今日のエッセイ-たろう

たべものRadio誕生前夜とメッセージ2 2022年7月9日

ことの発端はお茶だった。なんだか、お茶が安く扱われているなって気がしたんだよね。お茶「くらい」は無料で提供して欲しい。お茶「なんか」でお金とるなんて。とか、けっこう当たり前に聞かれる言葉だったからね。お茶をスタンドや喫茶店で飲むのに抵抗が薄れてきたのなんて、最近のことなんだよ。ホントに。まだ5年と経っていないくらい。

自動販売機で販売されるようになったのはずいぶんと前。こっちはもう20年は経っているかな。だけど、やっぱりあの頃も言われてたんだよね。お茶にわざわざお金を払って買うなんて。とかさ。水だって同じだ。水道をひねれば出てくる水をわざわざ買う。そんなの変だって、日本中のあちこちでそういう声があったんだよ。現在とは価値観がずいぶんと違うよね。当時はしきりに水のCMが流れてたっけ。

もともと、お茶が大好きだという自覚はない。今でもそんなに強くない。お茶のためなら色々と頑張れるかっていうと、そうでもない。それは、個人的な感覚なのだけれど、他人から見たらお茶愛が強いように見えるらしいのだ。

ぼくらは、茶産地で育っていて、美味しいお茶を飲むのが当たり前になっている。冷凍庫を開けると、未開封のお茶が出てくる。そんな家庭も、掛川では少なくないのだ。法事の香典返しの定番はお茶。知人や親戚にひとりはお茶産業に携わっている人がいる。そういうまちなんだ。だから、空気のように当たり前に漂っているのがお茶に対する愛着。

東京に住んでいる頃は、あまりお茶を飲まなかったかな。掛川のお茶をもらってきたら入れる。もちろん、急須も湯呑もある。最近は急須のない家庭も増えているらしいけれどね。静岡県人であるぼくも、友人も、大学生の一人暮らしであっても急須があるのが当たり前。無い方が不自然なのだ。夜中に友達同士で盛り上がっている時に酒を買う金がなくて、それでもお茶があればいい。そういう県民性なんだろうなあ。僕らのほうが少数派であることに気がついたのは、都会ぐらしに馴染んでしばらく経ってからのことだった。当時付き合っていた彼女の家に急須がなくてびっくりしたくらいだ。

ふと、地元掛川に帰ってきて気が付いた。意外とお茶のことを雑に扱っているのは地元民だったりするんじゃないだろうか。あまりにも生活にありふれているので、その価値がわからなくなっている。世界中のあちこちで起きている現象だ。

ちゃんと価値を見直さなくちゃ。美味しいお茶を作ろうと、毎年工夫を重ねている人たちの存在を知るたびにそう思ったんだよね。だってさ。烏龍茶にはお金を払うのに抵抗がないんだよ。レストランとか居酒屋で気にもとめないでしょ。ところが、お茶に値段が付いていると違和感がある。なんだこりゃ。変だよね。

この20年くらいの間に、お酒の消費量が減った。それは、うちの店でもよく分かる。宴会で飲む量が減ったこともあるにはあるけれど、そちらは大きな違いはない。そもそも、飲み会なのだから。法事の食事では、顕著に差がでた。20人も集まって、ビール瓶3本で終わり。なんてこともザラだ。それでも有料のドリンクを注文してくれたら助かるのだけれど、無料のお茶を欲しいという。それも何杯も。少しでもお茶の味が悪いと文句を言う。たまらないよね。

思い切って、お茶を有料にした。有料でも楽しめるための工夫も考えた。お茶の種類を選べるようにしたし、それぞれのお茶の特徴についても書いたし伝えられるようにした。そのために、あちこちのお茶を飲み比べたし、生産現場へも足を運んだ。

はじめは不評をかうこともあったけれど、次第に緑茶メニューは定着して、気がつけば「美味しい緑茶を楽しめる料亭」になった。2015年のことだ。飲食店で緑茶メニューを切り出したのは最初らしい。

このときなんだよね。お茶について調べまくったのは。「お茶は無料で出すのが当たり前じゃないか。そんな日本の古くからの伝統を知らないのか。産地だからって調子に乗ってお茶なんかを有料にするもんじゃない。」正面切ってそう言うお客様がいらっしゃったのだ。

「高度経済成長期の後半からバブル崩壊までの僅かな期間を日本の古くからの伝統、とするならそのとおりですね。ですが、化政文化以降昭和に至るまで、茶屋では有料でお茶を提供していますし、旅籠でも料亭でも有料です。」「そんなことはない。元禄時代にはあったはずだ」「いえ、元禄時代には煎茶は誕生していません。」「峠の茶屋で団子を注文するとお茶がついてくるじゃないか。時代劇で見たぞ。」「時代考証がどうなっているか、その番組がわかりませんが。たしかにセットでついてくるお茶は無料でした。ただし、出がらしを何日もためておいて、鍋でグラグラ煮出したものが一般的です。ちゃんとしたお茶は有料だと記録に残っています。」「じゃあ、ドラマは嘘なのか。」「ドラマはドラマです。時代劇の大岡越前に椅子とテーブルのある居酒屋が登場しています。ただし、この時代は存在しないものです。徳利もあのサイズのものが登場するのは、もう少し後の時代です。もう少しと言っても100年くらいですが。」

お客様相手に理詰めで話してもしようがないのだけれど、このときはなんだかそういう流れになったんだ。周りのお客様の応援もあったかもしれない。喧嘩腰というわけでもなくて、質問に継ぐ質問っていう感じだったかな。最後の方は、他の方も混ざって歴史談義だったかも。

なんとなく知っているつもりになっていて、「これぞ日本の伝統」と思っていることがある。だけど、実は思いこんでいるだけで全く違うこともかなり多い。経験に学ぶことはとても多く、身体感覚を伴ってはじめて理解できることがあることはわかる。それはぼく自身が職人として痛感していることだ。けれども、人間の寿命を大きく外れた時間軸のことは、座学で学ぶしか無い。

学んでみると、いかに自分たちが思い込みで狭い枠に閉じこもっていたかがわかるんだ。伝統、つまり変わらずに続いてきたものだから変えちゃいけない。そんな感覚すらある。けれど、よくよく学んでみたら変化し続けることが伝統だったということも少なくないんだよね。そうすると、今から変化することだって勇気をもらえるじゃない。むしろ、どんどん工夫を重ねていくことそのものが先人たちの築いた文脈の継承だもの。

未来は開けている。過去をしっかり見定めて学ぶと、現在が見えてくる。過去を学べば必ず未来が見えるというわけじゃない。だけど、少なくとも未来を見ることができる人は、現在がしっかり把握できているし、現在につながる過去の系譜を学んでいる。

いま、ぼくらが目にしている食文化はかなり新しいものだ。家庭や街で見かける料理のほとんどは、近代以降に根付いたスタイルである。古い時代では見られなかった料理。古い時代は、庶民の目に触れなかった料理。現代のように、ぼくら庶民が気分で外食できるようになってから100年も経っていない。まだ、近代食文明は始まったばかりなのだ。

伝統ある良いものを駆逐するのではない。その文脈をしっかり継承していれば、それは工夫なのだ。知らずに壊すのではなく、守りつつ発展させることができる。そういう未来を作ることができると思うし、それだけのポテンシャルが日本料理にはある。

今日も読んでくれてありがとうございます。たべものRadioで伝えたいメッセージのひとつがこれね。創作料理って言葉がホントは不自然なんだよ。だって、創作し続けることは料理の宿命なんだから。創作しない。が無いんだから、創作するという意味をわざわざ付加するなんてさ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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