今日のエッセイ-たろう

どこからどこまでが和食?私達が持つ「認識」とはなにか。 2023年11月2日

食べ物の歴史をたどっていると、一体どこからどこまでが和食なんだろう、と思う。先日、数組のリスナーさんがふぐ料理を食べに来店されて、そんな話をした。

ふぐ料理の定番といえば、刺し身と鍋、それから唐揚げが代表格に挙げられる。刺し身は日本の伝統的な調理方法だけれど、ポンズはインドからぐるりと世界を巡って日本にやってきた謎の液体だし、もみじおろしに使われる唐辛子はアメリカ大陸からだし、大根は中東か地中海が原産と言われている。薬味のネギだって大陸から渡来したものだ。

鍋料理の定番となった白菜だって、日本に定着したのは日露戦争よりも後。唐揚げという調理方法はいつから日本の食卓に並ぶようになったのかと言うと、やはり近代のことだ。ふぐ料理の定番とされている食材で、日本における先輩格はフグ。縄文時代からあるのはフグだけだ。

ほとんどが日本由来ではないという点においては、現代の食卓を見ると同じことが言える。日本原産と言われる食品など限られているのだ。それでも、僕らの認識では「ふぐ料理は日本料理」ということになる。

そもそも、ぼくら日本人だってルーツはバラバラのはず。縄文人がどこからやってきたのかについては、諸説あるらしいのだが、弥生人は大陸からの渡来人だと言われている。古事記などに描かれている国譲りは、土着の縄文人と大陸系の弥生人の話だと言われることもある。それに、言語的に東南アジアと共通する部分もあるらしいと聞く。

一体、わたしたちはどこからどこまでが純粋な日本人なのか。母語を日本語とすれば、それが日本人なのか。母国語は日本語だと思うけれど、母語が日本語じゃないという人だっている。アイヌ語とか琉球語だってあるんだし、環境によってはヨーロッパ系の言語を母語としているけれど日本人だという人もいるだろう。

国籍が日本であることが「私は日本人だ」という感覚と一致するとは限らない。知人は、アメリカで結婚していてアメリカ国籍となった。その時に日本の国籍は消失したそうだ。けれども、彼女のアイデンティティとしては「日本人」なのだという。

そもそも、「どこから日本のものなのか」という問そのものに意味がないのかもしれない。どこからでもないし、いつまでも存在しないのかもしれない。けれども、やっぱり「ぼくは日本人だ」と思っているし、ふぐ料理は日本料理だと思っている。

日本料理について、その特徴を記述しようと思えば出来る。実際に、和食がユネスコ文化遺産に登録された時に明文化されているし、日本料理の変遷を勉強してみたら、たしかにその通りだと感じた。じゃあ、ぼくら日本人についても明文化出来るのだろうか。

日本人がどんなものなのかを語ろうとしたのが、明治時代の書物「武士道」や「茶の本」、「代表的日本人」である。それぞれ日本人とは何者かを語っているのだけれど、イマイチ説明しきれているような気がしないのは、ぼくの読解力に難があるからだろうか。

ぼくの直感はこう言っている。「なんとなく」だと。本人や周囲の人たちが、なんとなくこうなんじゃないかと思い込めば、それは成立する。どのくらいの人数なのか知らないけれど、一定数以上の人が認めれば、それが真実になってしまう気がするのだ。

一定数以上の人が認めるのには、明確なエビデンスは必要ない。それっぽい理屈が語られていて、そうだと思い込ませることができれば良い。サピエンス全史で語られる虚構ってそういうことだろうな。

今日も読んでくれてありがとうございます。なんとなくそう思う。という感覚が集団認知になると、それを前提とした社会が作られちゃうんだよね。良い面もあるけれど、同じに真実が消失させられる怖さもあるよね。いま、食料課題に直面していて、それらに関する事実としての課題や分析よりも「それっぽいこと」が優先された社会を構築してしまったら、と思うとちょっと怖いかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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