのスタートだ。おそらく、人類が料理という文化を生み出した最初からそうだっただろう。

そもそも、遠方から食材を運んでくることなどほとんどなかったはずだ。確かに、鎌倉時代以降は三斎市のような市場が形成されていたし、食品の流通も生まれていはいた。けれども、それはごく一部の食材に限られていて、それらの食材から生み出される料理は限定的だった。朝廷には税のカタチで食材が持ち込まれたし、室町時代には京都に多くの食材が持ち込まれた。それだって、ほとんどがスシのような発酵食品か昆布のような乾物である。

つまり、料理というのは地元で作られる生産品を美味しく食べるための工夫なのだ。

これを前提に考えれば、日本各地に、世界各地には郷土料理が必ずある。現在、地域おこしの文脈で特徴的な料理を郷土料理と称しているのとは違う。もっともっと、現地の土や水に密着した郷土料理が当たり前に存在していた。だから、古い文献にあるレシピには、料理名など無いのだ。なんとなく、その地域で呼び習わされてきた名称が残っているに過ぎない。

と、ぼくの感覚を裏付けるようなことばかり書き連ねてきたが、大きくハズレていることはないだろう。料理人としての確信のような感覚がある。

さて、これを前提としたときに、現代社会が陥っている、いわば常識のようなものはいったいなんだろう。レシピを再現すること。これに執着してしまった結果、「◯◯という野菜がたりないからうまくできない」ということになる。レシピを再現するために、必要な食材をオンラインで提供してくれるサービスが必要だということになる。本当にそれで良いのだろうか。

もちろん、そうしたニーズが有ることは重々承知しているし、悪いことだとは微塵も思っていない。ただ、ちょっとズレている。そんな感覚。

市場やスーパーマーケットに買い物に行く。何を作るなどとは決めずに、食材がずらりと並んだ通りを歩いていると、美味しそうな魚や野菜が目に入る。ただただ、野性的に「美味しそう」だと感じているものを、それだけの理由で買い物かごに放り込んでいく。そのうちに、「これもあったほうが美味しそうだなあ」という食材のことが気になってきて、それもまた買い物かごに放り込んでいく。そうして手に入れた食材は、キッチンに立ってから料理に変化するのだ。どんな料理にするかを考えるのは、キッチンに立ってからでいい。そのくらいの気持ちである。

そんな事できないよ。と言うかも知れないけれど、これが意外と出来るのだ。冷蔵庫の中にあるものだけで料理を作るというのは、そういうことだ。時代を遡れば、その日手に入れることができた食材だけで、どうにか美味しく料理を楽しもうというのと同じである。

ぼくら料理人の、いや人類の調理に対する知見というのは、そうして使うものではないのだろうか。

こうして考えていくと、つまりは郷土料理しか存在しないのが当たり前ということにはならないだろうか。

今日も読んでくれてありがとうございます。テクノロジーを調理に活用するとき、「どのような調理技法があるのか」「どのような組み合わせが向いているのか」などをサジェスチョンするものが良いのだと思う。それは、いずれ必要なくなるもの。自転車の補助輪のようなもので、料理をする人が自在に料理を楽しむようになったら、不要になることを前提としたテクノロジーだ。これ、真剣に作ってみたいな。誰か、一緒にやりませんか。テクノロジーのほうはよくわからないのです。

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