今日のエッセイ-たろう

ガラパゴス化という価値もあるよね。 2025年4月17日

西アジアのことは中東、日本は極東。日本がアジアの東の端にあるというのは良いとしても、西アジアは東じゃない。歴史を勉強しているとき、ヨーロッパ中心的な表現に出会うたびに辟易するのだけど、みんなはどう思っているのかな。ムカつくというほどのことはないけれど、なんかちょっと嫌。

それはさておき、ユーラシア大陸を真ん中にして地図を眺めると、日本はやっぱり東の端っこなんだよ。アフリカ大陸から出発したホモ・サピエンスが東へ向かうと、日本とかアメリカっていうのは東の端っこ。これ以上先に行くことがない。いや、実際にはかなり古い時代に海をわたったということもあるらしいのだけど、いろんな文化の終着点ではあると思う。

アフリカを出発したゴマは世界中に広まっていった。日本にたどり着いたときには、すでに種が分化していて、それらの殆どが日本に集積されていった。書籍にそんなことが書いてあったのだけど、確かに直感にあっている。

日本はガラパゴス諸島のように、独自進化をしている。という意味で、スマートフォン以前の日本の携帯電話サービスをガラパゴスケータイ、略してガラケーと呼ぶ。これって、本当に興味深い現象で、現代ではケータイが代表的な例だけれど、過去を振り返ってみると似たようなことはよくある。

発祥の地ではとっくに消失したものが、なぜか日本では残っていて、独自の進化をしていくのだ。

お茶は中国から伝えられたもので、抹茶も煎茶もその発祥は中国大陸。ところが、今では中国大陸における抹茶文化はほとんど見る影もなく、日本の文化だと認識されている。それどころか、「茶の湯」とか「茶道」と呼ばれるものに発展した。道教や禅の精神を取り込んでいったのだ。

J-POPミュージックは、複雑なものが多いと言われる。複雑なコード(和音)がいくつも使われている。アメリカの現代音楽は、もっとずっとシンプルなコードを繰り返し続けるものが多い。元々、アメリカでもちょっと複雑なコードを多用するのが流行したことがある。ビリー・ジョエルの楽曲を聞くと、それがよく分かる。80年代に、そのブームが日本にも伝わった。アメリカでは、どういうわけかシンプルなものが主流になってしまったのだけれど、その後の日本では長らく生き続けている。もちろん、日本にもシンプルな楽曲があるし、アメリカにも複雑なコード進行を使った楽曲もある。ただ、日本は複雑で感情表現が豊かなものがヒットチャートの上位にいて、それがアメリカでは低いのだという。

日本のポップミュージックもガラパゴスと呼んで差し支えない。近年K-POPがアメリカでも人気を博しているのだけれど、それは戦略的にアメリカの市場に合わせたコンテンツを作っているからだ。と専門家が言っていた。彼らほどの大ヒットはしていないけれど、J-POPがアメリカで静かなブームになっていて、それはもちろんインターネットのおかげなのだが、アメリカ市場のことなんか微塵も考えていないのが面白い。

なにがって、これこそが多様な価値が評価される現象そのものだから。

日本の食文化は、欧米を中心に海外から注目を集めている。ビジネスとして考えたら、はっきり言ってチャンスである。だからといって、海外の市場、つまり海外の価値観に合わせてしまっては意味がないのだ。一時的には人気が出るだろうし、なにより受け入れられやすい。そういう意味で、迎合的なスタイルは大きな価値を持っている。ただ、そればかりになると、日本はガラパゴス的要素を失うことになりかねない。もし、この独自進化した文化を見失えば、今感じられている魅力も同時に消失することになるだろう。

今日も読んでいただきありがとうございます。世界基準と違っていて当たり前だし、それで良いと思うんだよ。どうせ、世界基準とか言っている謎の価値観だって、結局西洋史観みたいなものだしね。ナショナリズムを煽るつもりなんか全く無いんだけど、自分を見失わないようにしなくちゃね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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